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感覚に歓喜し 内に息づく思惟に還ろう
第47週 2月23日〜3月1日の記憶。 それを探る試みです。
一年間のルドルフ・シュタイナー超訳に挑戦中です。
今週は、まだ寒い中ですが、春が訪れることで、自然もあなたの心も調和のなかで再起動してゆくのだというメッセージです。真の心が具わり響き合っている姿をイメージして、感覚を通じて喜びを味わい、自然や他者との結びつきを大切にすることで、より豊かに生きられる可能性があるのです。マンダラートで具体的な行動へと昇華させるプロセスを思惟してまいります。
では、読み解いてまいりましょう。
*
V‘. SIEBENUNDVIERZIGSTE WOCHE (23. FEBR. – 1. MÄRZ [1913])
47.
Es will erstehen aus dem Weltenschoße
Den Sinnenschein erquickend Werdelust
Sie finde meines Denkens Kraft
Gerüstet durch die Gotteskräfte
Die kräftig mir im Innern leben.
世界の母胎から生まれる
感覚に歓喜し再起動され
思惟と出会う
大いなるもののチカラによって具えられ
わたしの内で力強く息づく。
*
胎蔵曼荼羅
まだまだ寒い日が続いております、梅も咲き出し、冬の静寂を抜け、春の訪れとともに生命力が目覚める季節になってきましたね。今週は、「世界の母胎から生まれる」との詞をヒントに、この営みを、壮大なる曼荼羅の視点でみつめると、どうなるのかを考えてみました。
曼荼羅とは、仏教において宇宙や生命の真理を表す図形であり、中心から放射状に広がる幾何学模様によって構成されています。あなたも、お寺や博物館などで一度は目にしたことがあるはずですよね。円形や正方形など、さまざまな形が存在し、それぞれの図形や色は特定の意味や象徴性を持ち、瞑想や修行の際に用いられるものです。
そのなかで、宇宙の根源的なエネルギーが再び躍動し、万物が目覚める感動に満ちた瞬間である“春”をイメージしたとき。空想の世界ですが…、一木一草にいたるまで、この世のありとあらゆるものが連綿とつながっている胎蔵曼荼羅のイメージ像が浮かびあがってきました。
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胎蔵曼荼羅の中心に鎮座するのは“大日如来”です。その存在は、まるで春を告げる太陽のように、あらゆる生命に光と温もりを届ける存在として輝いています。大日如来の放つ光は、万物を育む宇宙のエネルギーそのものであり、それを受けた大地は目覚め、森羅万象に新たな息吹がもたらされるのです。
その四方には、生命の目覚めを象徴する菩薩たちが鎮座しています。
“観音菩薩”は、慈悲の風となり、冬の間に蓄えられたエネルギーを解き放ち、万物に春の恵みを届けています。その風は、草木の芽吹きを促し、凍てついた氷を解かし、生き物たちを覚醒へと導くのです。
“文殊菩薩”は、智慧の光となり、生命の躍動と成長を支えます。春の到来は混沌とした変化のときでもあります、文殊の智慧があることで、すべての存在は新たな道を見出し、調和を取りながら成長してゆきます。
“弥勒菩薩”は、未来を象徴し、これから花開く可能性と希望をもたらします。まだ芽吹かぬ蕾のなかにも無限の可能性が秘められているように、春はあらゆる始まりの兆しを抱えているのです。
“地蔵菩薩”は、大地の力そのものとして、種子が発芽するのを静かに見守っています。大地は決して語ることがありません。その奥深くでは冬の間に蓄えられた養分を流しこみ、新たな生命を支えるための準備が進んでいるのです。
そして周囲には、春の息吹を象徴する景色が広り、梅や桜の花がほころび、若葉が芽吹き、川のせせらぎが大地を潤し、小鳥たちが喜びの歌を響かせる。すべてはひとつの調和のもとに結びつき、宇宙的な再生のプロセスが精緻に描がかれているのです。
なにか、そのような映像が浮かんできたのです。
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胎蔵曼荼羅の世界観は、単なる仏教的象徴にとどまらず、生命そのものの営みを表しているのかもしれません。春の訪れを曼荼羅として捉えたとき、それはただの自然現象ではなく、人間も含む森羅万象と大いなるものの連綿たる内と外のつながりが描かれているという見方もできるのかもしれません。
何か“春”を観測する、ヒントになるでしょうか…。
*
歓喜は感覚によってもたらされる
“よろこびの歌”
晴れたる青空 ただよう雲よ
小鳥は歌えり 林に森に
こころはほがらか よろこびみちて
見かわす われらの明るき笑顔
花さく丘べに いこえる友よ
吹く風さわやか みなぎるひざし
こころは楽しく しあわせあふれ
ひびくは われらのよろこびの歌
ベートーヴェン『歓喜の歌』につけられた日本語歌詞です。春を予感させるなんとも美しい詞ですね。何か、心が、新たな循環へと向かってゆくような感じがしませんか。
この詩のなかに自分が存在しているのだという感覚によって喜びが満たされてゆくのでしょう。自然とのつながり、社会的なつながり、家族とのつながりによって感じさせられるものが心であり、そこから表現が溢れ出してゆくのでしょう。
あなたが今、ここに存在し
そこに光があり、感じ、喜びに満ちる美しさよ。
・
そして、喜びは、ただあなたの内にとどまるものではなく
響き合うことでさらに大きく膨らんでいくのかもしれません。
晴れた空を仰ぎながら、風のそよぎを感じ、花々の色彩に心をときめかせる。小鳥のさえずりが耳に届くとき、その声はまるで世界があなたに話しかけているかのように響く。こうした瞬間に、感覚は研ぎ澄まされ、ただ、“ここに在る”という事実そのものが歓びへと変わるのです。
また、その喜びは人とのつながりのなかでも深まっていく。みかわす笑顔、交わされるコトバ、共に奏でる歌や語り合う時間。春の陽光が差し込むように、人の温もりもまた、心を優しく照らし、互いの存在が喜びとなっていくのです。
こうして自然の内に、他者とのふれあいの内に、自分自身の心の内に、春の兆しを見出しながら、新たな生命の息吹を感じていきます。
いま、目の前に広がる世界を、どのように受け止めるのでしょうか
どのコトバで、感覚で、この季節を迎え、心に刻んでいくでしょうか。
光を感じ、風を受け、響き合いながら
この春、またひとつ、新しい自分へと生まれ変わる。
そのような瞬間を大切にしていきたいですね。
*
どこに具わるのか
ではそのような歓喜の心は、どこに具わっているのでしょうか。
頭でしょうか、心臓あたりでしょうか。
大昔の人は、子宮や男根にそれを感じていたそうです。たしかに赤ちゃんは子宮で育ちますし、女性の方はたしかにと頷かれるかもしれませんね。
そして、時代が過ぎ『古事記』が書かれた頃の人たちは、内蔵で感じていたそうです。非常に興味深いですよね。
子宮や男根にあった心が内臓にのぼり、さらにはそれが心臓にのぼり、そして頭にまでのぼってきてしまった。もうこれ以上、のぼるところはない。「心」が行き着くところまで上にのぼり、あらゆることを「脳」で考えるようになって、さまざまな問題を引き起こしているのではないか。
“心”がどこにあるのか、その答えは時代や文化によって異なるように、あなたが感じる“喜び”もまた、時代や文化、そして個人の経験によって異なる様相を呈するのかもしれません。
現代社会では、あなたは常に頭で考え、分析し、判断することが求められています。なぜなら、感じること=非生産的 という誤解が根付いてしまっているからです。
感性は一見、合理性が伴わず、成果につながりにくいため、非効率だと見なされがちです。その結果、心の奥底にある感覚や直感を無視し、表面的な思考に頼りがちな傾向にあるのではないでしょうか。
しかし、カラダで感じることこそが、
あなたを本当の意味で豊かにし、生き生きとさせる源泉なのですよ。
たとえば、美しい風景を目の前にしたとき、ただ頭で、“美しい”と判断するのではなく、心でその美しさを感じ、カラダの五感を通して、空気や光を“味わう”ことで、より深い感覚が得られるのです。
“腹落ち”や“肌感覚”などのコトバにもあるように、理解するだけでなく、あなたのカラダが受け止めている直観を信じることが大切なのです。わたしたちは、コトバにならない何かを、“胸が締め付けられる”と感じたり、“腹の底から湧きあがるような怒り”を抱いたりします。これらの表現が示すように、心は単なる脳内の電気信号ではなく、カラダ全体に宿るものかもしれません。
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さらに、超越的な意識との結びつきは、あなたの内に本来備わっているものなのです。人間の感受性は、時代とともに変わってきていますし、あなたが今現在に感じているものたちも、社会環境に適応するために、否応なしにそうなってしまっているのです。
しかしこれからは
脳で考えるのではなく、心で感じることからすべてが始まり
いきなり脳で考え始めてしまう悪い癖は早く治し
“感覚”する習慣が求められる時代になってきているのです。
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わたしたちは、“心が震えた”という表現を使います。それは、単なる思考の結果ではなく、感受性が開かれたときに起こる、カラダ全身を包み込むような経験です。澄みきった音楽を聴いたとき、自然の壮大な景色を目にしたとき、誰かの優しさに触れたとき、わたしたちは心の存在を強く実感します。
もし、それが脳のなかだけにあるのなら、人は理性によって世界を完全に理解し、すべてをコントロールできるはずです。しかし、現実はそうではありません。科学がどれだけ発展しても、いまだに、“愛”や“感動”、“美”などを明確に説明できていません。
頭で考えるだけでは、本質にたどり着けないのです。
では、心はどこに具えられているのでしょうか。
心は、脳のなかだけに閉じ込められるものではなく、全身に具わり息づくものであり、さらには大いなるもの、自然や宇宙とも響き合うものなのです。
頭で考えすぎず、心で感じる習慣によって、より豊かに生活できるはずです。
そう考えると、心は決して上に、“のぼる”ものではなく、
本来あるべき場所に“還る”ものなのかもしれません。
頭で積み重ねられた思考の階段を下りて、胸の鼓動に耳を傾け、丹田の温もりを感じる。そして、自分自身の奥深くにある“静けさ”と出会い、大いなるもののチカラによって具えらられた心の根源へと還る旅に出るのです。
そのとき、本当の意味での、
“思惟”を実感できるようになるのではないでしょうか。
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マンダラートへ
さて、今週は曼荼羅のイメージから話しを進めてきました。もうじき新しい時代の春を向かえるにあたって、ここまでの『こよみ』を振り返り、蓄えられた知識や経験を振り返り、それらを感性と結びつけ、創造的な活動へと昇華させる時期でもあるのかもしれませんね。
まるで大地が芽吹くように、あなたの学びもまた、
行動という形で花開くわけです。
このプロセスを9つの枠のマンダラートとして捉えたら
どうなるかを考えてみました。
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このプロセスを9つの枠のマンダラートとして捉えたたらどうなるかを考えてみました。中心にあるのは、『学び・感性・行動のマンダラ』というテーマです。知識や経験を活かし、自らの内なる力を磨き、実践を通じて新しい世界を表現していくのです。そのためには、以下の8つの要素が大切です。
中心にあるのは、『学び・感性・行動のマンダラ』というテーマです。知識や経験を活かし、自らの内なる力を磨き、実践を通じて新しい世界を表現していくの見立てにしました。そのためには、以下の8つの要素が大切になります。
①過去の学びを振り返る
すべての成長は、過去の学びから始まる。読書を通じて得た知識、体験のなかで培った感覚、研究による探求心、対話から生まれた気づき。これらをもう一度みつめ直し、あなたが出来るコトではなく、何が大切なのかを整理することで、将来への方向性がみえてきます。
②感性を鍛えるトレーニング
学びは知識だけではなく、感性とともに育まれる。自然のなかで五感を研ぎ澄ませ、アートや音楽に触れてインスピレーションを受ける。瞑想を通じて心の静けさに耳を傾ける。こうしたトレーニングは、知識を単なる情報の集積ではなく、表現力を高める土壌となります。
③直感を信じる
知的思考と感性を感覚することは、対極にあるようでいて、実は互いに補完し合う関係です。論理的に物事を整理しながらも、ふと湧きあがる直感を無視しないこと。無理にコトバにせず、合理性と感覚のバランスをとることで、より深い洞察力が育まれます。
④自分の持ち味をみつける
新しいことに挑戦する前に、あなたの得意なことや好奇心が湧く領域を知ることが大切になります。どのような学びが心を動かしたのか、どの瞬間にシンクロが起こり、ワクワクしたのかを思い出していただけますでしょうか。そこに、あなたの持ち味が宿るのです。
⑤実験と試行を繰り返す
思いついたことを小さく試し、フィードバックを得ながら進化させていく。完璧を求めるよりも、まずは動き出し、調整しながら成長していくことが重要になるのです。とにかくまずは、スケジューリングをしてみましょう。
⑥他者と共有し、対話する
学びや気づきを他者と共有することで、自分では、みえていなかった視点が生まれます。仲間やメンターとの対話は、自分だけでは発見できなかった可能性を引き出し、新たな道を開くきっかけとなるのです。
⑦体系化してカタチにする
得た知識や経験を、単なる断片ではなく、ひとつのカタチとしてまとめあげること。文章や作品、プロジェクトという型に落とし込み、表現することで冷静な判断ができるようになり、次に活かせるようになります、学びが真に自分のものとなるのですね。
⑧行動に落とし込む
最後に、それらの学びを具体的な行動習慣へとつなげてゆきましょう。小さな実践を積み重ね、やがて継続的な取り組みへと育てていくのです。プロジェクトとしての行動に移すことで、学びは単なる知識ではなく、現実世界に息づくものとなるのです。
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このように『学び・感性・行動のマンダラ』は、春の息吹とともに、あなたの内面を目覚めさせ、純度の高いエネルギーへと変えてくれるかもしれませんね。知識を蓄えるだけでなく、それらを感性と結びつけ、行動へと落とし込む実践が必要だと思うのです。
おそらく、こういった活動も、いのちの宿命なのですよ、
思ってしまったら失敗を恐れず表現してみる、
の繰り返しですよね。
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そうすることで
あなたの内に心が息づき
感覚する人生へと
変容してゆくことを祈っております。
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シュタイナーさん
ありがとう
では、また
Yuki KATANO(ユキ・カタノ)
2025/2/23