ゆうき
1歳2ヶ月になり、言葉をまねるスキルが向上した。また、新たな発語も繰り返し伝えることによって真似をすることができるようになってきた。ここ1ヶ月間の変化は今までより大きく感じる。 マイブームは「はい!」最近は「はい!」と言うのが好きなようで、名前を呼んだ時やこちたろうに何かを渡すとき、こちたろうからこちらに何かを渡してくる時に「はい!」と喋る。はい、はい、はい。とかなりはっきり発語するので見た目からのギャップで面白い。 「あーてーて」が万能なことに気づいたこちたろうの中でと
リモコンの位置決まってますか? リモコンは机の定位置に置き、スマホはその右側に置き、リモコンとスマホの間は約1cmにします。玄関の靴は常に1足だけ出している状態です。お風呂の洗面器は壁に斜めに立てかけ、お風呂用のタオルは使いません。お風呂用の掃除道具は毎回水を切り、洗面所の定位置に片付けます。ハンガーは同じデザインのものを使い、タオルもメーカーは同じ(色は様々)です。 そんな私が整理整頓を手放す決断と、その経過をお話しします。 あるあるなきっかけですが、最大の転機は結婚
集中して文章を書きたいときには大抵マクドナルドに行く。自宅で作業をしているとデスクにおいてあるNintendo Switchから「スプラトゥーンをやれ」という声が聞こえてくるので、自宅ではほぼ文章は書けない。 その分マクドナルドは適度な音とゲームができない環境のため、文章作成に集中することができる。周囲の会話も文章を書くヒントになったりする。 広報誌作成やWEBサイトのディレクションなど、メディアを通じて人に何かを伝える仕事になってからかれこれ3年になるが、一向に良い文章
1歳を超えて日本語として理解できる言葉を使い出すまではあと一歩の状態だ。恐らくこちたろうの中では具体的な意味を込めて言葉を発しているように思う。 ついに「おかあちゃん」と喋った!より具体的に記載すると「おたーたん」なのだが、明らかに母親に対してその言葉を使うようになった。我が家には3歳になる娘がいるのだが、長女に対しては「おてーたん」と言っている。こちたろうが誰を呼んでいるのかはっきりとわかるようになった。 「ばーちゃん」も喋るようになっているが、「おとーたん」はまだであ
普段から何かを考えてそれを文章や言葉にして伝える仕事を主に行っているが、今日は私の頭の中がどのようになっているのか言語化をしてみる。 言語化してみようと思ったきっかけは、友人と話をしていてどうやら私の頭の中がぐっちゃぐちゃらしいことが分かったからだ。今も別の事を考えながらこの文章を書いている。 並列思考というよりは、集中してひとつの事を考えられないという方が表現としてしっくりくる。なので、頭のなかで何が起こっているのか具体的にしてみることにした。 まずはこの文章を書いて
「ママ」と意味の理解できる言葉を発するようになってきたように思えたが、我が家では上の子が母親のことを「おかあちゃん」と呼ぶので決してそんなことはなかった。 明らかに言葉でコミュニケーションを取ろうとしている11ヵ月の時と現象自体は同じだが、何かしらの発声をつかってコミュニケーションを取ろうとしている。誰かを呼ぶ時には床をバンバンしながら「うぁーい」と大きな声を出して呼ぶ。 11ヵ月頃から「こちたろう」と呼ぶとこちらを向くことが定着してきたようだ。とてもかわいい。 言葉の
長女が引いた風邪を妻がもらい、妻がもらった風邪を二女がもらい、二女は体内でウイルスを培養しわたしにうつす。しんどいぞ。
30歳年上のソロキャンパー。趣味のキャンプは歳を重ねるにつれ、徐々にソロになっていった。週末に炭火で作るコーヒとパン。憧れ。
お店のたこ焼きは8個でお腹いっぱいになるのに、家で作るたこ焼きは20個くらい楽に食べられる不思議。
生後11ヶ月になり意味は理解できないが、こちらの問いかけに対して反応をするようになり、話しかけて来るようになった。抱っこをしていると「なんなんなんなん」と言いながら顔をバシバシ叩いてくる。痛い。 新しいくできた発声は特にない新しい発声はないが、文頭で記述した様にこちらの問いかけに対してコミュニケーションが取れるようになってきた。 例えばこちらろうがおもちゃで遊んでいる時におもちゃを取ると「なんなんなんなん」「うぁーい」と言って怒る。 親が視界から消えると「きやぁー」と言
21時に子供を寝かしつけてそのまま一緒に寝てしまうので、いっそのこと21時に寝て朝4時起きにしてしまえばよい。と思いつつ7時に目が覚める。
雑念を排して集中すれば夏の暑さなど感じない。 決して私の座ったベンチの色が変わったのは、汗をかいているからではない。
引き出しの中には賞味期限の切れたインスタントコーヒーや数日使ったマスクが入っている。今日も部屋は綺麗だ。
今日で最後だろうか。離乳食をあげながら、電子レンジで煮沸消毒される哺乳瓶。いつかくる最後の消毒に、感じるのは寂しさか、嬉しさか。
酷暑の中、ショッピングモールにあるわんぱく広場で遊ぶ子供たち。近くに座りスマホを触る保護者たち。それぞれの視線にはなにが映るのか。
以前読んだ本にこんな一節があった。 「結局他人はなにを考えているかはわからないから気にするだけ無駄である」 私はまわりの声や視線にとても敏感だ。 書くとキリがないがこんなことを気にしながら生活している。 人によっては「気にするだけ無駄だよ」という人もいるが、共感してくれる人もいるのでは。 そして普段からゲームの3人称視点のように、俯瞰で自分が自分を見ている。 自分を自分がコントロールしながら、まわりによく見られるように行動させる。 まさにRPGを想像してもらうとそれにか