紫のゆかりの話
はぁい、ゆかりです🙋♀️
受講中の新しい星読みの学校コミュニティで、モニターセッションを受けました。
ヘリオ星読みと名前の言霊を筆文字にしてくださるというオリジナルスタイル。
子どもの頃、自分の名前の由来について父に訊ねたことを思い出し、note記事を書こうというきっかけをいただきました。
【名前にまつわるエトセトラ】
私の名前は戸籍上、「髙島紫」と書きます。
「髙」という字は旧字体のため、常用では「高」を使うことが多いです。
学生の頃、テストで最初に名前を書きますよね?
どの字も画数が非常に多く、鉛筆の名前を書く「カッカッ」というあの音。
いつも私が最後まで鳴らしていました。
非常に気になって仕方なかったという記憶が、未だにあります。
また「紫」という名前。
小学生の時は、「エロ」「欲求不満」と男子に揶揄われまくっていました。
「ゆかり」という響きも、女子にありがちな一般的な名前で、気に入っていた、とあまり感じていなかったように思います。
総じて、幼い頃の私は、自分の名前にあまり愛情や感謝を抱いていなかったように振り返ります。
【名前の由来 -両親のはなし-】
小学校高学年か中学生の頃、10代前半だったと思いますが。
自分の名前の由来を両親に尋ねてみました。
父が名付け親です。
その時の回答ですが、「藤原のなんとかって人の歌からとった。」と。
歌人の名前や、短歌の全文を尋ねるも「忘れた。」との返答。
その頃は今のように、インターネットでなんでも簡単に調べられる、ということはなく(だって、我が家にネット回線なかったしね)。
スマホはおろか、前身であるPHSやポケベルも当時持っていません。
いつか調べてみよう、とその時に思ったその感覚は、時とともにすっかり忘却の彼方へ。
母曰く、私の名前にもう一つ、候補があったそうです。
「舞子」と迷った、と。
却下になった理由は、地名や駅名に「舞子」があるから、と。
神戸住みの人の発想なのですが。
もし「髙島舞子」であったなら、私の人生は今とは別ルートを通っていたのだろうなぁ、と考えても分からないことに時折思いを馳せてみるのです。
【名前の由来を調べるきっかけ】
さて、時を経て、今。
8月になると、いつも考えることがあります。
日本に生まれて、戦後に生まれて。
原爆や終戦という言葉に触れる機会が一番多いのが、8月です。
お盆の風習もこの8月にあります。
このことだけではないですが、どうしても考えること。
大きな出来事があって、祖父母が戦争で生き延びて、父母が誕生したこと。
だから私が今ここに在ること。
ほんの少し、何かがちょっとだけでも、ズレていたら?
私はきっと今ここに、居ない。
誰しも一人で存在することはできなくて、いのちのバトンをつないでいただいて、今ここに在る。
私も何かおおきなものの一部なんだな、と改めて感じます。
そして、モニターセッションにて。
名前の由来のお話をお伝えしていないにもかかわらず、
「恐らくこちらの詠み人しらずの歌が由来だと思います。」
とある歌を教えていただく、という体験をしました。
【名前の由来になった一首とエトセトラ】
で、その歌とは、こちら。
古今和歌集の中でも有名歌と言われているので、父も見たかも知れないな、という見立てが成り立ちました。
『紫(むらさき)の 一本(ひともと)ゆゑに 武蔵野の
草はみながら あはれとぞ見る』
出典:古今 雑上 867 詠み人知らず
訳:たった一株の美しい紫草があるために、武蔵野に生えている草は全ていとおしく思われる。
注釈:紫草を恋人に見立て、その人に縁(ゆかり)にある人は皆、大切に思うとされ、縁の語源となった歌でもある。
紫式部著「源氏物語」で光源氏が若紫(紫の上)に贈った歌、
『ねは見ねど あはれとぞ思ふ 武蔵野の
露分けわぶる 草のゆかりを』
はこの歌を本歌取りとしている。
古今和歌集から約100年後に成立した源氏物語であるが、当時の知識人は古今を暗唱できて当然とされたことによる根拠である。
「紫のゆかりの物語」の源泉とされる。
紫草は「ムラサキ」と呼ばれる東アジア原産、ムラサキ科の多年草。
夏に白い小花を付ける。
赤紫色の根は「シコン」と呼ばれ、染料や漢方に使用されていた。
平安時代から紫色は高貴な色とされ、貴族のみ使用することを許された。
武蔵野は今の東京都と埼玉県にまたがる地域。
【私の名前の持つ意味】
モニターセッションでは言霊の説明もしてくださりました。
ひらがなのもつ「ゆかり」の意味は以下。
内面の愛から癒しのエネルギーを周囲に与えて、他者のエネルギー循環を強める。
穏やかだが、譲らず揺らがずな芯が強く、努力を惜しまない性質を持つ。
負けず嫌いで人の背中を押すが、極端に性質が強まると突っ走りがちになり激しい喜怒哀楽のエネルギーで独りよがりになるので注意。
繊細な美的センスに恵まれている。
漢字の「紫」の意味としては以下。
高貴な色とされ、カリスマ性やスピリチュアル性を表す。
赤と青を混ぜて作られる色ということにより、物事には真逆の性質を持つものが同時に共存するという本質を、世界観として内包している。
とすると逆に、矛盾を感じやすく葛藤を抱きやすいという一面も抱える、とも言えそうだ。
【結びに】
名前は、自分が生まれてからいただくものですが。
その名を呼ばれる度に、その名が表すような人物になっていく、と言われています。
私が現在学習中の「誕名学」では、生年月日は変えることの出来ないいわば宿命、名前は親から最初にいただく呪いのようなもの、と習いました。
両親が名付けの時に、呪いをかける、という意味ではもちろんありません。
ただそこに念や祈りや希望や期待や幸せになって欲しいという祈りが、エネルギーとして生じて、子に影響を与えていくのです。
私たちは目に見える科学的なもののみ「正しい」こととして学んできたかもしれません。
昭和生まれで昭和時代に義務教育を受けてきた、私たち「間の世代」(バブル世代とゆとり世代の間の子どもたちのこと)にとって、学校や家庭の教育環境はそんな感じだったという記憶があります。
その考えに反しては、すでに生きづらい自分が余計に生きづらくなる、というリスク回避本能を遺憾なく発揮して、本来の自分の現実や世界観を無理くり抑えつけて生きていたように思います。
その同調圧力は、時代が平成になり令和に移行した現在でも、色濃く残っていることに、一抹の哀愁すら感じる今日この頃です。
ま、そんな話はまた別の機会にでも。
で、話を名前に戻しましょう。
今の私は、自分の名前をとてもいとおしく思い、この名をいただいたことに感謝を覚えています。
この名前をいただいたことで、幼少期のあれこれや今の自分の状態にも、分析して腹落ちの納得感を得ています。
今の私ですが、実は2ヶ月ほど前に、パラダイムシフトが起こっていることに気づきました。
ずっと生きづらくて、苦しみや辛さの現実の中にいて。
でもそれは、全て自分の認知で創り出していたこと、しかもその苦しい世界に自らが望んで留まっていた、ということも腹落ち体感の理解を得ています。
思考型の私ですが、過度な分析力で言いくるめたり言い聞かせたりしているわけでもない、ということを現在学んでいるメソッドの講義中に、客観的にも示されました。
私は私の最適なタイミングで、癒しの最終章に突入できているようです。
ですが、まだまだ「完了!」とは言えないな。
今社会に出ていない分、ストレスが人生最大に少ない状態です。
今この時に、しっかりと自分という根っこを地球に根ざしてしなやかで折れない自分軸を獲得していきたいな、というところ。
フラット、ニュートラルの自分の帯(範囲)を日々拡げていける今の自分と環境と、周りの人たちに改めて感謝、そんな日々です。
最後まで読んでくださり、誠にありがとうございます。
今回、自分の名前の由来を改めて調べることで、さまざまな視座や視点や視野で自分を見つめて、魂の色を深めていくことができました。
自分の名前を好きだな、ありがたいな、と思える自分が在ることに、ただ感謝。
私はただの私で、何をしても何をしなくても、ここに居ていい。
あなたもただのあなたで、何をしても何をしなくても、ここに居てくれて嬉しいです。
ありがとうございます。
社会的にも天候も、稀有な状況を呈する日々ではありますが。
あなたの抱える生きづらさや不安に小さな羽根が生えて、ふんわりと飛び立てますように。
その準備をあなたがご自身で選択して進めていくことができますように。
今日も感謝!