サウナでととのえる 心の調律
「ととのう」という言葉を聞いたことがないサウナ好きを探す方が難しくない昨今ですが、この「ととのう」はプロサウナー 濡れ頭巾ちゃんによって提言された言葉で「整う・調う・斉う」の意味を持つ言葉です。
濡れ頭巾ちゃんいわく、サウナのあとの穏やかな心地よさを表そうと思った時に自然と出てきた言葉。「脈拍が斉う」「精神のバランスが調う」「準備が整う」などの"ととのう"の総称がサウナーに広まった。
(出典:【東京ウォーカー】今話題!生みの親に聞いた。サウナで“ととのう”って?)
また、濡れ頭巾ちゃんはサ道の作者「タナカカツキ」氏との対談でサウナに対してこのように述べています。
僕自身は、サウナは単に温浴して汗を流すだけのものではなく、もっと根源的なものだと思っています。それは何かと言うと、「自分に還る」ということなんです。
(出典:マンガ家/映像作家・タナカカツキさんが、サウナ愛好家・濡れ頭巾ちゃんさんに聞く、「いまサウナに行くべき理由」|INTERVIEW|Qonversations)
「ととのう」とは自分という存在が「元の自分へと戻る」状態であり、自身の中にある芯があるべき所に整理され調律されることを表現した言葉と言えます。
「リフレッシュ」や「ストレス解消」という言葉だけでは言い表すことができない状態を表すのに「ととのう」という言葉はピッタリであるとタナカカツキ氏もインタビュー内で仰っていました。
また、サウナ室という特殊な空間と「ととのう」という状態を掛け合わせて、自身と向き合う瞑想や禅と組み合わさり、精神的な一面で注目され「サウナ×マインドフルネス」や「サウナ×禅」という掛け合わせでコンテンツが生まれ出しました。
しかし、マインドフルネスと禅は似て非なるもので、同じような瞑想法でも目指すゴールが「内側か外側か」で異なります。
サウナは自身と向き合いやすい環境であり、サウナ室⇨水風呂⇨休憩のルーティンの中で自然と内側の感情と対話することで「心の調律」へと繋がります。
今回は心の調律へと繋がる「マインドフルネス」と「禅」に対して述べさせていただきます。
サウナとマインドフルネス
「マインドフルネス」と言う言葉を聞いたことがある方は多いのではないでしょうか?
マインドフルネスは「現在自身に起こっている内面的な経験および外的な経験をあるがままにとらえ、目の前で起こっている事実を受け止めることで結果として衝動的な反応を抑制すること」を指します。
このマインドフルネスという考えは自身と向き合い「無意識に沸き起こるネガティブな感情」や「未来に起こりうるネガティブな感情」によって感情的な生産性のない衝動を抑え、目の前の仕事に集中する手法です。
Googleでも取り上げられているマインドフルネスはありのままの自分を受け入れるという状態へ到達するには、それ相応の修行と高い精神力が求められます。
マインドフルネスの開発と瞑想が結びついたのはマサチューセッツ大学医学大学院教授のジョン・カバット・ジンが曹洞宗の禅をヒントにマインドフルネス瞑想を提唱したことで広まりました。
マインドフルネス瞑想は「今に対して意図的に意識を向け、過去の感情や未来の憶測で価値判断をせず、ありのままに全て受け入れている状態」へと到達するため瞑想によって意識をコントロールし「今」の一点に呼吸を集中させることでマインドフルネスの状態へと向かわせる方法です。
マインドフルネスへ向かうには脳のトレーニングが必要になりますが、サウナはマインドフルネス瞑想をしやすい環境として注目されています。
マインドフルネス瞑想のやり方
・深い呼吸ができるように背筋が伸ばせる座り方をする
・肩の力を抜いて目を閉じる、または半目にする
・自分の呼吸に注意を向ける
★雑念が湧いて注意がそれた際に、注意が逸れたことに乱されず、呼吸に注意を戻して雑念に対して俯瞰する。
マインドフルネス瞑想では「今この瞬間」に集中する必要があるため雑念を抱きやすい環境では「集中」することが難しい特徴があります。
スマートフォンが手元にあると気になってしまうし、テレビがあれば気になって見てしまう、手元に雑誌があればつい手を伸ばしてしまうし、他にも「ムズムズ」してしまう要素が多いため5分でも集中することは難しいです。
その点サウナは「強制的にデジタルデトックス」の状態となり、何もない空間でジーっと座ります。
サウナ室にいると汗の流れ、心拍数の上昇、血流が良くなり体中に駆け回る感覚に意識が向き「雑念」から一歩引いて俯瞰的に眺めやすくなります。
★TVのないサウナ室を選ぶことで視覚情報からも離れることができるため、個人的にはTVなしのサウナ室がオススメです。
マインドフルネス瞑想は「情動と行動の分離」を目的とする瞑想なので「心を空っぽにする」のではなく、あくまで「過去や未来への不安に左右されるのではなく、今この瞬間にフォーカスを当てて生きる」ことへマインドを変換させる修行法です。
サウナの持つ「ととのう」という「自身に還る」という状態はマインドフルネス瞑想に通づるものがあり、自身を俯瞰的に見て「ネガティブな感情」や「ストレス」から解放されることで「今に集中」することができます。
サウナとマインドフルネスは相性が良いこともあり今後も一緒に語られることになると思います。
サウナと禅
禅語の中に「身心脱落(しんじんだつらく)」という言葉があります。
この言葉は曹洞宗を開いた禅僧「道元」の言葉で「心身本来の姿に立ち戻ること」という意味で「心と身体につきまとう束縛から解放される」状態になります。
座禅はマインドフルネス瞑想と同じ「瞑想法」の一種ですが向かう方向性が異なり「俯瞰して受け入れる」のではなく「内側の煩悩から解放」されることを目的としています。
道元は心身脱落によって悟りを開いたと言い伝えられていますが、その悟りを開くために行うために「只管打坐(しかんたざ)」という言葉も残しています。
この言葉は「ひたすら座禅すること」という意味で、「悟りを開く」のような目的を持たずに「ただひたすら座禅し続ける」ことを指します。
座禅のやり方
・背筋を真っ直ぐ伸ばし、あぐらを組む
※呼吸しやすい姿勢であればあぐらでなくとも良い
・見開かず細めず自然に開き、斜め45度下の角度を見つめる
・静かに大きく深呼吸を数回する
・その後、静かにゆっくりと、鼻からの呼吸に任せる
・身体を揺らし、左右どちらにも傾かない位置で静止し、坐相をまっすぐに正しく落ちつかせる
★頭に思い浮かぶ雑念をそのまま客観的に眺め、雑念はそのまま置いておき、体と息を調えて座る。
「心を空っぽにし、雑念を俯瞰して眺め、座り続ける」状態は、サウナ室でジッと座り続けるサウナと近く、サウナは座禅との相性が良い環境です。
実はサウナと座禅の相性が良いことに対して、歴史的に証明されている部分があります。
日本の入浴の歴史を紐解くと、古代より蒸気浴に近い文化があったと言われていますが、仏教が日本に渡来したタイミングに蒸し風呂(サウナ)が普及しました。
法隆寺にも蒸し風呂があったとされ、「仏説洗浴衆僧経」というお経の中には、入浴や蒸気浴で体を健康に保ち、身を清める教えが記されています。
蒸し風呂は寺に専用の浴室があったと記録が残っていることから、座禅と蒸気浴の繋がりは近かったと思われます。
このサウナとも相性の良い、座禅の発想から生まれたサウナ専用クッション「ZAF SAUNA」も開発され話題になったように「サウナと座禅」には親密な関係があります。
2017年に開業した「ZEN VAGUE」は禅にインスピレーションを受けたサウナ施設です。
「サウナ師匠」ことTTNEの秋山大輔氏によってプロデュースされたZEN VAGUEは鎌倉に残る禅文化とサウナを融合させたコンセプトで、バレルサウナから眺める景色を眺めながら心を空っぽにし、座禅を組むことができます。
座禅もマインドフルネス瞑想も同じ「呼吸」を重視し、内側の自分と対面し、自身を俯瞰して見つめる瞑想法ですが、着地する場所が異なります。
マインドフルネス瞑想は「マインドフルネスの状態」へ到達するための瞑想方法で「マインドフルネスによって得られる効果」を求めてやる外側へ向かう瞑想です。
座禅は「何かを得るため」に行うのではなく、「自然とそうなった」という利益を求めない瞑想法です。
何か得ようとして瞑想するのではなく、瞑想をすることが目的なのが「座禅」になるため、サウナに当てはめると「何も考えずにサウナに入ること」になるため気楽さがあります。
サウナで心を落ち着かせ、自身と向き合うことで邪念と対話することで心の調律が行われ、結果的にストレスからの解放や精神的負担の軽減が期待できます。
目的をどこに置くかで楽しみ方も変わる
サウナに入る時に「何かを得る」ために入るサウナは「マインドフルネス瞑想」に近く、「サウナに入ることが目的」のサウナは「座禅」に近いです。
同じサウナ浴でも捉え方次第で楽しみ方も目的も変わります。
一見同じ入浴スタイルでも個人個人で目的が異なり、向かうべき方向性は違ども、結果的には「心の調律」へと繋がり、「ととのう」へと到達します。
何も考えずに無心になれる「サウナ」
2021年もサウナで心をととのえて気持ち良く1年を過ごしたいと思います。