やまざき たいすけ
幼少期の頃からを振り返りながら、その記憶の断片を繋ぎ合わせることで得られる何かがあると信じて。そして、ふつうの人間であるぼくにも固有の喜怒哀楽の変遷があることが、誰かの癒しになると信じている。
今、この瞬間、宙に投げ出されたことばは、どこに落ちるのだろうか。 歌、唄、詩、うた・・・。 そのことについて考えるとき、必ずついてくるのは、ことばと身体性との関係だ。 自分で何か声を、ことばを発するとき。 誰かのことばやうたを詠むとき。 自分の声、ことばは、このからだを通って出てくる。 何かを言おうと、声を発しようと試みるそのとき、からだは準備する。 そのようにして生み出された声やことばは、どんな風に聞こえるだろうか。 どんな響きを持ち、どんな風に鳴るだろうか
僕は今30歳です。日頃、あまり年齢を意識することはありませんが、何かの指標になるとも思うので、はじめに言っておきます。 僕は、今まで色んな人を傷つけてきました。 それは、果たして特性なのか、環境からなのか、性格なのか、もはや何が原因とかはわからないですが、たくさんの人を傷つけてきたことは事実です。 自分が悪いのか、育てた親が悪いのか、これまでの環境のせいなのか、こんな社会のせいなのか、もはや誰が悪いとかも言えません。 その分、傷つけられてもきました。ひどい言葉を浴びせら
髪が伸びました。 ✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎ 昔から「真面目すぎる」「考えすぎ」と言われ続けそれなりに経ちますが、最近は自虐的にならずに、前向きにこの“問題”と向き合えるようになってきました。 “普通”だったらスルーするようなことに対して、それぞれひとつずつに延々と悩み、考え、ときには疑心暗鬼や不安に苛まれ、ときにはとんでもないことを閃いたとばかりに自画自賛してハイになり、そんなことをぐるぐる、ぐるぐると循環しながら日々を過ごし
揺れるカーテン 隙間から覗く 目が覚めて 天井を眺める こんなに大きかったか あの日見ていたシミは 土の匂い 駆け抜けて 風を切る どこまでも 鼓動と手触りだけが 唯一の頼りだった 硬い足音 高く響き 感触は冷たい 乾いた空気 寂れたまま ずっと彷徨っている いつまでも いつまでも 軋む足音 低く鳴り 寝転べば懐かしい 湿った蒸気 もくもくと ただそこにある いつまでも いつまでも 無骨な装い 画一的 おもちゃみたいに にょきにょきと 生えてきたのか 鉄筋コンクリ
なかなか思い切ったタイトルです。 自分でも驚いています。だって、そんなものは存在しないのですから。 タイトルから期待された方、すみません。 でも、もしよければ、ちょっとだけぼくの話を聴いてください。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー そもそも、何を以て失敗か成功かの判断をくだすのでしょうか。 簡易なことばにすれば できたか、できなかったか ということですよね。 例えば、逆上がりをするとする。なんでこれかは、今思いついたからです。 思いついたことは
仕事柄(やいたいことの性質上?)子どもたちと接することが多い。 大学院時代の実習なども含め、乳幼児~高校生くらいまで、一般に子どもと呼ばれる年代とは分け隔てなく。 その中で、今日感じたことがあるので、ここに残しておきたい。 今日は、隔週で参加している学習塾兼子ども食堂のようなところのボランティアに行ってきたのだが、まだ2回目なので、そんなに子どもたちとも親しくない関係性にある。 みんな、ぼくのことを覚えている(顔は見たことあるな、くらい)様子ではあったが、どういう距離
最近、坂口恭平さんの著書を片っ端から読むほどハマってるんだけど、この人は本当に不思議だ。 無茶苦茶で、とても人間臭くて、自分の中身を全て曝け出している。常に今をもがきながら生きてる。生きようとしてる。その姿がとても美しくて、気づいたらその人のことを好きになってしまっていた。たぶん共鳴するところもあるからだと思う。 恭平さんは著書「まとまらない人」の中で『自分がかっこいいと思う音楽と、自分の中から自然と湧き出てくる音楽のイメージが全然違う』
『back to the future』を観た。 なんやこの映画…しかもラスト… 興奮冷めやらず。 個人的に好きなシーンについて。 ※多少ネタバレになります 終盤、マーティがJAZZバンドに混じってギターを演奏するところ。 マーティは自分が生きている時代で音楽をしているけれど、なかなか受け入れてもらえない。 先生からは冴えない父親と比べられ「お前もあの男と同じように、何も成し遂げることはできない。諦めろ」と言われてしまう始末。 本当は誰よりも
電車の窓から外を見る。 次々と移り変わっていく田園風景と住宅街。 ふと視線をズラせば、反射して映った車内が見える。 なんだか、ふたつの世界が交差しているような気がして、不思議な気持ちだ。同じ時間、同じ瞬間にどちらも平等にそこに在るのに、片や静かにただ流れていき、片や動的にリアルが垣間見える。ルビンの壺のように、主体と背景が裏返ったような。 実際に見えるものが背景になり、窓に反射したものが主体になり得る。とても面白い現象だ。 外から見れば同じように風景になる電車と畑や家なの
2020年7月5日。東京都の都知事選がありました。 結果は小池百合子さんが続投。 投票率は55%ほどらしいです。 選挙のやり方如何に関しては、今回はコメントしません。 今回ここで書きたいのは、ぼくのような若い世代(20代~30代)や、たくさんの子どもたちが、これから生きていく社会をどう自分たちで作っていくのか?ということです。 政治って言われると、なんだか難しいこと、お堅いことってイメージや、もしくは、少しカルトっぽいとか、触れてはいけない話題みたいになっていること
ぼくの小学校では、学校で調理して出てくるタイプの給食だった。 今も小学校はそういうところが多いのかな、どうなんだろう。 かならず毎日牛乳がついてきて、カンカン叩くといい音の鳴る、あのなんともいえない玉虫色の器で出てくる給食。 なぜかコッペパンはぱさぱさで、ぽろぽろとこぼれるので、ひっそり給食袋に入れて持って帰るときなんかは中で暴れて大変だった。 小学校の給食というと、嫌いなものが誰にもひとつかふたつはあるんじゃないかと勝手に思っているんだけど、ぼくにとっては”ぶどうパ
小学校に入学した。ピカピカの一年生…だったかはわからない。 共働き家庭に生まれたぼくは、小学校に上がっても家に人がいないので、7歳の頃から毎日バスを乗り継いで別の地区の学童保育に通っていた。 当時は、ぼくが所属する小学校にはまだ学童がなかったからだ。 今思えば、とんでもなく物忘れが激しく抜けているぼくからすると、本当によくやっていた。今のぼくから褒めてあげたい。 小学校低学年時代を一言で表すと、”引っ込み思案”だと思う。 授業が始まり、先生が「この問題分かる人ー!」
あれは暑い夏の日だった。 病院の廊下に置いてあるベンチで父親と待ちながら、ぺろぺろとバニラ味の棒アイスを食べていたことは不思議と覚えている。 そのとき、母親の身体からもう一人、弟になる人間が生まれてくることをぼくが理解していたかどうかはわからないが、大きな産声が聞こえてきても、きっと美味しそうにアイスクリームを食べ続けていたんだろうと思う。 弟は、いわゆる”低体重児””未熟児”として生まれてきた。 母親の身体から出てきてすぐ、まだこの世界の空気を少しだけ肺に吸い込み声
幼少期の記憶が、あまりない。 3歳以前の記憶がないことは、一般的によくあることだと知られているが、ぼくには、子どものときに楽しかった思い出とか、あのときのあの瞬間は忘れられないといった、サイダーに入ったビー玉に太陽の光が反射して、細かい気泡と虹色の模様が輝いて見えるような、そういった類のものはあまりない。 ぼくは、1991年10月に生まれた。長男だった。 親は共働きで、聞いたところによると運命的な出会いだったらしい。 海外旅行でたまたま出会ってスピード婚…といった感じ
みなさん、こんにちは。山崎たいすけです。 名前の漢字が読みにくいので、ひらがなにしてます。 ほんとは泰亮と書きます。一応。 前のnoteにもチラッと書いてたんですけど、やっとまとまった時間が取れそうなので、勝手に自分のことをつらつらと書いてみようかなと。 正直、これは誰のためでもなく自分のためだし、商業用に良いものを書こうとか、そういうモチベーションは一切ありません。 ただ、自分がこれまで生きてきた道のりを、文章として残したいだけ。 そして、それを自分の中だけに留
京都市長選挙が、終わりました。 結果は門川さん続投。 思うところは色々ありますが、今後は政策をきちっと読んで、これからの京都市をどうしていくのか、しっかり監視していかないとダメだなと感じています。 みんな、同じように毎日生きている。 必死に身を粉にして。 観光産業で経済を回すのも大切だとは思いますが、それによって疲弊している市民やお店の声もしっかりと受け止めてほしいし、需要があるなら企業が参入してくるので、あまり政府が介入しなくてもよいとぼくは思います。