幼少期①
幼少期の記憶が、あまりない。
3歳以前の記憶がないことは、一般的によくあることだと知られているが、ぼくには、子どものときに楽しかった思い出とか、あのときのあの瞬間は忘れられないといった、サイダーに入ったビー玉に太陽の光が反射して、細かい気泡と虹色の模様が輝いて見えるような、そういった類のものはあまりない。
ぼくは、1991年10月に生まれた。長男だった。
親は共働きで、聞いたところによると運命的な出会いだったらしい。
海外旅行でたまたま出会ってスピード婚…といった感じだ。
そして、今のぼくと同じくらいの年齢、27歳か28歳か、それくらいのときに母はぼくを生んだ。
親は2人とも教師で、今はどうかわからないけど、当時、先生の子どもは優先的に保育園に預けられたみたいなので、0歳から保育園デビューを果たした。
大きな赤ちゃん用ベッドにタイヤがついたようなもので、よく昼間の公園をぞろぞろと乳児たちがお散歩に出る、といった光景がまだ日常茶飯事だった時代。ぼくもそこに乗る可愛らしいこどもの一人だった。
幼少期のことを知る手掛かりは、数少なく残されていたビデオと、保育園の先生が書き残した記録帳くらいなものだった。
なにをして遊んで、なにが好きだったとか、そういうのをほとんど覚えていないので、どんなこどもだったかを記すことができないのが残念だけど、一つだけはっきりと覚えていることがある。
あれは、たぶん4,5歳のときだった。
当時、移動動物園というのが毎年あって、動物園からいくらかの動物たちを飼育委員さんたちがトラックに載せて連れてきてくれた。
結構大きな動物から、うさぎやハムスターといった小動物まで、バリエーションは豊富だったように思う。
その中で、ぼくが一際興味を持ったのが、ラマだった。
あの、ロバともウマとも、なんともいえないフォルムと可愛らしさを持つ生き物に、ぼくは関心を示した。割と大きな柵の中にいた。
しかし、その関心の示し方が天邪鬼だったようで、まるで小学生の男の子が、好きな女の子にちょっかいをかけるみたいに、直接触るのが怖いのか、小石をサッと投げてみて反応を見ながら近づく、という手法を当時のぼくはとった。
※くれぐれも、動物に石を投げるなど動物虐待をしないようにお願いします
案の定、吉よりも凶と出てしまった。
ラマが入っている柵を越えてはこないだろうと高を括っていたのが仇となり、なんとラマがその柵を乗り越えてきたのだ。
呆気にとられた僕は、必死の形相で逃げていく。
おそらく、人生で思い切り逃げたのは、後にも先にもこれが最初で最後だったような気がする。
どんどん追いかけてくるラマ。どんどん近づいてくるラマ。
怖さしかなかった。本当に食われてしまうのではないかと感じた。
保育園の入口へと逃げ続けるぼく。それを追いかけるラマ。
生きるか死ぬかのチキンレース。
自らが招いた死闘とはいえ、こんなところで死ぬわけにはいかない。
走る、逃げる!!ラマ来る、ラマ来る!!
うおおおおおおおおおおお、きたあああああああああああ
とうとう追い付かれそうになり、もう命はない…!!!!
…と思ったその瞬間、飼育委員さんがギリギリでラマを捕まえてくれ、ぼくは一命を取り留めた。
大げさに聞こえるかもしれないが、当時のぼくはまだ4,5歳だ。
自分の何倍にもなるサイズの生き物に追いかけられるのは、さしづめ、巨人から逃げる兵士団員といったところだろう。
これが、ぼくの未就学児期に覚えている、おそらく最大の出来事だ。
他のことはあまり記憶にない。
強いて言えば、子どもの日に出してあったリアルな兜を被り、
「お兄ちゃんは、汽車ポッポ~~」
と言っていたくらい。これもビデオで見て知った程度だ。
そして、時系列が前後するかもしれないが、ぼくが4歳のときの8月。
夏の暑い日に、弟が生まれた。
次回は、弟が生まれた日のことについて書こうと思う。