#コミュニティ
総体総量とプレインミュージック
以下の論考では、新たな論者としてエリノア・オストロム(Elinor Ostrom)とヨchai Benkler(ヨchai ベンクラー)を導入しながら、プレインミュージックやアート創作における「総量」や「総体」の問題を考えてみる。
第一部では、エリノア・オストロムのコモンズ理論を芸術創作、とりわけプレインミュージックの文脈に適用する意義を探る。第二部でヨchai ベンクラーの「共有ベースのピア生
総体とプレインミュージック
音楽をめぐる最終的な問いは、文化や技術の長期的進化と、短期的かつ量的な拡大・民主化の間で常に葛藤が起きるところにある。プレインミュージックという概念は、シンプルさと門戸開放を積極的に肯定しながらも、長期的な技術深化や知識蓄積を疎外しうるという懸念と隣り合っている。フーコー的視点や功利主義的議論を総合すると、以下のような論点が浮かび上がる。
まず、功利主義的見地からは、低い学習コストで誰もが音楽制