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鬱っぽいとイライラするのがしんどい でも、これが躁うつ病の「低め安定」なのかなとも思う 悲しいけど
鬱期に入ったのか、だるくて眠い状態が続いている。波があるので動ける時もあって、でも動くといつも以上に疲れてだるくなるから、とても辛い。
土曜日にUSJに頑張って行って、それなりに楽しめたけど、今めちゃくちゃだるいし、眠い。そして、イライラする。
このイライラが病的なものなのか、普通の範囲なのかわからず。普段ならスルーすることで、イライラする。そして、怒りの沸点が低くなるので怒りやすくなって、怒り始めると止まらないみたいな。必要以上に怒ってしまうのが、病的なのかなと思ったり。
前は怒り始めてから、頓服の液状のエビリファイを飲んでたけど、あまり効果がなかった。今はイライラし始めたら飲むようにしている。おかげで、怒り狂うことはなくなった。
自力でアンガーマネジメントできる人はすごいなと思う。
怒りって二次感情だといわれてるけど、鬱っぽいと元々低い自己肯定感も皆無になるから、一次感情(不安・悲しさ・辛さ・落胆・悔しさ・苦しさ)が敏感に反応するのかな。自分の思い通りにいかないと、それだけで傷ついてる気がする。そんな自分がしんどい。
本格的な鬱だと怒る気力もなくなって、ただただ横になって寝込む。重力が普段の3倍以上に感じて、とりあえず立ち上がれない。
洗濯を干しては横になり、掃除機をかけては横になり、買い物に行くのは至難の業。とりわけ料理が一番辛い。何を作ればいいのかわからくなる。ホント生きてるだけでしんどい。
そういえば、趣里主演の菅田将暉が出てた「生きてるだけで愛」っていう映画の主人公も躁鬱だったような。
今はそれより楽だけど、家事もこなせるけど、だるくてしんどい。些細なことでイライラする。これが「低め安定」なのだとしたら、ホント辛いなと思う。
でも、横になったまま動けなくて、闇の底に落ちたまま出口が見えなくて、もう消えてしまいたいと願う、あの日々より遥かにましだとは思う。思うけど、もう少し楽に生きていけるといいのにと願ってしまう。
以前子どもに「一緒に遊べるけどイライラしてすぐ怒るママと、怒らないけど一緒に遊べなくて寝込んでるママとどっちがいい?」と聞いたら、「怒らないママがいい」と言われた。
そりゃそうだよねと思いつつ、あのひどい鬱状態にはできれば戻りたくないし、かといってイライラするのを止めることもできない。
「怒らないママ」がこの世に存在するのかどうかはさておき、たぶん私は怒り方が病的なんだろうなと思う。子どもが小学生になる前はヒステリックによく怒っていた。あまり記憶に残ってないみたいだけど、その時の傷がいつ出てくるのだろうかとビクビクしている。小さい頃の問題は思春期に出てくると経験上思っているので、今は時限爆弾を抱えている感覚。
子どもが小学生になる少し前から、ひどい鬱状態になって怒る気力もなくなって、日がな一日ぐったりしていた。とにかくしんどくて、それを主治医に訴えるたびに薬が増え、でも、状態はまったく改善せず。
あまりの改善のなさに、更年期を疑い漢方を足し、隠れ貧血なのかもと鉄剤をもらい、最終的に躁うつ病としては禁忌の抗うつ剤を処方してもらった。
それでも症状は悪化の一途をたどるという地獄の日々を過ごしていた。丸5年。希死念慮に苛まれる中よく生き延びたなと思う。まあ、死ぬ元気がなかっただけなんだけど。
あの頃の私に言ってあげたい。そのしんどさは確実に病気で、自分のせいじゃないんだよと。辛いけど時が過ぎるのを待つしかないんだよと。なんとか生き延びれば、生きてさえいれば、幸福を感じることができるようになるよと。
それは躁状態かもしれないけれど、鬱状態からはちゃんと抜け出せるよと。
いろいろ思い出すと今の状態に甘んじるしかないんだなと気づく。このだるさが低め安定で、イライラは副産物なんだと。寝込まず動けることに、だるくても楽しみを見出せることに、感謝すべきなんだと。
でも、躁状態を知っているとこの状態が続くことが辛いなと思ってしまう。くどいけど。
あの幸福な無敵感。あれが普通の状態であってほしいと願ってしまう。そうではないことは自分が一番わかっているのに。
なんかホントやっかいな病気だなと思う。
今の主治医の先生は、睡眠の状態と家事ができてるかを確認したら、それ以外は何を訴えても「安定してますね」と言う。だから、これが低め安定なんだろうな。
イライラするのもやむなし。子どもの心を損なわないよう気をつけつつ、早めに頓服飲んでやり過ごそう。
まだ、楽しめることがある。現実逃避できるものがある。それは大きな救いだと私は知っている。何もできなくなる、あの絶望的な暗闇に戻されないよう、この日々を生き延びよう。
長々と書いてしまいました。でも、気持ちが落ち着いた気がします。noteいいですね。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!