本当にそれ、主体的な学び?
【やらせる勉強の終焉】
私は、
昨今の時代の大きな変化を感じ、さらに新しい学習指導要領のを見て、9年運営していた「学習塾」をやめて、新たな「子供らの学びの場」として、好奇心と探究心を応援する「シン・スクール」という教室をつくりました。
そこでは、
学校の勉強に合わせることは無く、定期テストも「ただのクイズ大会」として、あくまで子供ら一人一人の興味・関心、そして彼らの成長スピードに合わせています。
理由は、
これからの時代は、「学校や組織に合わせる受け身の姿勢」よりも、
「一人一人の個性ある主体的な意欲、能力が必要」だと考えたからです。
そしてそうした「主体的で深い学び」(学習指導要領より)を育てるのに、
「勉強を楽しく面白く提供」というのも1つのやり方とは思いますので、
「学習マンガ」や「アニメ豊富なICT教材」「動画コンテンツ」などを、
たくさん用意しています。(歴史の学習マンガは5社とも全巻購入済!)
ただ、
「それって本当に主体的なのかな?」と疑問を感じる部分もあります。
今の楽しい事だらけの中で育っている子供たちは、
「何をしても良いよ!」と言われても、
本当にそれらの「楽しい勉強」を選ぶのでしょうか?
それらは、最初から「勉強ありき」で学校の教室に集められて
その中での選択肢として「つまらない先生の授業」よりかは、そっちを選ぶみたいなものではないでしょうか?
結局は、大人たちの「こんな事に興味持って欲しい」みたいな思惑があり、そこに向かって、子供らが「自分からやってる感じ」の味つけで、管理してゆきたいのではないでしょうか?
そもそも「主体的なことをやらせる」っていう言葉自体が、文法的におかしいような。
【 「 楽しい勉強」よりも「本気の楽しいからの学び」を】
そこで、元々エンタメ業界で「遊び」を仕事にしていた私は思いました。
「勉強を楽しく、遊びのように!」というのも良いけども、
もっと子供を主体に考えて、もっと遊びを中心にして、
「遊びや面白さからの学び」というのができないか?
つまり「歴史の学習マンガ」というよりも、「働く細胞」を読んでたら学べちゃった。みたいな。
そうして、誕生したのが
「マンガ感想文」「ゲーム報告書」 による
探究型の作文講座です。
あくまで入口は、楽しませるために作られた「マンガやゲーム」。
子供らには、それらを題材として、まずは積極的に読んで、遊んでもらい、その中にある「学び」を、大人と一緒に掘り出してゆきます。
子供たちの「好奇心」を刺激してゆくのは、もう日本が誇るプロの仕事、
マンガ、ゲームなどにお任せして、それらの面白さも理解した教育者が、子供たちを上からでは無く横から、学びをサポートしてゆけたらと思います。
シン・スクールのコンセプトは、「遊びが学び。学ぶを遊ぼう!」です。
しかし、この挑戦は、まだまだ小さな動きで、これまでの教育を受けて来た人々からは反感を買うかもしれません。
少しでもご理解と応援を頂ける方がいたら、頑張れるように思います!
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