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日々のこと(4)私の理解者ってどういう意味なの?

「私の理解者」っていう言い方を友達から言われたりするって気持ち悪いよねって感じた朝。
朝からなんか、気分悪い言い方ね、って感じたりしたらごめんなさい。

朝の支度のタイミングで気が付いてことがあった。
気が付いたというか疑問である。
この言葉「私の一番の理解者」というワードについて。

えっと。このワードの意味って何なの?
私の中で、ふつふつと湧き上がってきた。
朝のメイクをする。流れ作業することが一番大事なタイミングの時に限って、湧き上がってくるので困る。

でも、瞬間的にこのワードが思いついたときに出た感情に名前を付けるとしたら、”違和感”なのだと思う。
この”違和感”に結構気持ち悪く感じている私がいる。
なんだろうか。このスッキリしない感じ。

あ、分かってきた。私はどっちかというと人の相談に乗ることが多い。おそらくキャッチするのが苦手ではない方だから、何を言われたいのか、安心していないのか。とかを見ていて感じるので結構率直に伝えることもする。

それを私は本当にやりたいのかということ。身体に馴染まない言葉という意味が、この”違和感”の正体なのかもしれない。
どこかで拒絶したいと思っている。そして相手に対しても、投げかけてくるなとも。

あなたの理解者はまず、あなたであるべきでしょ!って言いたいのだ。
一番の理解者ってきれいな言葉なのだろうか?
一番の理解者って、自分の期待に応えてくれる人とも言えるかもしれない。

「時に優しく、時に厳しく、時に寄り添い、ちょうどよい距離感でいつも見ていてくれる人」

ねじ曲がっているかもしれないけど、今、私はこの感じがとても気持ち悪い。
人に求めるでなく、今の気分や、感情はまず自分で把握すべき。
今の私がしっくりくる感じ方だ。
だから理解者です。っていうカテゴリに入れられては困る。

だけど以前まで、私は同じように私の理解者を求めて人付き合いを選んでいたと思う。
自分の理解者と一緒にいると心が安心する、気を使わなくていい、お互いの考えをぶつけて価値観の違いを知る。それが楽しい時間でもあった。
でも、この感覚を慣れてしまってはいけないのかもしれない。
今の私なら、少し違う気がする。
理解者という人がいるから私は私でいられるのも違う。
その感じは、ある種。とてもガードが堅いともみえる。

別に理解者がいるかいないかで、その人の伸びしろとか、生き方に幅広さ、奥行きが出るとも思わない。
あくまでも、その人自身が選び感じ取っていくもの。
理解者という言葉には、おそらく、自分が出したい、感じたい、聞きたい、想いや言葉を本人の変わりに示してくれる人。として私は認識して、その言葉を扱っていた気がする。

自分で違和感を出してみて、触ってみて感じる言葉の違和感。
言葉1つとっても、どう感じるかまで深堀ってみることはおもしろい。


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