必要なネガティブだったりするのかも
過去をゆるすとか、自分をゆるすとか、ほんとうにむずかしくてややこしい感情。鬱陶しいけれどなくそうとしても自分のなかから出ていってはくれないし。人間として生まれてしまった以上余計な知能も備わってしまっているから、私たちはどうしたって葛藤しながら生きていくしかないのだろうなと、そんなことを茹だるような夏空の下思います。
先日、こんなマシュマロをいただきました。
通常マシュマロにきた質問はTwitterとマシュマロ内で答えているのですが、どうしてもマシュマロ内の文字数にはおさまらず、なんとなくTwitterに全文を載せるのも憚られたので、noteで返答させていただきたいです。
まっすぐなお気持ちありがとうございます。
不愉快になんてならないです、大丈夫です。人の繋がりがしんどくなったり、誰彼構わず距離を取りたくなるようなそういった気持ちは感覚は違えどよくわかりますし、こちらは何も気にせずに、どうかご自身の心に負担がない生き方をしてください。むしろ言葉にしてお気遣いいただきありがとうございます。
必要なときに必要な分だけ求めてくれたらそれだけで十分です、嬉しいです。好きなときに去って好きな時に戻ってきてくださいね。
私に対して完璧だと感じるのはきっと私の人格どうこうではなく言葉が持つ素晴らしさがそう思わせているのだと思います。私は言葉に逃げてきた分、言葉の操り方がうまいだけだと思います。けれど、そんな風に言っていただけると私自身とても励みになります、本当に心からありがとうございます。真摯な思いに読んでいてぼろぼろ泣いてしまいました。
自分の生き方は間違えてなかったんだなと思わせてくれてありがとうございます。私が救われちゃっていますね。
質問の「過去を許せない」ということについてですが、私も自分の過去を何度も憎んで恨みそうになりました。 (一時期は恨んだし憎んだし、呪っていたかも)。
私も同じように今の暮らしに満足していてもどうしたって過去はちらつきます。そういうときに私は自分に対しても過去の誰かに対しても「その時はそれが精一杯だったんだよね」と思うようにしています。過去を認めてあげることは難しくとも、「きっと精一杯だった」と受け入れることなら私でもできるなと思いました。
そのあとで余力があれば、その葛藤をそのまま自分の中に鉛のように沈めるのではなく、できるだけほかのエネルギーに変換して矛先が今や未来へと向くようにしています。(余力があればです、基本ないです)
今の自分が過去を赦せないと苦しく疎ましく感じるのは、その過去を経て見てきたものがあり、自分が前進できたからこそだと言い聞かせています。だから不用なネガティブでもないのかなって。
過去の自分と今の自分とでは生きてきた時間、見てきたもの、出会えた人、得たことの質も量も違う。だから、どうしたって目を伏せたくなるような邪魔者に感じてしまうのかなって思います。
過去は今のために必要なことだったとか、糧にして生きるとかきっとそれは言葉で言うほど簡単ではなくて、そうやって前を向こうとすればするほど、強くあろうとすればあるほど、苦しくて窮屈に感じてしまう気がしています。
私は、過去の自分や誰かや記憶を赦せないのも、ひとまず全部まるごと背負って共存してうまく付き合っていこうと不器用ながらそれなりに生きています。
ほんとうの意味で過去を赦すことは私もまだできていませんが、過去をかわいがるくらいの気持ちで生きていけたら少しは身軽になれそうな気がしています。
ほんとうの意味で赦せるようになったら、それはそれで少し寂しかったりするのかななんてこともたまーに考えます。馬鹿みたいですね。
長くなってしまってすみません。Twitterと迷いましたがnoteで回答させていただきました。
私自身直向きな人間ではないので、鼓舞することや気の利いたことはあまり言えませんが、また何かあればいつでもマシュマロ飛ばしてくださいね。
暑い日が続きますのでどうか体調にはお気をつけて、質問者さんの日々が健やかなものであることを願っています。
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