薄いデータから厚いデータへ -食文化の捉え方-
「新型コロナウイルス下で食生活が変わり、食品の新たな成長市場が生まれている」。日経新聞でそんな記事を読んだのは10月末のことです。その記事に添えられていたのは"コロナ前と比べて販売金額が増えた食品分野のランキング"でした。
記事によると、コロナ禍において"オートミール"が2019年比較で13.19倍という販売金額の驚異的な増加率でトップだったそうです。そして、その市場に新規参入したのが日本ケロッグ、 アイリスフーズ、カルビー。 手軽、健康志向。 タイムパフォーマンスのよい冷凍食品の冷凍水産、冷凍農産、冷凍調理 などが,ランキング上位となっています。
また生活の中で時間効率を重視する"タイムパフォーマンス"志向が強まっており、調理に手間のかかる食品は販売が減っているとの記述も。いわゆる時短系ですね。そしてついに、完全栄養食にさえ注目が集まりだした。33種類の栄養素を摂りこむことができる"日清カレーめし"。 森永製菓の"inゼリー"完全食は通販サイト完売 etc…
日本人にとってすべての「食」は"タイムパフォーマンス"で測られ、健康的ならばそれでよいのでしょうか。
個食と眠れぬ日本人
意味の追求と機能性がよいと煽っているのではないかという不安が私には過ぎります。かつての日本人の持っていた暮らしは、もっともっと会話が溢れ豊かだったはずです。こんなバランスの悪い生活が、心身を崩していないのかと私は危惧します。
同日にこのような記事もありました。「眠れない日本人は生産性が低い」という分析は正しいのでしょうか。
スマホ脳を作ってしまった日本社会に問題があるのか。 コスパで完全栄養食、家族で会話しない、かつ睡眠をしない日本人?なんか根本的にこれ間違っていませんか?
本質からの問いかけ
もう一点。「時短型商品開発や完全食がトレンドである」とか、「日本の睡眠時間が短いことで生産性が低い」とかいう結論が、ここで提示された調査から提示されている。しかしながら、これらデータはあくまでも結果であって、ここからどのように考え抜くかが大切だと思います。
私としては調査データを見て日本の市場を把握するとして、演繹法でも帰納法でもない「アブダクション(仮説生成):結果から原因がどのようなものかを推測すること」が、何よりも重要であると考えているからです。
現象学を研究している山口一郎教授は、"現象そのものをそのまま取り入れて「隠れている規則性」を明らかにするアブダクションは、現象学の方法論に似ている"と指摘しています。
データを読み込む前に、自社として「何をやりたいのか」、「何をしたいのか」、「未來をどのように描きたいのか」など、そのような本質的問いから、始めなければならないのではないかと思っています。この記事を読みながら、私はその点に違和感を覚えたのです。
そんな時、以前にもこの場でご紹介した食マーケティング仲間である畑井氏と時間を持つ機会があったので、これら記事をテーマに話をしてみました。今日はその一部のご紹介です。
【対談】「家族関係と食」(料理愛好家 畑井貴晶さん)
(以下、10月某日都内にて)
畑井:この記事群は、非常に興味深いテーマですね。
黒木:某メーカーの方たちと、この話題について話したんですが、みんな"オートミール"を食べているのだそうです。家族で揃うことなく、オートミールを食べる。それじゃ個食じゃないかと私が指摘したんです。メーカーが"会話ない食"を追求しているのですか、と聞いたら、皆さん恥ずかしそうにされていました。日本人の食を変えてしまう、いや、変えてしまった商品開発ってどうなのでしょうか。
畑井:黒木さんの気持ちはだいたい理解しますが、実は我が家もほぼ個食です。全員バラバラで娘たちはよくオートミール食べてます(笑)。もうかなり前からですね。
個人的に私は、グラノーラは大好きなんだけどオートミールは苦手です。そういえば、長女は大豆ミートもひと頃よく買っていました。もろにヘルシー志向。
黒木:やはりそうですか。食の問題は家族の在り方やさまざまな課題を私達に突きつけているように感じているんですよね。何を食べるかももちろんあるのですが、どう食するかについては私は考えたいな、と。そこに本質があるのではないでしょうか。オートミール、飽きると聞きますが娘さんはどうですか?
畑井:目的が健康だったりダイエットだったりするので、オートミールの単調さも我慢してるみたいです。最近は豆乳で飽き足らずオーツミルクに展開。うちはその手のトレンド健康食は大概あります(笑。
調理する視点でいくと、例えば低糖質料理はなかなかむずかしい。頭を相当捻られないと美味しいものができない。この傾向に比べたらヴィーガンは楽。炭水化物がOKなので、いくらでも思いつきます。家族にはいないけど、心臓と血管に疾患のある人のための減塩料理系も研究したので得意だったりします。
黒木:畑井さんのご家庭では生じていないかもですが、家庭での料理伝授の視点でいくとご両親が料理が苦手でほぼ外食や惣菜や冷凍食品使っていたりで、子供が全く料理しないということも昨今起きているようですね。
畑井:ああ、そういう子いますね。うちの娘たちは、外で食べてなかなか美味しいものに当たらないから、むしろファストフードで間に合わすということをしているみたいです。個人店のしゃれたカフェとかで、高いお金払ってまずかった日には目も当てられない。ファストフードは確実、はずれない。
黒木:畑井さんの料理を普段から食べていればそうなりがちでしょうね。話が少し変わりますが、知人が実家の親戚の集まりでは男女分かれて、男は居間で女はキッチンで食べるという習慣が残っていることに大層怒り狂って私に訴えてきたんですよ。彼女としてはこの令和の時代に信じられない、と(笑。
畑井:ああ、昔の家には多かったですね。黒木さんや私の子供時代は、けっこうよくみられた光景だったと思います。一家団欒は、昭和の豊かになった時代から平成の前半までかな。1970年から2000年ってところじゃないですかね。たった30年程度。
黒木:そういう意味では、家族が揃って食べるという習慣はもう無くなっていますかね。食器や箸も、当時の日本の場合家庭においては全て違いましたが、今は同じ何でしょうか?
畑井:とてもいい視点ですね。うちはとうとう、紙皿と割り箸になりました(笑。
黒木:え!?そんなふうになっていくものですかね?
畑井:そこはわかりませんが、まず、それぞれの飯椀、汁椀、お箸、というのが廃れています。
黒木:昔の父の食器と箸は我々とは違っていました。
畑井:そう!大きくて高級な象牙みたいなやつ(笑
黒木:海外の方々が表参道や銀座で,日本のお土産に家族別々の箸や茶碗を買っているのをよく目にしますが、逆に日本人がその習慣がなくなってきたのかもしれないですね。なんだか悲しいなぁ。
畑井:父親という存在が大黒柱と敬われなくなり、什器も同じ。お箸は10本揃えとかを買ってきちゃうので、自然と誰が誰のだかはわからない。海外のナイフフォークは共通ですからね。中国も韓国もめいめいではないですね。
黒木:それは、やはり家長制度が日本からなくなってきたことに起因するのでしょうね。
畑井:家父長制度はとっくにないと思いますよ(笑。
黒木:食文化の衰退ですね。食べることだけではない、食周りの文化全てという意味ですが。
畑井:田舎に少しはあるかもですが。。ゴリラは家父長、絶対ですね。若いオスとの喧嘩に負けてその座を降りると、メスは解散する。ハーレム型の動物で唯一らしい。他の動物は、ボスが負けてもメスたちはそのまま残ります。つまり、メス社会がボスを選んでいるわけですね。
黒木:そうだそうだ、箸置きも無い家が多くなってきたし。
畑井:箸置きは、まずありませんね。
黒木:食に向かう時の考え方が,既に神と人間との関係すら薄れていますが、田舎には存在しているということか。
畑井:「いただきます」は残ってますね。 誰からいただくんだよ、 神様から。 これは残ってます。今の若者たちはそれは理解していると思いますよ。
黒木:柳田國男氏のが民俗学できちんと伝えようとしたことは、やはり大切だったように思います。食の季節性や神に捧げる感謝の気持ちが無くなってきているのは、本当に残念です。
畑井:柳田國男氏の生地、兵庫県の福崎町を訪れたことがあります。記念館などものすごく地味でしたが好感をもてました。彼がどういうことを重んじたかを肌で感じられるように造られている。しかし、今や季節性を感じるのはほとんど無理ですね。一部の果物くらい。
黒木:いや、我々のDNAには入っているはずだと思いますよ。賓(まれびと)が来るという意識は田舎にはまだあります。
畑井:DNAとは本質論的なことですか?
黒木:前回もちょっと触れましたが、カイフランクのようなフィンランド人が"イッタラ"に取り入れた日本人のなんともいえない自然を生かす道具は、日本人だけでなく世界に発信できるものなんだと思います。柳田さんや柳宗理の見い出したのは、食だけでなく日本人独自の土地、風土にある心穏やかになるものだったのではないでしょうか。
黒木:先ほど話に出たゴリラについてですが、ゴリラ研究の山極寿一さんが 人間の本質や本性とは何かを問うという番組を観たことがあります。
そこではゴリラを知ることで人間の本質を探っていました。結論から言えばゴリラは平和を好む。人間も本来は平和を求める心性が本質にあった。しかし700万年にサバンナの共同生活で、暴力と戦争の起源となるような争いが起きてしまった。。
これについて"共感の暴発"と山極さんは言ってました。共感力を高める為に結束する人間。これによって言葉で敵意をもたらし、武器を持ち戦争に繋がる過程があると説明されていました。インターネット、SNSのソフトな武器で戦争を引き起こす人間。 対面や身体的コミュニケーションの減少が恨みなどを引き起こしているのではないかもしれませんね。
畑井:700万年前ですか。狩猟採集の時にもすでに集団対集団で戦ったのですかね。評論家の 岡田斗司夫氏が言っていましたけど、頭蓋骨を割られている骸骨がことのほか多いと。それはしかし、戦争であったかどうかは定かではない。暴力的で道具を用いていたことは間違いないけれども。
チンパンジーはものすごく凶暴なことで知られています。子供は食べちゃうわ、イジメはあるわ、ほかのグループを襲うわ、目も当てられない暴力を振るう。だけど、ゴリラは平和的なこともよく知られていますね。
黒木:ゴリラのドラミングは闘わずに、引き分けに持ち込むものだそうです。
畑井:ゴリラは発達した筋肉が逆に自制心を促すのでしょう。
黒木:身体表現よりも実は、言葉の方がむしろ暴力的なところがある。言葉に偏らない生活、身体的コミュニケーションが相互に理解する上で必要ではないでしょうか。その事例として山極さんは、一緒に食事することを上げていましたね。
畑井:古今東西、心に通じる道は胃を通る。これは真理の一つですね。
黒木:食物の分配、みんなで分かち合う、共同の子育て。この時代は言葉ではなく、音楽というコミュニケーションだったそうですよ。音楽は対面しなくともこころを惹きつけて共感力を高めることができたというので、音楽は大切なんでしょうね。
畑井:おそらくはリズムを刻む系のものでしょう。言語の違い文化の違いを楽々超えますからね、音楽、特に打楽器のものは。
黒木:確かにその通りですね。食の根源的な役割を考える上で、山極さんのゴリラの話は,大変示唆に富んでいます。
畑井:言葉は伝えることにも、相手を理解することにも技術が要ります。人類学者の長谷川真理子氏が、今の子供達に読解力がなかったり、語彙が少なかったりするのは明らかに家族の人数が少なく、多様でないからだというようなことを言っていました。昔は、おじいちゃん、おばあちゃんが一緒に住んでいる家も多かったし、よく知らない叔父さんが一緒に住んでたり、近所のおばさんが食卓にいていつまでもおしゃべりしてたり、とにかくいろんな人が家の中にいた。鍵だってかけてなかった。意味はよくわからないけど、子供たちはそういう大人たちの会話を聞いて育った。中にはそうとうきわどい会話だって、まだこの子にはわからんだろ、かまうものかとしゃべっていく大人がいた。こういうのを多様というのであって、今の社会も家族もむしろ一様性が強い。だから多様多様と叫ぶのかとうがったことさえ言いたくなります。
黒木:また話が膨らみまくってますが、マーケティングは今や企業の売上や利益だけでは無い人間の根源を探ることかと私は考えております。対面や身体的コミュニケーションが、食のマーケットに極端に無くなってきているようなことを危惧してなりません。
畑井:今、子ども食堂が脚光を浴びるくらい、日本はその視点においては衰退してきていますね。子ども食堂を個人やNPOだけではなく、食メーカーがスポンサーしたら、強烈なスポットライトを浴びると思うのですが、どうなんでしょうね。
黒木:社会的価値を考え、司ることを食のメーカーは考えなければなりませんね。子ども食堂、すごく素敵な視点だと思います。
畑井:子供たちは生涯忘れないエンゲージをするかもしれない。
黒木:やはり最小単位の家族の在り方,更にその上の共同体を考えていきたいですね。そこに私はこだわりたい。
畑井:どうサステナブルにやるか。補助金をもらえないなら、どうするか。子ども食堂をやっている友達はいつだってこう考えています。こういう個々の活動を細かく丁寧に支援したら、その企業はスターです。
これまでの企業常識では下層に手を出す、施すのはダメでしたね。いまは違います。 施しではなく、未来のスーパーシェフを作るとか、食材の商社マンを養成するとか、多様な可能性を持たせればいい。
黒木:面白いですね。しかし毎回話が広がり過ぎてしまいますね。最初のテーマってなんでしたっけ?
畑井:えっと・・・思い出しました。個食は是か?です(笑。
私、実はこれ擁護します。団欒の食卓より面白いことがほかにあるってことでしょう?つまんない仕事をしている時ほど、昼食が楽しみだったりするでしょ?
黒木:またの機会には激論必至ですね!今日はありがとうございました。
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まとめの代わりに
このnoteでも何度もお伝えさせていただいている、私が戦略を構築する際に活用している「センスメイキング理論」で今回のテーマを捉えてみると、人間が食とどう向きあっているかという文化的文脈で理解していくこと何よりも重要となります。つまり、どのように食べ、どのように分かち合うか。人間にとって食べるものがどのような意味を持つかを明らかにすることがスタートとなるのです。
少しアグレッシブな表現をすると、市場参入計画や商品ポジショニングさえできればよいという従来の数的&論理的視点の情報で満たされた本記事の調査データでは、"今"の戦略は立てられないと私は考えています。文化、人間、感情、ニーズを観察によって解き明かす作業が必要なのです。
データ分析思考のアルゴリズムとは、固有性を削ぎ落とした情報が集まった無機質な空間データになっている可能性が高い。残念ながら、それでは先の未来を知ることを創造することができません。
この数年のマーケティングキーワードとして多用されている"DX(デジタルトランスフォーメーション)"でいうと、Dのデジタル化が手段で、Xのトランスフォーメーションこそが大切であるというのも今回のテーマ「本質を問う力」であり、弊社が推奨している「センスメイキング理論」で考えることで、解決できるのでないかと考えます。
畑井さんとのディスカッションでは、二人での対話なだけでもこれだけ広がっていくということを体感するものでした。これが企業の皆様と複数人で行ったらどれだけの意見が出てくるでしょうか。1+1=2ではない世界です。皆様と対話できる機会を楽しみにしています。
(完)