編集者になって2年目の夏、いきなり『編集会議』という雑誌を任されることになった。 雑誌名の通り、同業である編集者や編集者を目指す人向けの雑誌をつくることは、最初から最後まで恐縮でしかなかった。 それでも、僕がつくっていた2015〜2017年の3年間、季刊誌だから春と秋とで合計5冊を刊行し、販売売上は担当以前よりも3倍以上、トータル300%アップした。 ささやかだけど、出版、とりわけ雑誌不況下における快進撃(と言ってみたい)。 このnoteでは、その裏側でやっていたこと
2024年9月に第3子が産まれて、それから1ヶ月半、その子がアフリカ・セネガルにやってきた。 うちは3年前から妻の仕事の都合でセネガルで暮らしていて、これまで4人家族だったのが5人家族としての生活が始まったところだ。 妻の日本での出産のため、2ヶ月ほど家族全員で日本に帰国し、7歳と4歳の子どもの学校と幼稚園が9月から始まっていることもあって、2人の子どもと僕は、出産を見届けて一足先にセネガルに戻った。 だから先日までの丸1ヶ月は、セネガルで子ども2人と父である僕の3人生
3年前、東京のスタートアップ企業で働いていた僕は、家族の都合でアフリカにあるセネガルに移り住むことになって、会社を辞めた。 それから専業主夫を2年経験した後、いまは日本の自殺対策に取り組むNPOでセネガルからフルリモートで働いている。 専業主夫期間を除けば(専業主夫も「仕事」だと捉えられると思うけど)、「スタートアップ企業→NPO」という、転職と言えば転職かもしれない。 もともと老舗雑誌の出版社はじめ、新興Webメディアやプラットフォームで仕事をしていて、どの仕事でも一
2024年9月、子どもが産まれた。 家族でアフリカ・セネガルに移り住んで3年。この子はたぶん、セネガルで暮らしていなかったら産まれてこなかった命だった。 1, 2人目のときの感覚はすっかり忘れていて、生まれたばかりの赤ちゃんはこんなにも小さくてか弱いものなのかと、不思議な気持ちになる。そしてその弱々しさは、すべて「かわいさ」として収斂されていく。 これからまたあんな大変な思いをするのか…という思いもなくはない。でもこの子が産まれた嬉しさはそんな憂いをいとも軽く上回る。
「居場所がない」――。 自殺対策NPOで働いていると、さまざまな場面で、その言葉を耳にする。「居場所がない」というのは、孤立や孤独、あるいは生きづらさを表象する言葉として、しんどさを抱える多くの人が持つ感覚でもある。 「居場所がない」という感覚は個人的なものであっても、個人の問題ではない。たとえそこに個人の問題と捉えられる余地があったとしても、多くの人が「居場所がない」と感じ、そう感じるに至る多様な背景を探っていくと、そう感じさせている社会の問題として捉える必要があること
ちょうど10年前、地元の、仲の良かった友達が死んだ。 その日のことは、いまも、なんとなく覚えている。当時、社会人になって3年目、出版社に勤めていた僕は、朝出社した直後に地元の友達から着信があったことに気づいた。 「どうした?」 「ちょっと電話で話したいんだけど」 「ごめん、もう会社着いちゃって」 「じゃあ、また夜にな」 そんなメッセージのやりとりだけして、別に何の予感も予兆もなかった。 その夜、電話をかけ直したら、開口一番にこう言われた。 「あのな、⚪︎⚪︎が死んだ
6月は、アフリカ・セネガルのカレンダーだと学年末にあたり、子どもたちが通う小学校や幼稚園では1年のサイクルが終わる。6月終盤には、毎年恒例のそれぞれの学年での歌や踊りの発表会があった。 ふだんは送り迎えをするだけで、そこから見える景色しか知らない。でも、発表会のような機会では、子どもが教室内でどんなふうに過ごしているのかが垣間見えたりもする。 うちの子どもは、6歳と4歳。6歳の子どもは人生の3分の1、4歳の子は人生の半分以上をセネガルで過ごしてきた。セネガルで暮らして3年
アフリカ・セネガルに暮らして3年近く。それまでの30年以上、日本でしか暮らしたことなくて、海外に住みたいという願望もなかった。でも、妻の仕事の都合でいきなりセネガルに住むことになった。 それから3年近くが経ち、3年前からすると、まったくもって想像しなかった展開になっている。 もともと妻の仕事の都合というは、2年の期間限定のはずだった。自分のキャリアや子どもの教育のこともあるし、何より日本しか知らなかった自分は、海外生活もてっきり2年限定のものだと思っていた。 それがセネ
なぜ「死にたい」は、現代社会において、とりわけ強力なコミュニケーションの媒体となりうるのか――。 そんな問いを出発点とする本『「死にたい」とつぶやく――座間9人殺人事件と親密圏の社会学』を読んだ。久しぶりに貪るように読みふけってしまう本だった。 この本は、SNSにあふれかえる「死にたい」の声にどう向き合うかを考える本でもあり、自殺念慮を抱えたある2人の対話から始まる。そこで「死にたい」という言葉が、「死にたい」と言動する人同士のコミュニケーションを媒介していること、その“
去年2023年は大人になってから、たぶん最も読書をしない一年だった。意識的にそうしていたわけではないけど、なんとなく読む機会がなく、読書を必要としていなかった。 でもその分、いろんなことを考えた、考えられていた一年だったのかなと思う。 もともとはたくさん本を読むほうだし、読書は常に生活の一部だった。新卒で出版社に入ったのも本が好きだったからで、編集者になってからは本を読むのが仕事になって毎日むさぼるように本を読んでいた。 だいぶ前にこんなnoteを書いたことがある。
アフリカにあるセネガルで暮らす日本人と話していると、セネガルの良いところとして「助け合い」をあげる人が多い。 何のデータか忘れてしまったけど、アフリカ社会について日本人が語るとき、最も象徴的なことに「助け合い」があがっていたデータを見たこともある。 実際に、セネガルないしアフリカで生活をすれば、「助け合い」がいかに社会に深く根付いているかを実感する機会には事欠かないはずだ。そんな「助け合い」のある社会の前提には、人と人との「つながり」がある。そのことについては以前note
丸2年にわたって専業主夫を経験したからか、それまで無頓着だった日々の暮らしを豊かにするための消費に興味を持つようになった。 アフリカにあるセネガルで暮らしていると、現地で製造されたものはやはり安い。一方で、日本人が求めるような日用品は輸入品であるものも多く、そうすると物価はそれなりに高くなる。 だから、ふだんはなるべく、以下の本のような「あるものでまかなう」という生活をしつつ、セネガルで買えないものは、1年に1回、日本に帰国したときにまとめ買いしている。 そして、海外生
2023年、子どもたちは6歳と4歳になり、僕は35歳になった。 振り返ってみると、とても充実した1年だった。2022年もそう書いたけど、それ以上だったかもしれない。何年後かに振り返ったとき、大切な思い出になっているはずのことが、たくさんあった。 子どもができてから音楽を聴く機会はほとんどなくなってしまったのだけど、2023年はなぜか、折に触れてMr.Childrenの『HERO』を聞いていた。 学生時代から数えきれないほど聞いている曲、なのに何度聞いても心を揺さぶられる
その写真は「窓」か、「鏡」か――。 写真について語るとき、そんな問いが発せられることがあるという。 これはアメリカ人の写真家であるジョン・シャーカフスキーが提唱していた概念で、「窓」は写真を通して外の世界を探究することを指し、「鏡」は写真を自己表現の手段として用いること、だそうだ。 「窓」は、わかりやすい。実際に写真を見る側からすれば、その多くは「窓」とも言え、「窓」の向こう側に自分の知らない外の世界、あるいは知っているはずの世界の違う側面、また視点から見ることができる
家族でセネガルに移り住んでから、2年が経った。妻の仕事の任期は2年だったから、当初の予定では先月ごろに帰国するはずだった。 それが、セネガルの子育て環境や暮らし心地、妻のキャリアの観点からも、もう少しセネガルで暮らせたらという話になり、運良く任期を延長することもできて、少なくともあと2年はセネガルに住むことになった。 延長が決まったことを受けて、僕も新しく仕事を始めた。 それまでも主にセネガルのことを伝える書き仕事や話す仕事をいくつかさせてもらっていたけど、3ヶ月前ほど
少し前から、3歳の子どもがお昼ご飯や夜ご飯のお皿を自分で運びたがるようになった。そして案の定、中身をこぼしたりひっくり返したりして、なぜか本人が泣く、というのが日常化していた。 それが最近になり、少しずつ上手に運べるようになってきた。当たり前だけど、子どもは大きくなるにつれて、いろんなことを自分でやりたがるようになる。そして、少しずつできるようになっていく。 でも失敗することが多いうちは結構大変だ。とくに親側の気持ちに余裕がないと、失敗に寛容になれなかったり、つい苛立って