友達の死と、その後の10年。

ちょうど10年前、地元の、仲の良かった友達が死んだ。

その日のことは、いまも、なんとなく覚えている。当時、社会人になって3年目、出版社に勤めていた僕は、朝出社した直後に地元の友達から着信があったことに気づいた。

「どうした?」
「ちょっと電話で話したいんだけど」
「ごめん、もう会社着いちゃって」
「じゃあ、また夜にな」

そんなメッセージのやりとりだけして、別に何の予感も予兆もなかった。

その夜、電話をかけ直したら、開口一番にこう言われた。

「あのな、⚪︎⚪︎が死んだ。まだよくわからないけど、でもたぶん自殺って」

「え・・・」という以上、なんの言葉も出なかった。信じられなかった。100歩譲って人が突然死ぬことはある。でも自殺・・・?そんなことって・・・。言葉にできないながら、真っ先にそう感じたことは覚えている。

自殺で亡くなった彼も、電話をかけてきた彼も、小学校からの友達だった。家も隣のマンション同士、親同士もよく知っている。同じ小学校からの友達2人を加えた5人は、ずっと一緒にサッカーをやってきたこともあって、社会人になっても仲が良かった。

僕以外の4人は幼稚園の頃からのクラスメイトで、その彼と電話をかけてきた彼は、もっと前、生まれたときからの友達らしい。とにかくみんな幼なじみだった。

別に何をするでもない、5人で過ごす時間は心地よかった。大学生の頃までしょっちゅう遊んでいたのが、社会人になってあまり会えなくなっても、関係性は小学校の頃からのままだった。

電話をかけてきた彼が結婚式をあげたときは、自殺で亡くなった彼が友人代表のスピーチをした。みんなで肩を組んで歌う余興なんかもして、最高の日だった。

「いい結婚式だったなー」

帰り道にそう言い合っていた3ヶ月後、彼は自ら命を断った。

彼は、5人のなかで最もお調子者で陽気で、悩みなんて抱えていそうになかった。少なくともそう見えていた。遺書でもあれば、少しは信じられたかもしれない。でも彼は何も残さなかった。

そもそも自殺ではないんじゃないか?という想像は、何度もめぐらせた。だけど、自殺というのは間違いないという。じゃあ、なぜ何も残さなかったのか?理由を詮索されたくない、というのも彼なりの思いだったのかもしれない。そんな話を残された4人でした。

とはいえ、信じられないという思いが拭えず、泣こうにも泣けなかった。この事態をどう捉えたらいいのか、どう解釈すればいいのか、なぜこんなことになってしまったのか。何もわからなかった。受け止められず、受け入れられなかった。

そんな気持ちに一つの区切りをつけてくれたのが、数日後に行われたお通夜だった。

お通夜は、自殺という言葉とは似つかないものだった。彼のキャラクターを表すかのように、時折、ところどころで笑いもあった。みんな信じられなかったのだろうし、半ば信じてもいなかった。

お通夜の会場の片隅には、急遽用意された彼の思い出の写真とか、彼に向けたメッセージなどが立てかけられていた。彼は、婚約もしていた。パートナーとなるはずだった彼女のメッセージを読んだとき、もう彼はいないんだと初めて理解した。今日に至るまで、そのときだけ、僕は彼の死について泣いた。

彼は友達も多かった。お通夜もして、お葬式もしたけど、急なことでそれらに参加できなかった人もたくさんいるだろうと、後日、小学校や中学校、高校、大学、社会人になってからの友達を集めてお別れ会をやった。彼はいないけど、彼が中心になって、かなしいくらいに、たくさん笑った会だった。

「思いっきり笑って写ってやろうぜ!」

そんなかけ声とともに撮った集合写真は、みんな思いっきり笑っていた。少なくとも僕らからみて、それはまるで彼の人生を物語ったかのような写真だった。

そして、10年が経った。

10年経ったいまも信じられない気持ちは、驚くほど変わっていない。でももう、彼のことを思い出すことも少なくなってしまった。

この10年、自殺に関するいろんな本を読み、仕事でも編集者という立場を活かして、自殺問題の企画を立てて自殺遺族や専門家などに取材して記事を書いたりもした。「死にたい」という気持ちに向き合うボランティアなどもした。

だから、彼のことも、いまならなんとなくだけど、わかることはわかる。彼が「助けて」と言わなかった、いや言えなかったこと、自殺で亡くなる3日前にも会っていたのにふだんと変わらない様子だったこと、それでも彼はたぶんずっと苦しんでいたこと、そして、そのことになんら気づけなかったこと。

わかることはわかっても、結局はわからないことのほうが多い。いまだに彼がなぜ自ら命を断つことを選んだのか、彼は一体何に追い込まれていたのか、わからないことだらけだ。それはでも、もう仕方がないのだと思っている。

わからないなりに、この10年、残された彼の周囲の人たちは、それぞれが前に進んできた。

10年前の当時、密かに決めたことがある。

それは、自分の周囲で自殺で亡くなる人は二度と出したくない、出さないようにしようということだ。そんなささやかな決意から、どこまでつながっているのかはわからないけど、僕はいま自殺対策に取り組むNPOで働いている。

それはもちろん、たまたまでしかない。もともと社会問題への関心が強かったことやいろんな巡り合わせの結果だ。彼の死が一つのきっかけになったけど、そのことに突き動かされてきたと言えるほど、きれいにつながっているわけでもない。そんなストーリーは彼だって求めていないと思う。

それでも、僕は自殺という日本社会が抱える根深すぎる問題をなんとかしたいという気持ちを強く持っている。これまで編集者として仕事をしてきたすべてを注ぎ込んで、もう自分の周囲だけでない広く社会に対して、自殺対策を少しでも前に進めていきたいと思っている。

だから、もし、いま「死にたい」「生きていたくない」などと感じていたら、あるいは周囲にそういう人がいたら、身近なだれかやどこかの窓口に相談してもらえたらなと思う。

相談することに抵抗感があったり、どうしてもためらいがある場合は、ひとまずは「死にたい」という気持ちをやり過ごすためのWeb空間を利用してみてもいいかもしれない。

10年が経ち、彼の死のことを初めてこうして書いて文章にしてみた。書いてみて思ったのは、僕はもう十分彼の死を受け入れている、ということだ。受け入れたくなかったはずなのに、時間の流れは残酷だなと思う。

地元の残された4人は、いまでも仲が良い。ふだんほとんど連絡はとらないけど、僕はいま海外に住んでいて一時帰国したときには必ず4人で集まる。それで、彼の話もしたりする。

それはもしかしたら、映画『リメンバー・ミー』で見た死生観の影響かもしれない。映画には、こんなようなセリフがある。

「人が本当に死ぬのは、死後、だんだんみんなその人のことを思い出さなくなって、忘れられてしまったとき。それで人は本当の死を迎えてしまう」

忘れるわけなんてないし、いまはもう彼の死を強く意識しているわけじゃない。だけど、なんとなくそのことを思いながら、この先も彼の死と向き合っていけたらなと思っている。

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