編集者が、NPOに転職してみたら。
3年前、東京のスタートアップ企業で働いていた僕は、家族の都合でアフリカにあるセネガルに移り住むことになって、会社を辞めた。
それから専業主夫を2年経験した後、いまは日本の自殺対策に取り組むNPOでセネガルからフルリモートで働いている。
専業主夫期間を除けば(専業主夫も「仕事」だと捉えられると思うけど)、「スタートアップ企業→NPO」という、転職と言えば転職かもしれない。
もともと老舗雑誌の出版社はじめ、新興Webメディアやプラットフォームで仕事をしていて、どの仕事でも一貫して「編集者」として携わってきた。そうして、いつしか編集者であることにアイデンティティを持つようになった。
10年近く編集者として仕事をしてきて感じたのは、「編集」は専門職という側面もありながらも、さまざまな領域に活かせるスキルなんじゃないか、ということだ。
そして、自殺対策NPOで丸1年働いてみて、編集というスキルを活かせる場面は多くあると確信を深めている。
もちろん一口にNPOといってもいろんな団体があり、職種や役割、取り組む課題、またはイシューや組織のフェーズによって求められることは違うという前提ありつつ、このnoteではその一端について書いてみたい。
「編集」とは何か
そもそも編集者とは何をする仕事なのか。その答えは、とりわけ多様化している編集者の数だけあるのだろうし、端的に表現するのは難しい。
ただ「編集」をスキルとして分解して考えると、たとえば、業務を推進させるための整理・調整する力やイメージから逆算的・先見的に捉える思考、客観視はじめ多面的・多角的な視点を導入すること、そして多様なバックグラウンドや価値観を持つ人たちの話を「聴く力」などがあるんじゃないかと思う。
それらのスキルは編集者に限らないだろうけど、僕自身は編集者として培ってきたもので、編集者をしていると自ずと身に付くスキルでもあると感じる。
それと、編集者の仕事としては「伝える」ということも大きい。
「伝える」とは、情報をコンテンツに変換することであり、そこからコミュニケーションを創造することだ。その過程において編集者が考えるのは、「何をどう発信するか」だけでなく、「何がどう着信されるか」。
「何を伝えるか」以上に「何が伝わるか」だし、それが「どこまで(広く、あるいは深く)伝わっていくか」にもかかってくる。
そうした自分の考える「編集」に対するスタンスや考え方、戦略・戦術に関する原理は、以下のnoteに詰まっている。
いまの組織で1年間、編集者として働き、さまざまな業務を担って、いろんな役割を任せてもらった。そのなかでもとくに「整理」や「調整」、「多様な視点の導入」、「聴くこと」などといった編集というスキルを活かせているんじゃないかと思える部分は大きい。
とはいえ、それ以外、また全体としてはまだまだ力が足りないと感じるし、自分がやれることややるべきことも山積している。同時に、編集者としての価値を発揮できる場面は、まだ見ていない部分も含め、さらに多くあるはずだとも感じている。
なぜ「NPO」なのか
「編集」のスキルは「NPOにこそ活かせる」というわけではなく、たまたま僕がNPOにいるというだけで、活かせる領域は広くあるのだと思う。
僕自身は、メディアで経験を積み、少し違う分野も経験しながら、最終的にNPOで仕事できたら、というのを新卒時代から考えていた。その意味では理想を叶えていると言えるけど、まさか自分が自殺問題に関わるとは思ってもいなかった。
きっかけともいえる、いまの自分につながっている経験は以下のnoteに書いた。
だけど、いまに至るまでのキャリアは、まったく順風満帆ではなかった。
新卒就活は落ちまくり、なんとか出版社に入れても最初の2年間は営業部だった。3年目でようやく編集者になれて好き勝手にやらせてもらえたのは幸運だったけど、30代になって転職した企業では期待されたほどのパフォーマンスを発揮できなかったし、その後の転職活動でもたくさんの企業の採用に落ちた。
やっとうまくハマったと思える企業で働いていたら、今度は妻の仕事でセネガルに引っ越すことになり、泣く泣く退職することに。ただそれを機に、丸2年専業主夫を経験したことは、長い人生においてとても大きかった。
そして1年前、復職をしようとしたときに、もう「ビジネス」のために働くのは気持ちや熱量的にむずかしいなと感じた。
それまでは、主にメディアの立場から、社会問題の解決に寄与をすることを考えていた。それは「伝える」ことを通じて、さまざまな社会問題への社会的な関心を高めること、あるいは「無関心」という壁を少しでも打破することだった。
同時に、社会問題に関わる事業をどうビジネスとして成立させるか(マネタイズするか)ということも、関心の喚起や寄付カルチャーの醸成といった観点から大事だと考えていた。
だけどそうしたアプローチには、自分自身の力不足もあって限界を感じていた。もっと直接的かつ具体的に関わること、現場という地べたからじゃないと伝えるべきことも伝えられないのではないか、といった思いも募る一方だった。
編集者として「何を伝えるか」は、それはつまり、自分が「どうあるか」でもある。専業主夫として2年間、子育てにとことん向き合うなかでその思いも強くなり、たまたま縁があったのが、いまの所属先だった。
編集者がNPOで働いてみたら
たった1年の経験で何かを言うのはおこがましいし、まだまだ見えていない部分も多々あるだろうと思う。
だけど、編集者としてNPOで働いてみて、やっぱり「編集」というスキルは、もっと社会問題の解決のために活用されてもいいのではないか、と感じるし、そのポテンシャルはきっと大きいはずだと思う。
僕が日々向き合う「死にたい」という声から得られる気づきも多くある。
編集者の特性か、そうした気づきを「言葉にすること」が大事だと思っていて、それらを書いて言葉にする過程で考え、視点の解像度を高めつつ視野を広げていくことが、自分がありたい編集者としての姿勢や態度でもある。
だからこそ、プライベートでもこうして書くことをしているのだろうし、仕事でも「自分ならどう考えるか」といったこと含めて、なるべく「言葉にして整理すること」を心がけている。
別の団体でのボランティアも含めると、自殺問題には関わって4年近くになるけど、いまも本当に日々が学びの連続だ。
ちなみに、最近とくに学びが多かったのが、『「死にたい」とつぶやく――座間9人殺人事件と親密圏の社会学』という本で、編集者という視点からも興味深い一冊だった。
とはいえ、社会問題、とりわけ自殺問題に真正面から取り組むのは、ハードと言えばハードではある。「死にたい」という気持ちを抱える人、自ら命を断つ人が日本にこれほど多くいることに愕然とする思いもある。
でもだからこそ、「なんとかしたい」「やらなければならない」という思いを強く持っている。僕はまだたった1年しか所属していないけど、団体が20年を通じてやってきたことには、畏敬の念を覚えている。
そして、団体の20年を振り返る映像制作のため、また「生きる支援」を広げる一環としてクラウドファウンディングを実施しているので、よかったら支援していただけたらうれしいです🙇♂️
僕自身、今後も自殺対策を少しでも前に進めるべく、いま以上に広く深くコミットしていきたいし、「誰も自殺に追い込まれることのない社会」をつくること、そのための「コミュニケーションをデザインすること」がNPOで発揮すべき編集の力だと思うから、それをめざしていきたいと考えている。
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