ヘルニアを舐めるなよ
こんにちは。
ヘルニアについて、回復傾向であると思っていたが、状況は一変。
痛い。めちゃくちゃに痛い。
もうみなさんの想像を絶するくらい。
ヘルニアだけで、薬を4種類も飲んでいるのにも関わらず全く効かない。
心底使いたくなかったが、最終奥義の坐薬という奥の手まで使ったのに、笑えるほど(いや、笑えない)痛みが消える気配すらない。
終いには座ってご飯が食べられず、行儀が悪いのは重々承知だが、一度途中でごちそうさまをした後、寝転がって背中を休めないと座り続けていられないのだ。
こんなことあるか?
わたしまだ20代だぞ???
冷静に、この痛みと今後死ぬまで付き合い続けると考えると、もうわたしの身体には痛みや不調がない時って訪れないんだなと思っては悲しくなってきた。
「健康第一」だと言っている世のおじいちゃんおばあちゃんの気持ちが本当に身に染みて理解できる境地にまで達している。
若い時は〜などと語るにはまだ早い年齢かもしれないが、疲れ知らず、痛み知らず、怪我?数日あったら治るけど?などとなめ腐っていた頃の身体に戻りたいとつくづく思っては、打ち消している。
無理な話であるからだ。
想像を絶するほどの痛み、と言っても
経験したことのある痛みは人それぞれなので完全に主観だが、動くたびに骨折するのではないかと思うくらいに痛い。(わたしは骨折したことないが…)
こんな痛みを動くたび感じていると、もう微塵も動きたくなくなる。
しかし、寝転がって数時間経てば、若干痛みがなくなるため(我慢できる痛みというレベル)、普段家に食べ物がない時は空腹を無視するわたしが珍しく食べたいものを求めて外出した時、最終的に泣く羽目になった。
事件は休日のお昼過ぎ。
田舎のイオンはめちゃくちゃ人で賑わっていることを忘れていた。
わたしの目当てはミスドだったが、先に文具を見に行こうとしたのが運の尽き。
最初に見た時は並んでいなかったのに、文具屋さんから戻るとものすごく並んでいた。
え、なに、今日みんなミスド食べたい日?
おやつの時間だから???
その行列を見て恐ろしくなった。
しかしながらもう外に出てしまっている時点で、時すでに遅し。
やーめたと言って寝転がることもできやしない。
決意し、並ぶことにした。
痛い、痛くなってきた。
必死に我慢する。
近づいて来たミスドのショーケースをガン見し、どれにしようかと意識をそちらに向け、痛みを感じていないふりをした。
ふりをする必要はないだろうと思う方もいるかもしれないが、わたしの前に並んでいたのは、わたしの腰あたりの身長の子どもたち。
目の上まで深く被った帽子にマスク、季節感を間違えた適当な格好をしている女が、ふぅーうぅーと唸り声をあげていては、完全に不審者になってしまうと思ったからだ。
長い、長すぎる。
かれこれ15分は並んだ。
とは言っても数字にするとたった15分。
わたしの感覚では30分以上は立ち並びしていたような気さえするほど、痛みに耐え、早く順番が来ないだろうかと願っていたのだ。
やっと買えた。
買えたのはいいものの、外は雨。
父親についてきてもらっていたので(父親は車待機)車はどこに停めているのか聞くと、わたしが最初に降ろしてもらった場所と真反対。
雨の中駐車場を探してくれている最中、途中で1番近い入り口で降ろしてもらっていたのだ。
…走るか。
走った。
雨に濡れたくないので走った。
これは人間のサガなのか、人は雨の中傘がないと走ってしまうのか?
なぜ痛みがあるのにも関わらず、わたしは走ってしまったのだろうと後悔するまで早かった。
助手席のドアを開け乗り込む瞬間、
本当に言葉の通り、腰が砕けるかと思った。
というか、もう自分を支えきれず倒れるかと思った。
歯を食いしばり、強烈な痛みを感じつつやっとの思いで助手席に乗り込めた。
すぐにリクライニングをMAXまで倒し、簡易ベットもどきを作り、寝転がる。
父親に、安全運転でゆっくり帰って…と一言残すとわたしは目を瞑り、ガタガタ道路の揺れに耐え、痛みを最小限にとどめる体勢を必死に守り続けた。
家に着いた。
最終試練はここにある。
助手席のドアを開け、
地面に降り立とうとしたその瞬間、
わたしの背中に悲鳴が走った。
悲鳴だ。鳴いていたのだ、背中が。
当の本人は泣いていた。
いくら我慢できようとも涙だって出てくるサ。
家に着いたからって油断していた。
これでわたしは車の乗り降りでさえ怖くなった。
外に出たことを後悔した。
食欲を前にすると、痛みでさえ忘れてしまうのだから怖い。
後悔先に立たずとはまさにこのことである。
その日食べたミスドは、痛みを我慢し耐え抜いた、勝利の味がした。
本気で手術を検討中である…。
(イラストは、背中に手を回している図。なかなか伝わりづらいと思ったのでローマ字でちゃんと背中だよと書いている)