マガジンのカバー画像

1111冊を読む日々

20
運営しているクリエイター

記事一覧

村上春樹『街とその不確かな壁』新潮社

 コロナのロックダウンの間、ずっと書き継がれていた小説。書店の平積みの上に、そんなポップが立っていた。確かに、小説に出てくる街は、コロナのせいで人通りが消えた、たちの悪い静けさと同じような気配が漂っている。  懐かしい人々。いったいどうしてそう思うのか分からないが、この小説の登場人物はみな、懐かしい。前世紀の幻を見ているようでもある。ところで誰もスマホを持っていないのは、いったいどうして、、、。  黄昏は、現実と夢、生と死、大人と子供、比喩と描写が交錯する。それを書き留め

(ショートショート)Chat GPTで架空の人物になってしまった話

 Chat GPTに身元がバレているかどうか気になったので、実名を"Send a message"に入力して、この日本人は誰?と聞いてみた。すると、 「(私の実名)は、日本の元プロ野球選手であり、現在は野球解説者としても活躍しています。1966年に西鉄ライオンズに入団し、その後も日本ハムファイターズや広島東洋カープなどでプレーしました。主に遊撃手として活躍し、オールスターゲームにも7回出場するなど、長年にわたってプロ野球界で活躍しました。」だって。もちろん、これは私の事実では

「ネーション=ステートと言語学」柄谷行人(岩波書店『定本柄谷行人集・4』より

 春休みに柄谷行人を読もうと思っていたのだが、興味が別の方向に行ってしまった。そこで、小さな発見のみ短く記しておく。  柄谷行人の手にかかると、巨大な思想が鋭い批評に晒される。例えば、国語学者の時枝誠記の日本語文法論は西田哲学を手がかりにして得られたものだ、という指摘は目から鱗だった。  確かに時枝文法の、名詞、動詞などの「詞」は漢語由来のものが多い。つまり「詞」は世界言語としての中国語の影響下にある。それに対して、日本語の文構造の根幹を成す助詞や助動詞、すなわち「辞」は日本

『知的創造の条件』 吉見俊哉 筑摩選書

 著者は、社会学の考え方を基本に都市論、メディア論から政治に至るまで、スケールの大きな知見を発表している研究者だ。カルチュラル・スタディーズの紹介者としても著名である。「知的創造」とは、著者の活動そのものだろう。幅広い知的創造がいかに行われているか、この本からそのあらましを知ることができる。  まず注目したのは、「問い」を、知的な活動や創造のベースとして、はっきりと位置づけていることだ。著者は「問いが生まれてくる回路」について、「実社会の経験」、「報道で知った社会問題」、(研

『世界の中心でAIをさけぶ』 片山恭一 新潮新書

 最初にシンギュラリティ(技術的な臨界点)のことや人間のアルゴリズム化について書いてあるだけで、あとは米国ワシントン州を車で旅して巡る旅行記じゃないか、本を売るためにAIをタイトルに付けたのかなあ、そう思いながら読み進めていた。  133ページで突然、ハイデガーの技術論が言及されていて、ハッとする。そうか、AIは、他もたくさんある、ステキな技術と同じく、人間の自己疎外と表裏一体のものなのだ。「技術とは人間に制御しえない何かだ」このことばを膨らませて、考えてみた。  疎外論の元

『10年後、ともに会いに』 寺井暁子 クルミド出版

 当書はUnited World College (世界各国から選抜された高校生を国際人として養成する機関)を卒業した著者が、卒業から10年後に世界各国に散らばった同級生を訪ねて歩いた記録である。ほぼ一年に渡る旅、ヨーロッパ、米国、中近東にいる友人への訪問記が収められている。著者はイスラエルとパレスチナを訪れた後、2011年エジプト革命に遭遇する。その地域と革命を実際に見た記録が400ページに渡る当書の半分を占めているのも特徴である。  「目を閉じて世界地図に向かってダーツ

『インタビュー』木村俊介 ミシマ社

「静かには見えながらも暴力や時代の矛盾のようなものにさらされている姿」を内側から訊くことに、インタビューによる取材の可能性を感じている、、、」(P69) インタビュアー・木村俊介の書き下ろし『インタビュー』(ミシマ社)は、不思議な本だ。木村俊介には『仕事の話』(文藝春秋 2011年)、『料理の旅人』(リトルモア 2012年)などのインタビュー集がある。『インタビュー』はインタビューの入門と解説の本、といえばそうなのだが、これを読んですぐに上手にインタビューができる、とか、ど

『東京を生きる』 雨宮まみ 大和書房

 「東京を生きる」を上海で読んだ。上海中心部はこの10年ほどの間に、東京以上に豪華なショッピングモールが立ち並び、道路は高級車で溢れている。歩く人はブランド物を身にまとい、モダンなレストランは予約が取りにくい。一方で、郊外の暮らしは、以前よりは立派なマンションが増えだいぶきれいな感じになったが、中心部の消費と釣り合うほど豊かか、と問われれば、程遠い。富の偏在によりごく限られた人たちが奢侈品の消費に走り、中流の上ぐらいの層がそれに追随して、富の印を見せようとブランド物をまとい上

(詩集)『夜空はいつでも最高密度の青色だ』 最果タヒ リトルモア

 ユリイカ今月号(2017年6月号)の最果タヒ特集を機に、タヒさんの詩集を読み直している。「夜空はいつでも最高密度の青色だ」から遡っていく。この詩集は映画化された。大勢の人に読まれ支持される詩集、その秘密はどこにあるのだろうか。  まず、佐々木俊さんによる装丁が目を引く。モニター画面を拡大すると見えてくるドットか、スマホのゲーム画面を連想させる。佐々木さんご自身が「ユリイカ」で書いているように、最果タヒがインターネットを中心に活動してきたイメージを大切にしているようだ。

(詩集)『死んでしまう系のぼくらに』 最果タヒ リトルモア

 フィルムカメラの時代、夜景を写したネガは透き通っていた。透明なネガを印画紙に焼くと夜景が現れる。夜を再現するために透明となったネガフィルム。ティーンエイジャーだったころ、ネガフィルムのようなノートを溜め込んでいた。書くうちに文字がだんだん透き通ったかもしれない。何十年も経って読み返すと、下手な散文詩のようでもある。天才詩人、最果タヒの場合は、ネット空間が夜を写し取るネガフィルムだったのだろう。そこに書かれた文字に、 誰かが詩という名前をつけたのだ。 「ただきみに、わたしのせ

『今夜はひとりぼっちかい?ー日本文学盛衰史 戦後文学篇』 高橋源一郎 講談社

 文学、特に小説が広く読まれるためには、その小説が背景とする時代に対する共通の認識がなければならない。これをコンテクストと呼ぼう。近代文学は「近代」という、戦後文学は「戦後」というコンテクストを失って、読まれなくなった。   さらに、高橋和巳や井上光晴、野間宏、あるいは小林秀雄を読む「読者層」が存在した。読者同士の議論や語らいがあった。そんな議論をするサークルに加わるために読む、なんていうこともあったかもしれない。文学の「場」が存在した。敢えて言えば、ファッションだったのかも

『郊外の社会学』 若林幹夫 ちくま新書

 新宿から小田急線の快速急行で30分の、まほろば。記憶の中にしか存在しない街だ。『郊外の社会学』の著者、若林幹夫とぼくとは、どうやらそのまほろばの街で、同じ時に同じ光景を見て育ったらしい。雑木林や畑がつぶされて団地になり、コンクリート造りの遊び場が出現したこと。夕方、駅を降りてマイホームに向かう大勢の人達。都心への通学、通勤。ティーンエイジャーの頃、街の目抜き通りで「23万人の個展」というお祭りが開かれ、やっとコミュニティの「ハレ」の気分を味わったこと。  それらはすべて、ま

『生き延びるための思想』 上野千鶴子 岩波書店

 1960年代後半の全共闘運動に参加して、その後、政治や行政、企業活動の中心となった人が数多くいる。彼らの活躍は認めるとして、全共闘に加わった時代の言動や行動とその後の人生があまりにも非連続だ、という違和感を、ぼくはずっと抱いている。  上野千鶴子の著作を読んで初めて、その時代から思考や主張が首尾一貫した人に出会ったような気がした。  読んだのは『生き延びるための思想』(岩波書店・2006年)、上野自身が、国家、暴力、ジェンダーという思索の到達点と言っている論考「市民権と

『おひとりさまの老後』 上野千鶴子 文春文庫

 おひとりさまは、ずっとシングルだった人だけではない。夫婦で過ごしてきた人も、パートナーが亡くなればシングルに戻る。そして、平均寿命が長い女性の方が、おひとりさまの老後を迎える可能性は高い。  その老後をどう過ごすか。団塊の世代が60歳代になった2007年に出版されたこの書がベストセラーになった次第だ。  子供と同居するのではなく、住居を含めてこれまで蓄えてきた資産、積み立ててきた年金(場合によっては夫から相続したそれら)を使って、なるべく最後まで自立して暮らす。介護が必要に