『生き延びるための思想』 上野千鶴子 岩波書店
1960年代後半の全共闘運動に参加して、その後、政治や行政、企業活動の中心となった人が数多くいる。彼らの活躍は認めるとして、全共闘に加わった時代の言動や行動とその後の人生があまりにも非連続だ、という違和感を、ぼくはずっと抱いている。
上野千鶴子の著作を読んで初めて、その時代から思考や主張が首尾一貫した人に出会ったような気がした。
読んだのは『生き延びるための思想』(岩波書店・2006年)、上野自身が、国家、暴力、ジェンダーという思索の到達点と言っている論考「市民権とジェンダー」を第一章に置く書である。
その第一章で上野はまず、市民権(現代社会では人権と言った方が分かりやすいかもしれない)はジェンダー性、階級性、そして国家が与える権利は国家への義務の上に成り立つという排他性を孕んでいるとし、その国家が犯罪と見做さない暴力は軍隊とDVであり、両者の要の位置に男性がいる、と論じる。市民の判型となり支配的地位にいるのは男性であり、支配者がいれば当然、被支配者が生じるという構図だ。
こういう社会をジェンダー平等な社会に変革するためには、市民権の脱男性化が必要となる。女性が名誉男性となる機会を与えられることではない。違っていてもよい権利、違っていても差別されない権利が確立される必要があるのだ。
上野はさらに、市民権を与える国家さえも選択(場合によっては多重選択)されるようになる可能性を指摘している。
第一章でこのような議論を展開した上で、それに続く各章では、国家と軍隊、民族、プライバシー、文学、と、様々な局面が、フェミニズムの視点で光をあてられる。書評や他論文への反論を収録した章は、元となる論考を読まねば分かりにくいという難はあるものの、上野の、フェミニズムを柱とした変革の思想のスケールの大きさが窺える。
そして書の最後に置かれた「[補論]生き延びるための思想」が、実は、これまで述べたような到達点に上野が立って、次の主題を見渡す重要な章となっている。フェミニズムも、多様性を当然とする社会の希求も、みな生き延びるための思想なのだ。これを最も必要とするのは高齢者であり、実践するのがケアだ。そのための知恵や具体的な工夫を考えたい。
「社会学はそのための『此岸の思想』のツールとしてこそ、力を持つだろう。」この書はこう結ばれている。
なるほど、そう繋がっていくのか、と思わせられた。
疑問もある。生き延びる思想を高齢化社会で実践するのは大変重要だが、前提としてやはり多様性をこの世の権利として確立する必要があろう。まず、そのための処方箋を書いて欲しい。そもそもこれまで多様性を認めることが出来なかった日本の社会は、今や衰退の崖っぷちにいるように見える。問題を提起しただけで次のテーマに進んでしまうのは、大騒動のあげく何も解決できないまま卒業していった全共闘世代そのもののようだ。
とは言え、多様性の権利を確立できないでいることは、ぼくの世代(全共闘世代のすぐ後)の責任でもある。問題をひとまず引き取り、次は、上野千鶴子が高齢化社会をどのように論じているか、読もうと思う。