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Dear マイボーイ

昨日できなかったことが今日できるようになっている。 君は大人には到底できない荒技を毎日見せてくれる。 ちょっと前までコミニケーションなんて取れない生物だったのに、「牛乳飲む?」と訊ねると大きく首を縦に動かして「うんうんっ」と返事をする。 溢れそうになるほどの感動を毎日毎日与えてくれる君の、日々の呆れるほどの成長をできるだけ近くで可能な限りの時間を作って見つめていたい。 そして嫌がられても全力で抱きしめていたい。 今日も元気でいてくれてありがとう。

    • 先の推進力とは物語の中心軌道である。これにサブストーリーを肉付けすると物語として太くなり、またサブストーリーは終盤に中心軌道に重なると重層的になる。全てのストーリーラインは人物一人ひとりの人生によって描かれる。よって主要人物はクズでもいいが、魅力的でなければならない。

      • 物語において重要な要素のひとつに推進力がある。物語を次へ次へと進めようとする力を指す。例えばそれは登場人物の願望であったり、守らなければならない物事であったり、簡単に言ってしまえば物語の着地点だ。それをいかに序盤で簡潔に提示できるかもまた重要。着地点は具体的で明確であるべきだ。

        • 男が思う、品のある女性とない女性の違い

          という記事があって開いてみた。品格については常々考えを巡らせているので他人の意見も気になった。読んでみて誰もが思うだろうが、これは本当に品についての考えだろうか。僕が話し合いたい土台ですらない、というのがこの記事に対する感想だ。 さて、そもそも品とはなんぞや。品という漢字の概念は、階位の意味なので階級や位と大枠の性質は似ている。結論からいうと、今いる位置や場所、階や位に応じた立ち振る舞い、あるいはその容姿であることを指すと思う。またそれを強いることで体制の力を保持、誇示する

        • Dear マイボーイ

        • 先の推進力とは物語の中心軌道である。これにサブストーリーを肉付けすると物語として太くなり、またサブストーリーは終盤に中心軌道に重なると重層的になる。全てのストーリーラインは人物一人ひとりの人生によって描かれる。よって主要人物はクズでもいいが、魅力的でなければならない。

        • 物語において重要な要素のひとつに推進力がある。物語を次へ次へと進めようとする力を指す。例えばそれは登場人物の願望であったり、守らなければならない物事であったり、簡単に言ってしまえば物語の着地点だ。それをいかに序盤で簡潔に提示できるかもまた重要。着地点は具体的で明確であるべきだ。

        • 男が思う、品のある女性とない女性の違い

          映画を趣味にしたい人に捧げます

          まず結論から言って、映画の現場で働くくらいの映画好き、または映画に関わるほどの映画好きは、全員揃って「監督」で映画を選びます。 例えば「バーホーベンの新作」が劇場公開されたら劇場へ行くのが当たり前です。もちろんイーストウッドの新作が出ても行きますが、堤なんたら監督の新作は行きません。自分なりの信頼できる監督を見つけている人は全員映画好きです。 ではどういう映画監督が世の中にいるのかご紹介していきます。 まず日本から。 園子温監督/代表作「愛のむき出し」「紀子の食卓」「

          映画を趣味にしたい人に捧げます

          親切な日々にさようなら #100文字ドラマ

          通勤で同じ電車に乗る小奇麗なあばさんの、不躾で想像力のない行いに苛立っている主人公(29)。デスクに着くとまず、BBAと表紙に書かれたノートに殺す方法を綴る。膨大な量だ。ある日、地震でデスク周りの書類が散らばる。部下の女性にノートを拾われてしまったことで…

          親切な日々にさようなら #100文字ドラマ

          中学生教師の好意と殺意 #100文字ドラマ

          中学校教員をしている独身の主人公(36)は、バトルロワイアルゲームに夢中で、オンライン上で仲良くしているLINAちゃんにも夢中だ。SNSを駆使し、LINAちゃん(16)が横浜に住む高校生であることを特定した。LINAちゃんに対するストーキング行為を始めた主人公は、LINAちゃんの秘密を知り、エアーガンを購入する。

          中学生教師の好意と殺意 #100文字ドラマ

          STAR WARS EP9を考える

          何が頭に残った?ぼくはSWのGeekでは全くない。メディ=クロリアンがどうとか、みたいなことには一切興味もない。ぼくはただの映画好きなので。 そんな立場のぼくが東宝新宿を出てすぐに思ったことは「さあて、ご飯なに食べるかな」だった。何も残っていなかった。なぜ、そんなことになってしまったのか。 この戦犯はJJか、キャスリーンかJJはEP7で大小様々な風呂敷を大量に広げた。その風呂敷を畳む作業にライアンは一切手を付けずやりたいことを貫き、結果本作でJJはずっと風呂敷を畳んでいた

          STAR WARS EP9を考える

          観続けるべきか、辞めるべきか

          映画の脚本のほとんどは型に収まっていると言えます。そもそも映画館には一日に公開できる作品の本数(総合計時間)というものがあるので、型に収まらなければならないのです。それゆえに、構造もそれに合わせて縁どられています。 具体的に説明するのはうざったいので、ざっくり申し上げると多くの映画が「AがBをしてC(になる)をする」というのが物語の構造です。 これを例えば100分で描くとすると、Aという登場人物(またその世界)の説明は10分以内で終わらせ、AがCを認識してBを始めるまでに

          観続けるべきか、辞めるべきか

          家で映画を観る場合は絶対、吹き替え

          映画は情報です。 目線、仕草、表情。ロングショット、クローズアップ。パン、フォロー、ズーム。装飾、衣装、背景、芝居場。全部、情報であり、その伝達方法にすぎません。説明で人は振り向いてはくれないので、優れた映画の監督は説明を表現に昇華させて人物の心や情動を描きます。 そのうえで、映画監督は、映画館でかかることを大前提に情報の過不足がないよう巨大なスクリーンに物語を描きます。ゆえに、決定的に、家で映画を観たところでそのうちの殆どは観た人に届きません。何しろ、100分の1ですか

          家で映画を観る場合は絶対、吹き替え

          なにやってんだろう

          ふと我に返って、「あれ、わしは何をやってんだろう」と思うことがある。仕事中、必死に汗かいて会社に利益作ってふと「なにやってんだろう」大好きな映画鑑賞を梯子で5本観てその帰りの電車・・・ 仕事もかたや大好きなことも、ふとそれに気が付いてしまうと虚無感に苛まれ、その中に飲み込まれてしまう。毎度それに遭遇してはそれに対して適当な理由を添えて開いた傷口にバンドエイド。あるいはこういうときに「初心をなんたら」って言葉があるのかもしれん。やろうと思った理由を掘り返せば「あーそうだったと

          なにやってんだろう

          人を見た目で判断するな、とは

          見た目について ぼくは人を見た目で判断する。哀しいかな、外見にはその人の願望や理念や思想が現れている。それを読み取ることはさほど難しいことではない。それこそパンク・ロックを歌う人がパンクの思想を装うように、見た目は主張のひとつにもなりえる。自分の意思で選択したものには必ず、それを選んだ理由がそこに否が応でも宿ってしまう。 眼鏡ではなくコンタクトレンズにしている理由。その一方で眼鏡を掛けている理由。化粧を濃くするのにも、黒い服を選ぶのにも意識せずとも意思が宿っている。コンプ

          人を見た目で判断するな、とは

          大人になったものだ?

          大人ってなんなんだ 大人って何? 子どもって何? そうやって子供に聞かれたら、どう答えるかはとても大事なことだ。 年齢とか法律でその線引きを設けている社会的な意味での大人を大人と呼ぶのは簡単だが、果たして本当にそうだろうかと疑わずにいられない。 高須クリニックのナチス崇拝おじさんが本当に大人なの?電車で目の前に人が立っているのに、足を組みっぱなしの人を大人と呼べるの?お客は神様だろう、と偉そうな態度を取る人を大人と呼んでいいの?全員、本当に成人してるの?文明社会で生きる

          大人になったものだ?

          non-noのきもちが「ゼイリブ」だった

          近ごろ、言葉の意味がわからないことが多い。 ボケてきた、ってのもある。 それとは別で生活する中で色々とわかったフリをするのが心底疲れることに気付いて、わからないものはわからないと受け入れたら、世の中まじでわからないことだらけだった。 例えを考えている時に、ふと思いついたのが「non-no」という雑誌の表紙にデカデカと書かれている文章。 圧倒的抽象性が混沌としたその文章は、はぁ?のオンパレード。意味がわからすぎて「スキャナーズ」さながらに脳が爆発しそうだけど、同時にすごく興味

          non-noのきもちが「ゼイリブ」だった