男が思う、品のある女性とない女性の違い

という記事があって開いてみた。品格については常々考えを巡らせているので他人の意見も気になった。読んでみて誰もが思うだろうが、これは本当に品についての考えだろうか。僕が話し合いたい土台ですらない、というのがこの記事に対する感想だ。

さて、そもそも品とはなんぞや。品という漢字の概念は、階位の意味なので階級や位と大枠の性質は似ている。結論からいうと、今いる位置や場所、階や位に応じた立ち振る舞い、あるいはその容姿であることを指すと思う。またそれを強いることで体制の力を保持、誇示する狙いもあったのではないだろうか。

この記事を公開した側がこれを誇示することで示されることは、「これに該当しなければいい女ではない」というレッテルや決めつけである。同時にその危機感によって消費を感化しようと陳腐な狙いもはっきり浮かび上がっている。この記事そのものが下品だ。

ガラスの天井国家ではしばしば、女性にばかり品を問う。

なぜ東出さんは許され、唐田さんは追放されるのか。人間には業がある。それに男も女も関係ないはずなのに、品がない行いを女性にばかり強いる。女性をそれこそ「品(しな)」のように扱っている表れじゃないか。

ソーシャルメディアはそれをさも当然のように肯定し、メディアが嬉しそうに便乗する。自己肯定しながら自らの首を絞め上げている。誰もが消費という階段の上で、振り落とされまいとしがみついて、階段をさらに積み上げて上へ上へと上がろうとしている。それが単なる平行移動の幻想であったとしても、その上に乗っかっている人からすると価値はそこにしかない。回し車に居続けたいならこの記事のいう品にしがみつけばいい。

利他的な想像力を持ち合わせていれば、それはもう品だ。こんな下らない記事はいらないよ。

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