【書評・要約】FACTFULNESS ファクトフルネス【考察】
ファクトフルネス。数年前に大ベストセラーになった本なので名前を聞いたことのある方も多いだろう。
筆者も書籍だけは購入しており、陳読本の一つになっていた。
本が分厚いので読もうとし始めるのにハードルが高かったのがあげられる。
まずこの本の要旨について述べる。
私たちは様々な認知バイアスによって世界の実情を正しく捉えられていない
著者の言いたいことを一分で要約すればこういうことになる。
「世界はどんどん悪くなっている」という誤った思い込み
私たちはニュースやSNSで毎日毎日世界の凶悪で恐ろしいニュースや途上国の悲惨な実態と称されたコンテンツを目にしている。
そのせいか、未だに途上国は極貧で食うや食わずの原始的な生活をしており、途上国の女性はまともな初等教育すら受けられていないと思い込んでいる。
だがそれは間違った思い込みで、世界の貧困はここ数十年で劇的に改善されたのだ、と著者は統計を使って鮮やかにそれを証明する。
現在世界のマジョリティの多くの人間は中所得国に住んでおり、それなりの暮らしを営んでいるというのが事実だ。
南アジアや北アフリカなどの最も貧しいと思われている国でも1950年代のスウェーデンに近いレベルの生活水準の暮らしができている。
アメリカの犯罪率は90年代前半をピークにどんどん減っているし、
世界の紛争の数や、紛争による死者の数も歴史上今が過去最低を更新している。
世界の人口が昔とはくらべものにならないほど何十億も増えたのにもかかわらず、だ。
これは驚異的なファクトだ。
世界を全体的視点から俯瞰すれば昔に比べて確実に良くなっているのだ。
人間の分断本能、恐怖本能をネガティブ本能を煽り物の見方や事実をゆがませてしまうメディア
人間の本能や認知メカニズムには「私たち」と「あの人たち」というように自らが所属する集団と外部の集団を分けたがる。
これを分断本能と言う。
正義か悪か、金持ちか貧乏か、自国か他国か。
そのように二項対立でドラマチックに考えたがる本能がある。
この善悪二元論や自分の集団vs外部の集団という二項対立の考え方はキリスト教やイスラム教などの一神教に根強く見ることができる。
『感情から書く脚本術』の著者であるカール・イグレイシアスも次のようなことを述べている。
ハリウッド映画では観客の感情を揺さぶることこそが至上目的であり、そのために主人公と主人公の障害となる二項対立の設定は非常に有効である、と。
話を少し戻す。
「世界はどんどん悪くなっている」という人々の思い込み。
これは人間の「ポジティブなニュースよりネガティブなニュースに強く反応してひきつけられてしまう」というネガティブ本能が過剰に働いてしまったことによる。
日本でも年配の方がTVのインタビューなどで「最近は物騒になった。治安が悪くなった。(昔は平和だったのに)」
というような受け答えをしているのを一度は見たことがあるだろう。
日本の世論調査でも治安が悪くなっていると答える人が過半数を占める。
だが、国の公式資料の統計によると日本の犯罪率は戦後は基本的に低下の一途で、2002年と比べると2022年の日本の犯罪率は5分の1になっている。
また、人間には恐怖本能が備わっている。
ヘビ・クモ・針・血・溺れることなどに私たちは恐怖を感じる。
これはホモサピエンスが進化の過程でそれらを恐怖し遠ざけることによって生存確率を上げることができたからだ。
ネガティブ本能と分断本能もこれと同じように説明できる。
サピエンス全史の著者ユヴァルノアハラリ曰く、
人類は宗教や国家という「虚構」のフィクションを作り出し、そのフィクションを群れの集団の構成員が信じることによって繁殖や集団の強化に成功し、他の人類や生物より上に立ち、生態系の頂点に立った。
あいつら(ネアンデルタール人)
あいつら(他の宗教を信じる異民族)
これらにネガティブなイメージを持ち分断的二項対立思考で臨むことで人類は繁殖して文明を発展させることに成功した来たのだ。
だが、21世紀の現代社会はそれ以前との社会とは全く別物だ。
そういった分断本能やネガティブ本能、犯人捜し本能などに振り回されていると、世界が正しく捉えられず、否定的な思考に取りつかれてメンタルヘルスを崩してしまい、うつ病などにり患すると逆に生存が脅かされかねない。
また、世界を正しく捉えられないと資本主義社会においてビジネスや仕事にも支障が出かねない。
SNSでよく見る分断その1(右翼編)
ここからは具体的で卑近なケースを挙げて考察していきたい。
右派の人たち、いわゆるネット右翼と呼ばれる人々は在日韓国人やクルド人の犯罪や生活保護受給率にひたすらフォーカスし、それが日本社会の現況のように主張しているのを見かける。
ただこの東大発表の記事によると
このように移民の犯罪率は右派が主張するように多くないことがわかる。
もちろん日本人の犯罪率より高いことは事実で、特に移民による強姦などの犯罪が目立つのは理解できる。対策が必要ではあるが、それが「日本社会を悪くしている犯人」のように扱うのはおかしいと考えるのが客観的なファクトだろう。
コンビニの技能研修生にリスペクト
著者が人生観をガラリと変えられた出来事の例が興味深かったので紹介したいと思う。
スウェーデン人の著者が医学部4年生だったころインドの医学校で学んでいた。
そしてインド人たちと同じ授業を受けていた時のこと。
著者は当然自分のほうがインドの医学生より知識豊富だと思っている。
しかしだ。
最初の腎臓がんに関しての授業で著者は驚くべき体験をする。
ヤシの木の下で不衛生な暮らしをしているインドの学生たちが先進国の医学部生である著者よりも圧倒的に知識豊富という現実を目の当たりにする。
この一件で著者は西洋中心主義、西洋至上主義に強烈に違和感を覚え、西洋の繁栄は長くは続かないと確信するようになった。
私はこれと似たような経験として、日本のコンビニのネパールの技能研修生たちに同じことを思う。
私は大学時代コンビニバイトをやっていたことがある。
だが、私はADHDで、マルチタスクが苦手なためだいぶ苦戦を強いられて店長から怒鳴られたりかなり悔しい思いをした。
仕事についていけないと感じコンビニを辞め楽な家庭教師や古着屋のバイトにチェンジした。
一方、コンビニの業務を器用にこなすネパール人たち。
彼らの国のレベルはつい最近までレベル1,つまり極度の貧困国だった。
そんな国の国民が全く違う言語である日本語を使いこなし複雑なマルチタスクをこなしている。
日本のインフラである24時間営業コンビニエンスストアを支えているのだ。
これは吃驚すべき事実である。
右派の人たちは移民の強姦や犯罪などにばかり目が奪われすぎて、移民のロールモデルである彼らに目を向けようとしないのは何故だろうか、と思ってしまう。
SNSでよく見る分断その2(フェミニスト、出羽守編)
先ほどの例と真逆の極の人たちがいる。
「日本は欧米に比べて劣っている」
「後進国の日本の低出生率は憂うべき事態であり、多産で先進的な欧米に見習うべき」
このような主張をする人々(大半が女性アカウント)をしばしば目にする。
が、事実が異なっている点が多々見受けられる。
私が以前の記事で書いたように、
欧米はもはや低出生率で、近年の下がり幅は日本より激しい。
フィンランド、スペイン、イタリアなどに至っては日本より出生率が低い。
欧米で一番多産なフランスでも沖縄の出生率と同程度である。
彼女たちはなぜ沖縄に見習え!と言わないのか不思議ではある。
また、欧米でも高出生率で多産なのは「田舎在住・極右・敬虔なキリスト教信者の白人」と「欧米とは異なる文化をバックグラウンドにする移民」であり、欧米は進んでいるから多産だと主張する出羽守やフェミニストの方々との政治信念とは真逆の人たちだ。
これも「欧米(の白人たち)は無条件で優れている」というパターン化本能であり、
アジア人女性の一部が白人至上主義の片棒を担いでいると言われている問題と地続きであろう。
一つの考え方や主張で問題を解決できるほど世界はシンプルではない
単純化本能。
シンプルなものの見方に私たちは惹かれる。
たとえば、市場原理主義。市場はすべて正しく資本主義こそが至高であるという概念だ。
これはネオリベラリズムやリバタリアニズムと親和性がある考え方で、非常にシンプルな世界の見方であるが、それだけを信じ込めばそのひとつの切り口でしか物事を見られなくなってしまう。
この思想だけに依拠すると、資本主義の市場で勝った者だけが富を占有することができる。当然持てる者と持たざる者の格差は広がる。富の偏在だ。
また、資本主義で優位に立てるのは親ガチャで知能、資産、容姿で当たりを引いたものに偏ってしまう。
現在先進国で社会問題となっている1%の持てる大富豪と99%の残りの没落する庶民という問題が解決できない。
これの真逆な思想として、コミュニズムがある。
共産主義、分配こそが正義という考えだ。
この考えだけに拘泥すると格差だけがあらゆる問題の元凶であり、資源の再分配によってなんでも問題が解決できると思い込んでしまう。
また共産主義は資本主義よりもトップによる権威主義、独裁主義になりがちというソ連や中国などの苦い経験も人類は経験してきた。
「先行きが不透明で、将来の予測が困難な状態」VUCAの時代を生きるために
私たちは既存の価値観や雇用制度、社会が崩壊した今まで人類が経験したことのない先例なき時代を生きている。
たとえるならば室町幕府という権威が滅び去り戦国時代のような乱世である。
封建時代が終わりをつげ資本主義社会へと突入した数世紀前の近代黎明期とも似ているかもしれない。
そんな時代には認知のくびきやしがらみから解き放たれ、自由に深く、複雑に物事を考えるスキルが必要とされる。
今までの人間の本能のまま偏ったシンプルな思考をしていると、露骨な言葉を使えば「淘汰」される危険性が高い。
そういった時代を生きるための手引書として本作は非常に有益であり、VUCA時代の嚆矢となるものとも言える。
著者への反論
以上述べたように、本作「ファクトフルネス」は認知バイアスについて私たちに新しい視点を提供してくれる非常に有益な本である。
だが、著者の
「世界はどんどん良くなっている。発展途上国と言われていた人たちは昔よりもずっと生活水準が向上したことを先進国の人間はもっと知るべきだ」
というメインメッセージについて。
確かにグローバル化により世界の貧困と格差は全盛期と比較して見違えるほど改善した。
疑いようのない事実だ。
だが、同じグローバル化により先進国は貧しくなった。
正確に言えば。少数の富裕層と大半の没落した元中流層&貧困層の二極化が進んだ。
人間の寿命は全世界的に伸びているのに、先進国トップのアメリカの白人の低学歴低所得男性だけは寿命が縮んだ。
メリトクラシーに適応できない絶望死が先進国で増加する。
不本意な未婚を選択する若者は増加の一方だし、若者の自殺率は高止まりしたままだ。
「スマホ脳」の作者のスウェーデン人医師のアンデシュハンセン氏はこう述べる。
「世界でトップクラスで豊かなはずのスウェーデンでうつ病患者が飛躍的に増えている」
確かに途上国の貧困は改善した。
著者の主張通り絶対的貧困と呼ばれる衣食住に窮するレベルの貧困は人類は脱しつつあるだろう。
だが、相対的貧困、つまり先進国内での生活水準を下回る相対的貧困に苦しむ先進国の庶民の大半にとって、世界の裏側の元途上国の国民が以前より豊かになったからと言ってそれがなんの精神的足しになるだろう、という疑問が残る。
絶対的貧困を脱しつつある人類は相対的貧困という新しい問題へのソリューションは未だ提示できていない。
加熱する資本主義と民主主義は制度を疲労を起こしているが、これに代わるオルタナティブなシステムを人類はまだ発明できていない。
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