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都会暮らしの食と八百屋【八百屋から見た“食”no.67】

今回は、都市生活忙しすぎ問題を取り上げます。

・食事の時間取れない
・自炊の時間取れない
・外食で済ます
・食べずに済ます
・カロリー満たせば良い
・カロリー抑えられれば良い
・糖質抑えられれば良い
・タンパク質取れれば良い
・コンビニで間に合わせる
・菓子パンで間に合わせる
・野菜ジュースで間に合わせる

もちろん私もその渦中。こういう食生活になる場面、多々あります。
ただ、繰り返して日常化すると…

食事に興味がなくなる無限ループへ。

食べるまでの時間やマンパワーを消耗する「料理」が負担に思えてしまう、料理する⇔しないを比較してしまう生活。時に感じる面倒・億劫・苦痛を経て、料理しない食生活が慢性化。食生活に何も感じなくなります。

◇ひとり暮らし&20-30代前半
疲れている時に食事考えたくない。
眠い時や移動時も考えたくない。
予定びっしり、分刻みに追われる日常で食事や自炊まで考えられない。
考える時間がもったいない。夕飯何食べるかよりスマホのやりとり。
買えば食べれるし、食べに行けばいい。

◇30-50代&子育て世代
冷蔵庫のストックや賞味期限近いものの使い切り。
お子さんの給食とかぶらないメニュー。
お弁当おかずのレパートリーと見た目。
旦那さんの何でもいいのプレッシャー。
何作ったらいいかレシピ検索をザッピングする日々。

◇60代以上
糖質・塩分・カリウム、さまざまな摂取制限。
刻めない・危ない調理場面。体力や気分的にも面倒。
噛めない・食べ切れない食事。買い物も億劫。

老いも若きも家庭でも独身でも
どんどん料理しなくなる現実。

料理しない・作らないということは、
材料や素材もわからなくなる。
食卓で材料の話題にすらならなくなる。
もちろん季節感もわからなくなる。

使い方も切り方もわからなくなる。
どの出汁や調味料使ったかもわからなくなるし、
そもそも何味だかわからなくてよくなる。

自炊しない食生活の未来は“会話のない食卓・無理解・無関心”に。
出来立てを食べた感想や、料理の中身(野菜・食材・味付け・調理法)の話をすることもなくなる。会話の中で無意識に情報伝達/共有される機会も減る。大げさに言えば食事(食卓を囲む)文化&料理文化の衰退です。親の食事経験の範囲でメニューが決まるため、家庭内で常在する野菜・食材・調味料は固定され、世代が進むほど狭まります。

時間に追われる生活を続ける以上、コスパタイパ重視は強まります。
(アタマの片隅に“食生活なー”という自覚はあっても)食習慣の改善は同じ生活を続ける限りは難しく、偏りもさらに進みます。

東京/都市部の食生活は、日本全体からみればかなりの非常識です。
米の購入は1kg/2kgが主流。そもそも炊かない生活も可能。
ブロッコリーは使えても、カリフラワーを使ったことがない。切り方・料理のしかた・味付けかたがわからない。香りの強いセロリや食感と香り(匂い)が独特な椎茸は嫌われています。食べず嫌いor美味しくない経験を1回だけしてリトライしない。食べようとも思わない。“風景としての田畑”を見ない暮らしのため、猛暑の九州でも真冬の北海道でもブロッコリーやトマトが採れて1年中同じ産地の野菜を買えると思っている方が結構多いです。

炊飯器も包丁も持たず、ガスもIHも使わないし冷蔵庫持たない世帯。単身を中心にお見受けします。目の前のコンビニで買え、お湯もレンジもあり、飲み物も冷えていて買う生活。そういえば、過去のスタッフで休憩時間に毎度バックヤードでカップ麺すする奴もいました(すぐやめましたけど)。

朝コンビニサンドイッチ→昼牛丼→夜ラーメン。翌朝菓子パン→昼マ〇ド→夜は〇亀。カップ麺・おやつ・パン・スイーツ無尽蔵。カップサラダや乳酸菌や野菜ジュースやプロテインバーで帳尻あわせるのは気を遣う証。使われている食材に無添加やオーガニックを優先して買うのは気を遣う証。袋裏の食材や添加物や栄養価表記を気にする生活。その繰返しの日常生活。

生活がバラバラで家族で食卓を囲むことはまれ。健康を損なうと「○○が治る・体にイイ食材や無農薬野菜はないか」と八百屋を訪れる人が増えます。(今年入院したため)気持ちは痛いほどわかりますが、それまでの不摂生不健康の劇的改善を野菜や食材やオーガニックに求められても困るとしかいいようがありません。

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ツールは進化し、暮らしが変わっても、都会の八百屋で交わされる会話は20年前も今もまったく変わらない内容という哀しい事実があります。むしろ、素材をイチから伝えなきゃならない(以前なら常識だった)場面が増えたようにも思えます。

こうすると美味しいですよ。
こうすると簡単に食べれますよ。
買ってきた惣菜に足すとラクですよ。


自分はもうコレだけを常に話していようと決めています。
笑わないでください。大袈裟だと思わないでください。
それくらい都市の食生活は繁忙を極めて貧弱貧相。
都会暮らしで、これまでの文脈が1つも当てはまらない方はいないはず。

起きてから寝るまで、分刻みに追われる暮らし。
特に子育て中の皆さんに「普段から料理して」なんて、とても言えません。

それでも。

店に寄って、採れたて小松菜を見て冷蔵庫の豚肉との組み合わせをひらめいたり、スタッフと会話して新たなお手軽レシピにチャレンジしたり。確実に美味しいミニトマトや簡単サラダセットをベースに夕食を組み立てたり。買い物に出れないなら“知ってる店に知ってるモノを注文”して届けてもらう。
時代は変わっても食べる暮らしは不変。八百屋という“場”があることで、皆さんの食生活・料理生活に貢献できることは山ほどあるはずです。レシピ検索で悩む前に、その“場”にある食材の見た目に魅かれ、ひとことふたことの会話ですんなり買い物。時短効果も高いでしょう。2-3回分の食事をトータルで考えたら外食よりコスパもいいはず。

コスパやタイパを突き詰めても、短絡的&即物的行動と消耗疲弊にしかならないこと、そろそろ気づいていいでしょう。食べる楽しみ・作る楽しみをたまに持つのも悪くないはず。ファーストフード↔︎スローフードの二項対立ではなく、簡単でも手抜きでもいいじゃないですか。作って食べる行動そのものにいろんな気づきがあります。

簡単/手抜き/ラクに料理するのも知恵と工夫次第です。つまり本人が動くかどうか。ひとつのアクションで動きも心持ちもガラッと変わるでしょう。ラクに作れた経験がないと料理や味付けのコツ・時短のコツはつかめません。

たまのインスタントもいいけど。
外で食べるのも好きだけど。
都会暮らしの人ほど、時間取れない人ほど、
ちょっとだけ“食”をみつめ、ワンアクションでよいので動いてほしい。
八百屋が皆さんの食生活に貢献できることはまだまだあります。

買える楽しみや選択肢が消えて買えなくなる前に。
料理する楽しみと会話と食卓文化が消滅する前に。
食べる楽しみや健康体が消えて動けなくなる前に。ぜひ。


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↓関連投稿:都会暮らしに適合する八百屋


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八百屋ノムさん
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