シェア
隠蔽
2023年12月3日 02:13
師走。多忙な2ヶ月が終わり、安堵する。忙殺は楽だ。嫌でも自分の時間が消費されていく。ある種、中毒だと自覚している。自分の出来ないことや、現実に目を向けなくても、ミリ単位では前へ進んでいることに安寧してしまう。自分の欲しい未来や理想に近づいていなくても、今が頑張り時だと錯覚し、頑張ってしまう。自分の人生に対し、インプットやアウトプットをせずともどうでも良くなってしまう、その状態が怖
2022年7月10日 13:51
苦手なことが自分自身でできるようになる充足感に、心が満たされるのかもしれない。私は「自分はダメだ」「自分には出来ない」という気持ちに喰われやすい。出来るようになるまで本当に辛いし、別に努力はしたくない主義である。「努力」と自分が認識している時は、目的より手段に囚われている時の方が多いな、と、いかにもちょっと捻くれ者である。だから、緩やかに頑張れる範囲で、苦手なことが少し
2022年7月4日 12:46
最近、サザエさん症候群が酷い。かれこれ3週間ぐらい、日曜日になると激しく憂鬱になる。たぶん、1人で過ごす時間が最近少ないからだと思う。人といることは苦ではない方なはずなのに、やっぱり心のどこかで完全に自由ではないという気持ちと、雑多な街に住んでいると刺激が多いため、外に出ているだけ、人と過ごす時間が増えるだけ、少しずつ、少しずつ、自分がすり減っているのだと思う。そうはならない
2022年5月7日 02:25
あれは、中学生になりたての頃だったと思う。ずっと二人で一緒に勉強していた子が急に塾に来なくなり「通う曜日が変わったんだ」と先生に言われていた。その一年後、塾の先生から告げられた。本当は塾を辞めていたこと。辞めた理由は、癌を患ったからということ。そして先日亡くなったということ。とにかく衝撃を受けたのを覚えている。親には内緒で、しばらく疎遠になっていたその友人のご自宅に電話を
2022年1月16日 21:56
「不安は期待から生まれるんだな」と、最近常々思う。期待というのは厄介だ。自分にも、他人にも、求めている答えが得られなかったときに失望するものだ。でもそれは、求めている答えが得られるかもしれないと、諦めきれていないから失望する訳で。この失望が大きくなればなるほど、自身が辛くなる。この失望手前までの一連が「期待」なんだな、などと思う。期待は、それだけ価値があるものと信じたいから生まれる
2020年6月1日 02:08
"優しい"とは何なんでしょうか「気配り上手な人」「包容力がある人」「相手に期待しない人」気配りが行き過ぎたらお節介と言われてしまうし、人に干渉しないようにしすぎると冷酷な人と思われてしまうし、優しさの形はいろいろあるのに、少しでも度が過ぎると”ありがた迷惑”になってしまいますよね。しかもその「度が過ぎる」というのは相手の受け取り方次第であるから猶更厄介。だから人に優しくする
2021年5月16日 12:36
配慮の無い無神経な言葉に心が貫かれる。きっと発した側はちょっとした嫌味のつもりだったんだろうけど。受けた側はその言葉が何度も脳裏を過ったりして「嗚呼、受け流せる精神力の強さがあったら良かったのにな」なんて、何処か自分のことなのに自分のことでは無いような、第三者視点で物事を見ている。そういうものが重なると、時折全てが面倒くさくなって、全てを投げ出したくなる瞬間がある。「何故こんなにも仕