自分の人格形成に影響しているのは過去の体験・経験や印象深い人とのふれあい
今のジブンという存在について考えることがあります。今のような考え方や価値観・人生観を形成するに至ったわけを、暇なときやたまたま目にしたドラマや、読んだ小説などをきっかけにして思うことがあるのですね。
これまで生きてきた人生の中でも、人格・人柄・性格・気性・顔つき・言動など、思想・信条も含めてけっこう大事な局面が、幼い頃の見聞や体験ではないかと思うのです。
還暦を過ぎて終活がふさわしいお年頃になった今でも、小学校に入学する前や小学生当時の出来事を鮮明に覚えているわけですね。
これって、これまでの人生の中で、頻繁に思い出していたからこそ、風化もせず記憶の中にとどめていられたのだろうけど、風景や音楽や香りやふとした情景に触れた瞬間に、記憶を呼び覚まされることもあるのです。
あのときはこうだったとか、こういうことがあって、あんなことになったとか思い出すだけで、特に何か行動を起こすわけじゃないけど、懐かしむのが楽しいわけです。
で、そういう懐かしめる出来事の集大成が、その時々のジブンを形成してきたのだろうなと、そう振り返っているのです。
あなたには、そんな経験ないですか?
特に大人になる前の出来事で、強く印象に残っていること、自分の人との接し方にも大きな影響を与えただろうと思えるのが、過去記事にした傷痍軍人の姿であり、その傷痍軍人との関わり合いのエピソードです。
過去記事はこちら。
私の人生観や価値観といったものも、処世のための人生訓という座右の銘のようなものも、幼い頃の体験がベースになっているのです。
私たちには人それぞれに人生との向き合い方、生き方というものがあるわけですが、人のせいで自分の運命を左右されることもありますよね。
いま、中東で起きている悲しい出来事もそうだし、ウクライナでの出来事も同じです。決して本人が望んで手にした運命ではありません。
そういう極限の状況に置かれた場合に、人が望むものは何なのか?
生きるためのコップ1杯の水だったり、命を繋ぐためのパンであったり安心して眠れるベッドだったり。決して贅沢な望みじゃないと思う。
そんな極限状況下の人たちを思えば、私たちが日頃抱えている不満や不安というのは、笑い飛ばせるようなものではないでしょうか。
そうやって笑い飛ばせるようなものに、必死になって齧り付こうとするのがなんだか馬鹿馬鹿しくなってきますよね?
目の前に転がっている当たり前と思い込んでいる平和やインフラが、ある日突然消えて無くなるかも知れない、という覚悟も必要かも知れませんね。
今日から11月。
今年も残すところあと2ヶ月。
今年の過ぎ去った10ヶ月を振り返っているうちに、ジブンという存在の存在意義を考えてしまいました。😓
ってことで、今回は
「自分の人格形成に影響しているのは過去の体験・経験や印象深い人とのふれあい」という自分自身の存在意義を考えるこんな日もあっていい。😅
※見出し画像のイラストは、メイプル楓さんからお借りしました。
では!
諍いに 目くじら立てず のほほんと
<昨日投稿のサブアカの記事がこちら!>
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