唯一無二なのが自分の人生!似た人生は存在しても同じ人生はどこにも無い!
唯一無二といえば、ほかに代わりが無くてただ一つしかないこと、あるいはほかに並ぶものがないほど、その存在や程度が飛びぬけていることの意味を持つ表現であると、ものの本には書いてあるのですよね。
その四字熟語の「唯一」も「無二」も、それぞれ同じことを表現しているんですが、唯一は「ただ一つだけで、それ以外には無いたった一つのもの」という意味があり、無二には「二つとないこと、かけがえのないこと」という意味があるわけです。(^_^)b
こうやってみると唯一も無二も同じような意味であり、無二には最良のものであるという意味も含まれているようなので、唯一無二には「ただ一つだけの最良のもの」という意味が、特に強調されているということですね。
まさに、人生そのものを言い表しているようで、唯一無二の表現がふさわしいのは、人生と言って良いと思います。(^^ゞ
さて、このところ理不尽な侵攻で起こった戦争で、多くの人の命が失われており住んでいた街まで破壊され尽くして、助けを求めながら苦しんでいる様子が報道でも盛んに流れています。
どんな理由があろうとも戦争はしてはいけないというのは、私たち日本人も痛感していることですが、他人事では無く我が事のように受け止めて、人の命を守ることを最優先して争いの無い平和な状態に戻すことを忘れてはいけないと、改めて考えさせられました。🤔
我が国ではコロナ禍によって悲報が続いているけど、2019年に厚生労働省が発表した「人口動態統計」で確認すると、15歳から39歳までの若い人が亡くなった原因の第一位は「自殺」なんですよね。😥
唯一無二の存在としてこの世に授かった命を、ご縁をつなぎ永らえるのでは無く、自分自身でこの世から消し去ってしまうなんてことは、あってはならないことじゃないかと強く思い、絶対に自らの命を大切にして欲しいと願っているのです。😥
あなたももちろんそうだし、私も、みんなも大事な存在なんですよね。
この世の中で自分というのは、かけがえのない唯一無二の存在だから、もっと自分を大事にしなきゃいけないと思うんですよ。(^_^)b
生きる意味を深く考えるとか、生まれて来た理由は何かとかの哲学的なことも宗教的なことも、一切考えなくてもいいと思うのです。
ただ命の大切さをもっと念頭に置いて、生きるということ、生活するということを本気で考えたらどうだろうか、という思いなんですよね。
どんな人であってもどんな職業であっても、それぞれの存在が唯一無二の存在なんだから、順番を付けてみたり優劣で評価を下したりすることは、一定条件下での単なる並び替えに過ぎないのだと、みんなが理解しなければいけないと思うのですよ。
単なる並び替えに過ぎないのに、そうやって人格まで序列で決めてしまうようなヘンテコな過ちを犯してはいけないと、そう強く思うわけです。
何回か同じようなテーマでも書きましたが、個人の人格を尊重したら、安易な序列で順番付けを行い優劣の評価を下すなんていう行為が、どれだけ不遜な行いであり傲慢なことであるか、またそれを良しとする価値観がどれだけ本質からずれていることなのか、考え直すべきだと思いますね。(^_^)b
どれだけ似ている人生を歩んでいたとしても、決して同じ人生なんかじゃ無いし、どれだけ似ていたとしても、まったく別々のユニークな人生なんですよね。
それこそユニークな、唯一無二の人生なわけです、誰の人生であっても。
そこには普通だとか、立派であるとか、情けないとか、くっつける形容詞はいらんのですね。(^_^)b
どの人の人生も唯一無二の人生なので、くっつけるとしたら「素晴らしい」とか「貴重な」とかの、ユニークを尊重する言葉しか有り得ないと思うのです。
なのにほかの形容詞をもってくるなんて、人生に対して無礼千万、失礼なことこのうえないですもんね。🤗
だから、みんなもっと自信を持って、自分だけの唯一無二の人生を味わい尽くせばいいと思うのですよ、もっともっと楽しみながら。(^_^)b
言い方を変えるとしたら、あるがままの自分を素直に受け入れて、自分らしく生き抜く覚悟をすることが、かけがえのないユニークな唯一無二の人生を楽しむことに繋がっていくんじゃないかと、そう思うわけです。(^_^)b
ってことで、今回は
「唯一無二なのが自分の人生!似た人生は存在しても同じ人生はどこにも無い!」という人生に関する話題でした。(^_^)b
※見出し画像のイラストは、メイプル楓さんからお借りしました。
では!
大切な 自分抱きしめ のほほんと
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