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ニニギの母!秦氏の面影「池坐朝霧黄幡比賣神社(池神社)/千萬院」法起寺【田原本町シリーズ】【桃太郎シリーズ】【鏡作シリーズ】
秦河勝といえば京都・広隆寺から播磨に流れたとするが、この法貴寺(法起寺)から広隆寺に移り、後に播磨に流されたという説もある古社。
法貴寺、池神社については、日本書紀や正倉院などにも記述が残っているが、室町以降の記録が殆どない神社仏閣である。
法貴寺は、法隆寺・法起寺・法輪寺・法楽寺と並び大和五法寺と称される大寺院だった。池神社は法貴寺の鎮守社として、坊僧が神社の世話をしたと伝えられます。
近くに秦氏の寺もある。
変更履歴
2024/02/24 初版
▼HP▼アクセス▼祭神・本尊と脇時
※後述「▼見どころ」参照
▼見どころ
▽池坐朝霧黄幡比賣神社:奈良県磯城郡田原本町法貴寺502
「いけにますあさぎりきはたひめ 」と読む。祭神は「天萬栲幢千々比売命 (アメノヨロズタクハタチヂヒメノミコト )」と「菅原道真」。社名祭神名の示す如く「機織 ( 幡 ) の神」である。
「天萬栲幢千々比売命」は祭神名に栲と幡、つまり、「コウゾの繊維」と「機織り」と有るので、機織りの神となるようだ。『日本書紀』には高皇産霊尊の娘と紹介され、天孫降臨した邇邇芸命(ニニギノミコト)の母。
615年、聖徳太子草創の法起寺伽藍を下賜された秦氏が、その祖神・守り神として崇敬した古社
法貴寺とともに創建
730年、大倭国正税帳に「池神」と記載されている
806年、神封三戸が寄進された
946年か949年、法貴寺記録によれば、北野天満宮(私のNOTE)より菅原道真を勧請した
→菅原道真は、903年になくなり、2年後に太宰府(私のNOTE)に廟所を建て、都の怨霊騒ぎは収まらず北野天満宮が創設。北野天満宮の初代社殿の造営は947年なので949年が正しい??古来、法貴寺天神又は天満宮として知られている
中世から江戸時代までは「天満宮」の名で呼ばれていた
式内池坐朝霧黄幡比売神社としたよう
1882年、郷社になる
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推古天皇24年(615年)に聖徳太子草創の法喜寺伽藍を賜った秦氏が、その祖神を守り神として祀った古社である。
法喜寺の記録では、天慶9年(946年)に北野天満宮から菅原道真公を勧請した。よって、法貴寺天神又は天満宮として広く知られるようになった。
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上り系割拝殿が素晴らしい!!
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本殿玉垣内の本殿右に境内社が3社がある。右から、春日社、松尾社、梅尾社となっている。秦氏の松尾社あるね。梅尾社の祭神は梅尾丸が祀られているとのことだが、よくわからないです・・・。京都には松尾大社(私のNOTE)と梅宮大社(私のNOTE)が近くにあるのだが関係ないか・・。
本殿玉垣内の本殿左には皇子社がある。祭神は不明・・・。
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本殿右には、向かって右側に「須佐男神社」、左側に「事代主神社」が鎮座する。
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本殿左には「琴平社」、「市杵嶋社」、「波知久麻明神社」となっている。
▽千萬院:奈良県磯城郡田原本町法貴寺504
場所は「池坐朝霧黄幡比賣神社天満宮」左に見えた寺でしょうね。法貴寺の塔頭であるよう。国の重要文化財である不動明王立像が安置されているが、個人の拝観などは受け付けていないようだ・・。。。
ネット情報から仏像は次の通り。
平安時代の不動明王立像
室町時代の薬師如来坐像、
鎌倉時代の薬師如来坐像
南北朝時代の聖徳太子
室町時代の観音菩薩立像
平安時代の法貴寺・不動明王立像@重文
源四郎作の長谷寺式十一面観音
チャンスがあれば見仏したいが、何か仏像展でしか無理なのかな・・。
お堂の右手に地蔵堂、その後ろに五輪塔のようなものがある。お堂の正面小窓が開いていて中を伺うと、中央に釈迦如来像、左に不動明王像、十一面観音菩薩像、右に上人像のよう。
▼メディア情報
これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。
▼旅行記
初版以降の参拝は以下の旅行記の纏めで参照です。
▼セットで行くところ
▼仏像展
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