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三種の神器の八尺瓊勾玉の信の実
須佐之男は妣国の根之堅洲国へ参りたかったのではない。何せ妣のフリガナは「イロハ」、根は始まりの意味の根っこ。【ツクヨミノマコト】「橘の小門の阿波岐原の誠の実」では、瀬織津比売が押し波の小戸、速開都比売が引き波の阿波岐原、津波や川の氾濫で水浸しとなる、潟洲国に住みたくなかった。
伊耶那岐に罷免を願いでたが、留まれと却下。しからば天照大御神に罷らんと須佐之男は天に上ります。高天原は天より高い天球、次の場面に天は高山と描写する。伊耶那岐が淡路島へ隠居する前、何か聞いていたのでしょう。天照大御神は只の地震を須佐之男が攻めてきたと迎撃準備、御髪を解き美豆良を纏う。
角髪は耳の横に括って垂らす古代男性の髪型なのに、戦のために男装したと解釈するため、背に千入の靫を負い、平には五百入の靫を附けたと誤訳する。平が胸の平らな所とは笑止千万、平の原文は比良山地の比良。琵琶湖西岸に連なる比良山地、決して平らな山ではない。比良の由来はアイヌ語で険しい山、天とは高山に他ならない。背は原文では曽毗良、比良に曽爾村の「曽」を冠している。奈良県西部に三重県側に飛び出る、すすきが絶景の曽爾村。「曽」は「石」「爾」は「丘地」、石礫多い土地が由来です。
千入の靫、五百入の靫、「入」は「人」、単身戦うはずない。その前に記される、「八尺勾璁之五百津之美須麻流之珠」。八尺勾璁を御髻にも御鬘にも左右の御手にも纏い持ち、原文「美須麻流」を「御統」、多くの玉を貫き紐を通して、装身具として首に掛けたり、腕に巻いて持ったと解釈するが、纏うと持つの間には二点が有り、纏うと持つは繋がらない。
何を纏っていたかは不明も、持っていたのは八尺勾璁だけ、八尺の振り仮名はヤサカニ、三種の神器「八尺瓊勾玉」だ。そして「美須麻流」は「水あさる」、五百津は港に違いない。「五百津之美須麻流之珠」とは、五百津の水をあさった石だ。候補は阿波の青石の一択、庭園や石垣を美しく飾る緑泥片岩、魏志倭人伝にも青玉と記され、五百津は訛ったか改名したか、川岸の岩盤が固く、吉野川の川幅が急に狭くなる「岩津」、水が滞るため岩津の淵と呼ばれ、船の停泊地として賑わった。
【ツクヨミノマコト】「黄泉比良坂ストーリーの真の理」、隋書倭国伝が記す阿蘇山は阿波の崇める山、「阿崇火」は理由もなく天まで届く火を放つ剣山の光柱と紹介した。これには続きがあり、祷祭を行う如意宝珠有り、その色青く、大きさは鶏卵の如く、夜は即ち光り有り、「魚眼精」と言う。
「美須麻流」と「魚眼精」、水中の石を探すには魚眼が必要、緑色片岩には緑閃石が多く含まれる。字の如く閃くのは、ガラス光沢があり反射した光が発光するように見えたから。岩津の淵の奥底で、洪水の激流が至高の緑閃石に磨きました。またまた古事記の真の実を覆い隠すとんでもない誤訳です。
そして天照大御神はなぜ上ってきたかと須佐之男に問うが、その前の描写がまた意味不明。威勢よく音を立てる鞆を帯び、弓を振り立て向股に堅庭を踏み、沫雪の如く蹴り散らかし、威勢よく雄叫び、さらに踏み叫んで待って問うとなっている。
硬い庭の土を淡雪のようにって、さすが神様と言いたいけど、踏み散らかしたは伊都の男建、これを威勢よく雄叫びと誤訳、伊都を隠すため必死だ。そして向股に堅庭を踏みの原文の、股の字は般を朱書きしている。般は船の誤字か誤用だろう。根の堅洲国、この頃は潟の字が無かったか、知らなかったか、わざと誤用したか。泥土を跳ね上げ船に向かったが正しい。
須佐之男は船で上って来たから、男達は迎え撃ちに行った。須佐之男は伴も連れてないから男達を踏みとどらませて、まずは須佐之男の言い分を天照大御神は聞くことにした。そして威勢よく音を立てる鞆を帯び、弓を振り立ての原文は「伊都の竹鞆(たかとも)を取り佩ばして、弓腹振り立てて」。
鞆は弓を射た後の弦の跳ね返りから守る、左手に着ける防具、高鞆とは音高く鳴り響く鞆だが、弓の腹を振るとは全く変だ。弓の背を鞆に押し当てられるが、腹は弦が邪魔して無理、弓腹にはミユミのフリガナが有り、弓を単に立てかけていた。伊都の竹鞆とは戦の旗印、火消しが持つ纏を想像して下さい、纏のひだは細長く多数あるから、頭部や両手に纏わりついた。
そう伊都とは伊国の首都、天照大御神が伊都を治めていた。前話「高天原と夜之食国の真の実」卑弥呼は月読命と語った。祭祀王の卑弥呼を輔けた弟が、統治王の天照大御神でしょう。二度出てくる伊都の両方に、意味なく只の音の注釈があるが、フリガナは「イト」ではなく「イツ」。魏志倭人伝に出てくる伊都国、本当は「イツコク」だから糸島に比定してはいけない。
有りもしない景行天皇の熊襲征伐で行宮を設けたことが、福岡県京都郡の由来ですが、伊都国を上塗りし痕跡を消した。【ツクヨミノマコト】「三種の神器の神剣の忠の実」にて、火之迦具土神を斬った「天之尾羽張」は天忍穂耳命であり、別名の「伊都之尾羽張」は、伊都国の一大率の意味と語った。
一大率は女王国の北に置いて、諸国に睨みを利かせていた。女王は阿波にいますが、魏使を受け入れするのは伊都国です。他国と儀礼を行う国も女王国、四国に攻め入られないよう阿波への道程はぼかした。魏使が関門海峡を通らないのは、伊都国より北はまだ統治できず、安全な航海は無理でした。
対馬国、一大国、奴国、不弥国の副官はみな卑奴母離です。卑は卑弥呼の卑と同様に尊称、母離は守りの守の音を踏む。阿波女王国の南にある、邪馬台国連合国の狗奴国の御長国、もちろん卑奴母離の奴は「長」。首長国の御長国から制圧した各国へお目付け役として、副官を派遣していますが、伊都国だけは女王国が統括、だから副官は泄謨觚に柄渠觚。
この後は古事記の名場面、アマテラスとスサノオの誓約です、伊都国の一大率となる天忍穂耳命は、その誓約で生まれますから、この時の伊国の首都は、九州の伊都国ではなく阿波にある。伊都には卑弥呼もいたはずですが、伊都は阿波のどこでしょうか。誓約に伊都を特定する、暗号が記されているか楽しみですね。
【ツクヨミノマコト】(古事記全文解読シリーズ)
三貴子なのに古事記では活躍しない月読尊。きっと天皇家を陰で支えた氏族が信奉しました。古事記を全文解読し、謎の神ツクヨミのマコトに迫り、日本古代史に光を当てます。まだまだ古事記には暗号が埋まっています。暗号だけじゃなく、恣意的に誤訳しています。どんどん解明していきますから、フォローして楽しんで頂けたら幸いです。