倭面土は伊面津(橘港)金印隠しました
やまとみずほの国に生まれて 第十二話
第十一話「八咫鏡は魔鏡(卑弥呼は二度死なない)」にアマテラスは卑弥呼ツクヨミの死に関与したスサノオを追放して、実権を握ったと書きました。スサノオは腹を空かして彷徨っていたところをオオゲツヒメに腹を満たしてもらったのに、食材を口や鼻や尻から出していたため殺めます。大宜都比売は大月姫とも書けるので、月読を殺したことを暗示しているのでしょうか。
大宜都比売は国生みや神生みで名が出てきますが、活躍がないのが忍びないのか突然の登場です。まあ「皆々様の神様は神武天皇とその皇后の血筋につながっているから、盛り上げてね」も神話の大きな目的なので配役は大変なのです。国生みには伊予之二名島(四国)は一つの胴体と四つの顔があり、大いなる食物の女神である大宜都比売は阿波の顔として、別格の扱いです。
二つの名とは四国東部が「伊の国」で西部が「予の国」です。海と面している海岸線を顔に見立てており、四国は阿波、讃岐、愛媛、土佐の四つの顔で海に面していると神話は語ります。伊の国の面には港があります。その港があるのは、勿論イザナギが禊を行い邪馬台国連合が誕生した阿波の橘です。その港名は「伊面津」ですが、北宋版「通典」は「倭面土」と記録します。
「翰苑」では「倭面上」と表記が揺れますが、いずれも倭国王帥升が後漢へ西暦107年に朝貢したと記した後漢書東夷伝を参考にしています。当然、帥升はスサノオと同じ長国の王です。狗奴国の狗を糞と同じ意味で付けたのは失敗でした。スサノオが征服した属国も奴国ですが、長国だらけではどこの長国か不明なので別名にしたので、魏志倭人伝に奴国が多数登場します。
狗は中国語では犬の意味で発音は「ゴウ」でした。元初の国である狗奴国を聖なる意味を込め「御長国」と区別しました。倭を「イ」と読む決定的証拠は漢委奴国王印です。博多湾志賀島で発見されたのは、最初の遣隋使の記録が隋書にしかなく、小野妹子が無礼な返礼品を無くしたと報告したのに許されたのと同じです。委奴の意味が匈奴と同じと分かって隠したのでしょう。
アマテラスが我が子孫が治めるべき国と言ったのは「出雲」?「伊面津」?