天津神と国津神だけじゃない三貴神
【ツクヨミノマコト】古事記全文暗号解読シリーズ、前々話「国生みは天照と素戔嗚の誓約に符号する」の最後、【ツクヨミノマコト】古事記序文の暗号「天と地が分れた」、イザナギとイザナミの出発地は、同じイスラエルでしょうか。【ツクヨミノマコト】神代七代も天を駆ける?駆けてた?。徐福が目指した蓬莱山は剣山とも語りました。どっちだ?と混乱しました、
今回はその解決編になりますが、その前に前話「古事記が語る瀬戸内海の島生み」の島の別名を紹介し、古事記に記される島生みが、なぜ瀬戸内なのかを説明します。【ツクヨミノマコト】国生み神話が卑弥呼の時代を特定する。邪馬台国の支配地域は、大八島の六番目の対馬までであり、魏志倭人伝の道程が、九州北部を横断する陸路にするのは、関門海峡の対岸を支配していないため海路を行けなかった。
七番目の佐度は狭戸、狭戸は海峡の関門海峡と読み解いた。国産み神話は一直線に魏志倭人伝の道程を遡るのは、中国への朝貢ルートを確保するため。漢委奴国王印が博多湾志賀島から発見されるのは、奪われそうになったから。伊都国で魏使を歓待するために九州上陸は必須ですが、邪馬台国の首都の伊都国は福岡県京都郡なので、九州東岸の行橋まで航海し、長狭川の舟旅が快適のはず、今川かもしれませんが長狭川の長は奴国の那賀です。漢委奴国王印、委は伊国、奴国は伊国極南界の長国ですから。
大八島最後の秋津島は奈良、卑弥呼の時代は神武東征前です。東征は日本神話の英雄創作、詳細は今後の楽しみとして、イザナギとイザナミは大八島を生んだ後も六島を生みます。一番目が吉備児島、通説では岡山の児島半島としています。江戸時代までは島、岡山藩が干拓して陸続きになりました。しかし吉備は元々和歌山、その証拠が仁徳天皇の国見歌。
是に天皇、其の黒日賣を恋ひ、大后欺き、
「淡道嶋を見むと欲(おも)ふ」と曰いて幸行する時、
淡路島に坐して、遥に望みて歌ひて曰く、「押してるや、
難波の崎から出で立ちて、我が国見をすると、アハ島、
オノゴロ島、アジマサの島も見える、サケツ島も見える」、
乃ち其の島傳いて、吉備の国に幸行する、
大后は葛城襲津彦の娘で、武内宿禰の孫にあたる葛城磐之媛、大変嫉妬深く、黒日賣は宮中に入らず故郷の吉備へ帰ります。黒日賣は相当の美人、仁徳天皇は諦めきれず追いかけます。淡路島を伝って岡山に行くでしょうか。難波は浪速、渦の潮。仁徳天皇の難波高津宮、難波は鳴門、高津は高島の港です。近江は淡海、継体天皇出身地の近江高島もここでしょう。
大毛島の土佐泊から、淡路島の阿万海岸に渡って詠みました。「サケツ島」原文は「佐氣都志摩」、サキは岬と同意だから、佐氣都は岬にある都、サケツ島は大毛島になります。アジマサは椰子に似た亜熱帯植物、紀伊水道に浮かぶ伊島、伊島の前には前島と棚子島、棚子島は椰子島だったでしょう。
アハ島、オノゴロ島は秘中の秘、日本書紀は削除して、吉備行幸を先代の第十五代応神天皇の事蹟に書き換える。アハ島は眉山、オノゴロ島は今の城山、旧名は渭山です。渭山の渭は渭水の渭、渭水は秦の首都があった関中を流れる。伊予之二名島の伊のルーツは渭、徐福が上陸したのは阿波、天皇家の出自が徐福なら、絶対隠したい秘事になります。
それに劣らず隠したいのが、吉備が和歌山だったこと。鳴門から淡路島を伝って、行き着く先は和歌山です。阿波と奈良の二拠点生活、往復するのに大重要な南海道。吉備児島は紀淡海峡に浮かぶ友ヶ島、別名が建日方別、熊曽国の建日別と同様、建御雷神の子孫が治めたのでしょう。
二番目が小豆島、今も同じ表記小豆島、別名は大野手比売。三番目は大島、別名が大多麻流別、二島とも多氏でしょう。多氏は太安万侶に繋がり、大、意富、飯富、於保とも記す。ちなみに日本書紀に記される、応神天皇の吉備行幸の歌は、淡路島を天皇自身に、小豆島を恋しい妃の兄媛になぞって、吉備は岡山と主張。兄媛は命名に困った時よく登場します。
三番目の大島は来島海峡がある大島、関門海峡を航行すれば、四国西部の予国から直接大陸まで、船旅が可能となりました。しかし四国東部の伊国へは来島海峡が関門になります。村上海賊の先祖は手強かったか、奈良より後の制圧です。
四番目の女島は、鬼ヶ島洞窟がある女木島、別名は天一根。伊伎島の別名、天比登都柱と同じく、天目一箇に繋がります。五番目の知訶島は直島、直は直ぐ、直いは近いの意味です。別名は天之忍男、隠伎之三子島の別名、天之忍許呂別と同族。瓊瓊杵尊のととさん、天忍穂耳の傍系になるでしょうか。
六番目の両児島こそが、岡山の児島半島、別名が天両屋。天両屋とは天空にある二つの屋根、天児屋命に繋がり、天児屋命は中臣氏の祖神、春日神として春日大社に祀られる。両児で区切ってはいけない、両の児島、児島が二つあった。
よくある通説は、四番目の女島を国東半島沖の姫島とします。しかし、国東半島はとっくに支配地域、安全に航海できます。五番目の知訶島の五島列島はまずまずの面積がありますが、六番目の両児島はその先の男女群島と、通説は比定します。男女群島は本当に小さな島、古事記は意味あることを記す。
四番目の女木島、五番目の直島、六番目の児島半島は、吉備津彦と稚岳彦が岡山へ攻め入った進軍ルートを示す。女木島の鬼も強かった。畿内から瀬戸内海を航海するには、小豆島だけではなく、女木島も抑える必要がありました。
さてイザナギが、イスラエルの失われた十支族として北回り、イザナミがユダ王国の南回りとして、剣山を目指した後、徐福が剣山を蓬莱山として、阿波に上陸しても矛盾はない。イザナギの禊で生まれた三貴神、イザナギの天津神が天照、イザナミの国津神が素戔嗚なら、月読が徐福に当てはまる。秦の始皇帝から、長生不老の霊薬を探せと命じられた徐福。徐福が天皇家を裏で支えた秦氏の始祖なら、三貴子なのに、月読が日本神話で全く活躍しないのも、納得できませんか。