見出し画像

刃、砥石、手、「研ぎ」の三体問題 / 「叩いて伸びるのは鉄だけ」 何故、鉄を「伸ばせ」ではなく「打て(叩け)」なのか

※前回の○○の三体問題と言うタイトルが気に入ってタイトル優先で捻り出しました。既に刃物を研ぐ事がある程度、上手い人には参考になりません。当然、科学の三体問題にも役に立ちません。

先ずは「研ぎ」を知らない人の為に、この説明は鉋の刃を研ぐ事を想定します。何故鉋の刃かと言うと、鉋は使い方が決まっているので研ぎの中では最も単純だからです。
単純=簡単では有りません。逆に単純だからこそ条件を揃え易く、刃先を精密に研ぐ事に専心出来るし、比較をしやすいので薄削りの大会が開かれたりしています。

他の刃物では、刃先以外の部分に切削物が触れて摩擦が起きます。胡瓜🥒やトマト🍅を切った時等に、刃の脇にくっついて邪魔になるし、厚みの有る肉を切れば張り付くし、脂が付いて更に切れずらくなります。
それ等を避ける為に、包丁、刀、鉈、等は刃先から背側の横側は曲面に研がれていたりします。(断面が貝のハマグリに似てるので蛤刃と呼ばれる)刃先以外の部分の整形も重要になるので、形が複雑になってしまう。
カボチャ🎃が切れないのは、刃物全体が入り込むスペースが無い為。満員電車に無理矢理人を、押し込んでも人が入らないのと同じ、刃先の切れの問題では無い。

話しが逸れましたがここで言いたいのは、比較をするには出来るだけ条件を減らさないと難しいと言う事です。上記の場合の刃物は切る対象の条件を固定させ辛い。
鉋は台に納まっているので刃が対象に当たる角度が決まる、削る厚みも薄い=手のブレ等の使い手の差が出ずらい、それでも相当な差がでます。
それが刀なら使い手によって雲泥の差が出てしまい、刃物なのか?使い手の差なのか?分からなくなってしまう。


「研ぐ為に条件を出来るだけ揃える」

ここからが本題、漸くタイトルに戻れました。これは研ぐ時も同じで、なるべく条件を固定した方が分かり易い。
1つ目 先ずは砥石を平らに直す、1番簡単なのは金属板ダイヤモンド砥石で擦って平面にする。
2つ目 出来るなら刃の方も平面に研がれた刃を使って研ぐ方が良いです。

砥石の上を刃物が「手前→中間→奥→中間→手前」と往復すると、折り返し地点の前と奥は1、中間は2になるのでこれを繰り返す程、「砥石」の中間は窪みます。それに合わせて「刃」も変形するので「手」に伝わる感触も変化し続けてしまいます。

世の中には人を言いなりにする為に、曲がった砥石と曲がった刃を与えて、ほらお前には出来ないだろうと無力感を植え付ける、愚かな人達がいます。もしくは教える本人も研ぎを良く分かっていないか、両方か?こう言う人達は意識せずにやるから尚更厄介です。
大抵は忍耐力を付けるとか屁理屈を言うと思います。でもこれは研ぎが必要ならどうせ、大量に研がなくてはならないので無意味です。

これで残るは3つ目の問題になります、「手」と書きましたが手は体全体とも繋がっているので、それでも複雑で簡単とは言えません。
下手な時程、平らな刃と平らな砥石で練習した方が、平面と平面が合わさった時の感触が分かる様に成ると思います。

平らな石に平らな刃を当てると、ピタッとした感じがします、そこから上手に動かせればその感じが続き、ダメならカタカタします。これで自分のせいだとハッキリ判ります、でもこれは人に押し付けられた、「自己責任」の様な不快さは有りません。勿論、自分自身が出来ていないと言う不満はあります。

最初はどうしても、ある程度の量は必要です。タイプにもよりますが、慣れて来たらオススメは余り根を詰め過ぎ無い方が良いかもしれないです。
勿論やる気がある時はびっしり研いで構いません、でも納得が行かず研ぎ直すのは今の自分を認めずに、他人が決めた基準に寄せて、他人に認めて貰おうとする事と似ています。

単純に質と量を沢山やった結果かもしれませんが。まぁ今の自分では今日の調子ならこんなものか、しょうが無いと諦めつつも次回だな、こんな感じで続ける様に成ってからの方が、上達が速く成ったと思います。


なんとか三体問題っぽくなったか?違うか?科学に限らず条件固定を出来るなら、初心者程練習し易くなると思います。
でもこれは1人で出来て方向性が比較的単純な「研ぎ」だから出来る事なので、他の物事で無理矢理実行すると、指導者の殆どは人の条件を固定する事になってしまう。
習う人が同じで指導法も同じなら、後は上位者と下位を比較して「自己責任」と「頑張って無いから出来ない」下を叩いて終わり。まるで切れない刃先の様な粗雑さです。


今回探しても見つからなかったのですが、昔見つけた鍛冶屋名言を。

「叩いて伸びるのは鉄だけ」

とても良い言葉だと思いました。叩いて伸びた様に見えるのは、叩かれるのが嫌で本人が伸びたのです、叩いた人は「要因」に過ぎません。
叩くとしても、それはあくまでも手段です。人を叩く事が常態化し、叩く事が「目的」に成っている人達が多過ぎる。

人には自ら育つ力があるから育ちます、叩き伏せてダメなら努力不足、忍耐不足。上手く育てば俺が育てた。人の上に立つ事ばかり考えていると、こう言う人に成ってしまう。

一応補足を、自分は研ぎで叩かれた経験は皆無です、直接習っていないからです。ネット上には研ぎが上手で説明もキチンと出来る人達が沢山居ます、独学で上達出来る事も研ぎの魅力だと思います。


追加/2024/12/25
鉄は熱い内に「伸ばせ」ではなく、「打て」は矢張りおかしい。そもそも現代でどれ程の人が、鉄を打ち延ばす作業を見た事があるのだろうか?

ある有名な刃物屋の店主は刃物をより良く知る為に、鍛冶技術を習得しました。その時に感じた事は、熱した鉄は思ってた以上に柔らかかったそうです。当時その文を読んで、成程そう言う実感から来た言葉なのだと納得しました。

勘違いして欲しくないのは、体験や実感を伴わない言葉を使うな。と言いたい訳では有りません、むしろこの言葉には上位者が言いたくても口に出せない事を、代弁しその実感が籠っている事が嫌いなのです。

以前YouTubeコメント欄には、動画制作者が口に出したくても直接出せない。言質を取られない様に迂回した言葉を、汲み取った視聴者が代弁代行すると、書いた事があります。

この格言も似たような現象だと思ってます、大工や他の職人、部活、会社、様々な場面で到底人を「伸ばす」為とは思えない事を、行う人達はそこら中に沢山居る。
本当は鍛冶技術の格言なんてどうでも良いクセに、「鉄は熱い内に打て=叩け」などと、それぽっい格言を持ち出す態度に、改めてこの言葉を嫌いに成りました。


「更にあとがき」

本来この格言は、「熱い鉄を集中して打つ」時の集中、感覚、経験から出た来た「自分自身の行い」に対して向けた言葉だと思います。
もしくは「鉄は熱い内に打て」は「目標、予測、技術、段取り、等を全て準備して、一気呵成に行動して、終わらせる。と言う事だと思います。
「熱い鉄」と「鉄を打つ」と言う言葉から感じるのは、もっと根本的な「物事」に対して向けた意味だったのでは無いのか?と、追加文を書きながら思いました。どちらにせよ余り、他人に向けて使う言葉とは、自分には思えません。

2024/12/31追加
↑「更にあとがき」に書いて数日後に、「キチンと準備して速やかに行動しろ」は、調べれば出て来るだろうと思いGoogle検索した所、「AIによる概要欄」に普通に出ていました。
それにしても、元々は西洋の言葉だとは知りませんでした。どの程度の人達がこの事を知っているのだろうか?


※ここからGoogle検索「AIによる概要」のコピー

「鉄は熱いうちに打て」は、次のような意味を持つことわざです。

  • 精神が柔軟で吸収する力のある若いうちに鍛えるべきである

  • 物事は関係者の熱意がある間に事を運ばないとあとでは問題にされなくなる

  • 何事も時期を選ぶことがたいせつで、好機を逸してはならない

鉄は真っ赤に焼けている状態ではさまざまな形に加工できますが、冷めてしまうと固まって加工できなくなります。このことから、限られた時間内に対策を打つことでタイミングを逃すなというたとえとして使われます。

英語では「Strike while the iron is hot.」に相当し、西洋で広く使われることわざです。日本では江戸後期のオランダ語辞典「和蘭字彙」に記載され、オランダ語から入って流布したと考えられています。

※ここ迄がコピー

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集