マガジンのカバー画像

その他

685
運営しているクリエイター

記事一覧

セリンの夢

第一章 ベイカー研究室の革命

ワシントン大学のベイカー研究室は、世界のバイオテクノロジー界を震撼させる発表を行った。彼らは、人工知能(AI)を駆使し、従来の酵素設計を凌駕する技術を生み出したのだ。その中心にいたのは、若き研究者エミリー・カーソン。彼女はかつて、生化学の世界に足を踏み入れたときから「自然を超える酵素を作る」という夢を抱いていた。

「エミリー、これを見てくれ。」

研究室の共同主任

もっとみる

テトラサイクリン

第一章:奇妙な歯の色

東京の片隅にある小さな歯科医院——「高村歯科」には、一風変わった患者が訪れることがあった。ある日、歯科医の高村慎一は、一人の青年の診察をしていた。青年の名は小沢亮介。彼の歯は、独特な灰色を帯びていた。

「テトラサイクリン歯ですね」

高村がつぶやくと、亮介は驚いた表情を浮かべた。「テトラサイクリン……? それって何ですか?」

「子どものころにテトラサイクリン系の抗生物質

もっとみる

見えない痛み

1. はじまり

夏の終わり、蒸し暑さが残る夜だった。神崎悠斗(かんざきゆうと)はベッドの上でじっと天井を見つめていた。胃の奥がひどく重く、鉛のように沈んでいる。吐き気もある。体の節々が軋むように痛む。しかし、医者の言うことはいつも同じだった。

「特に異常は見つかりませんね」

何度も何度も、病院を回った。内科、神経科、消化器科……けれど、どこでも検査結果は正常だった。

「精神的なものではない

もっとみる

吐き気

第一章 発症

病院の廊下は、消毒液の匂いと静寂に包まれていた。西条隆一は、MRIの結果を待ちながら、冷たいベンチに腰を下ろしていた。
「また、吐いたの?」
隣に座った妻の美沙が、不安げに尋ねた。

「……ああ。今朝も。もう慣れたよ。」

隆一は苦笑いを浮かべながら、手元の紙コップの水を一口飲んだ。しかし、そのわずかな水分すら胃の中にとどまることを拒み、込み上げる感覚に耐えるように奥歯を噛み締めた

もっとみる

胃潰瘍

第一章 みぞおちの痛み

佐々木隆一は、みぞおちの痛みで目を覚ました。最初は胃もたれかと思ったが、鈍い痛みが次第に鋭くなり、波のように襲ってくる。最近の不摂生が原因かもしれないと考えながら、彼はため息をついた。

隆一は東京の広告代理店に勤める40歳の営業マンだ。激務とストレスは日常で、朝から晩までクライアントの対応に追われる。昼食はカップラーメン、夜は接待でアルコール漬け。胃が痛むのは当然のこと

もっとみる

大日如来の光

第一章 少年、弥勒を夢に見る

桓武天皇の治世も末期に差し掛かる頃、一人の少年が讃岐国(現在の香川県)の厳しい自然の中で成長していた。名は佐伯真魚(さえきのまお)、後の空海である。

幼少の頃から聡明だった真魚は、ある夜、不思議な夢を見た。

「汝、大いなる光の導くままに進め」

夢の中に現れたのは、慈悲深い微笑を浮かべた大日如来の姿だった。真魚は目を覚まし、胸の鼓動を確かめた。夢とは思えぬほど鮮

もっとみる

空海 ー 即身成仏への道

第一章 旅立ち

延暦七年(788年)、讃岐国の若き僧侶・佐伯真魚(のちの空海)は、己の人生に疑問を抱いていた。儒教や仏教の経典を学びながらも、世の中の理(ことわり)を完全に理解することができない。答えを求めるうち、彼は中国・唐への留学を志す。

弘仁三年(804年)、遣唐使船に乗り込み、はるか海を越えて長安を目指す。途中、暴風に襲われながらも、ようやくたどり着いた異国の地で、彼は密教の第一人者・

もっとみる

大乗の風——ナーガールジュナの生涯

第一章 龍の誕生

インドのデカン高原を南へ下ったアマラーヴァティー地方。紀元150年頃、そこに生まれた一人の男が、後に大乗仏教の発展に多大な影響を与えることになる。彼の名はナーガールジュナ——龍樹である。

ナーガールジュナはバラモンの家系に生まれ、幼少期から優れた知性を発揮した。ヴェーダ聖典の学習を通じてサンスクリット語に精通し、数々の哲学的論争にも早くから参加した。だが、彼はバラモンの教義に

もっとみる

南都の灯火 ー 鑑真と奈良仏教の黎明

第一章 大唐よりの旅人

天平五年(733年)、遣唐使船が海を越え、大唐へと向かった。日本の僧・栄叡(えいえい)と普照(ふしょう)は、奈良の都・平城京で仏教を深めるため、ある人物を迎えに行く使命を帯びていた。その人物こそ、唐の高僧・鑑真(がんじん)である。

奈良仏教の中心であった南都六宗は、学問としての仏教を重んじ、厳格な戒律を基盤としていた。しかし日本では、正式な戒律を授ける資格を持つ僧がいな

もっとみる

紫式部の憂愁

第一章 都の光と影

長保元年(999年)、平安京は繁栄の絶頂にあった。藤原氏の摂関政治が頂点を迎え、内裏では貴族たちが優雅な暮らしを謳歌していた。しかし、その陰で、女たちは複雑な思いを抱えながら宮廷のしきたりに従い、静かに生きていた。

紫式部、名は藤原香子(かおるこ)。父は学者・藤原為時であり、幼い頃から漢籍を読み耽り、世の才人に引けを取らぬ才を持っていた。しかし、当時の女性には学問よりも和歌

もっとみる

秘されし真理

第一章 異国の密使

天平勝宝七年(755年)、唐の都・長安は華やかさと混乱が交錯していた。玄宗皇帝の治世は長く続いていたが、楊貴妃への寵愛と宦官の台頭により、宮廷は乱れつつあった。その影で、密教の教えは慎重に伝えられ、日本へと密かに届けられようとしていた。

長安の大慈恩寺の一角、戒壇の奥深くに灯る蝋燭の光に、ひとりの若き僧が跪いていた。名は空海。遣唐使としてこの地に渡った彼は、密教の奥義を学ぶ

もっとみる

裂ける鼓動

第一章 不穏な予兆

夜の静寂を破るように、遠くで救急車のサイレンが響いていた。杉崎啓介はベッドの上で薄く目を開け、天井の暗がりを見つめた。胸の奥に、言いようのない圧迫感があった。

四十七歳、建設会社の現場監督。長年のストレスと睡眠不足、そして喫煙と酒。健康診断で「血圧が高い」と言われて久しいが、仕事の忙しさを理由に、何も対策をしていなかった。

「……なんか、変だな」

背中が鈍く痛む。少し体

もっとみる

《硝酸の微笑》

第一章 静かな爆発

「ニトログリセリンって、心臓の薬になるの?」

その日、大学院生の松井亮介は、研究室の片隅で化学雑誌をめくりながら、指導教官の田島教授に何気なく尋ねた。

田島教授は顕微鏡から目を離し、眼鏡の奥で静かに微笑んだ。

「そうだ。もともとはダイナマイトの原料だが、狭心症の治療にも使われる。血管を拡張する効果があるからな」

亮介は興味を引かれた。爆薬と薬、二つの顔を持つ化学物質。

もっとみる

忘却の閾

第一章 突如として

 目の奥が焼けるように痛む。鋭く、突き刺さるような感覚。まるで頭の中にナイフを突っ込まれたかのようだった。

 松岡亮介(まつおかりょうすけ)はデスクに突っ伏しながら、額を押さえた。パソコンの画面にはプレゼン資料が開いたままになっている。明日は重要なクライアントとの打ち合わせだ。それなのに、頭が割れるように痛く、思考がまとまらない。

(疲れが溜まってるのか……)

 そう思

もっとみる