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適応障害になった話#8 歩け歩け

こんばんは。カメラマンMです。

昨日は、現職に退職の意向を伝えました。そして、内定をいただいた企業に内定承諾の連絡を入れました。とてもエネルギーを使いました。もう5回も経験しているけど、退職ってエネルギーを削られますね。この話は、また別の記事でまとめます。

さて、今日は適応障害になった私が、歩くことで身体と心のバランスを保っていましたよという話です。


①「歩け歩け」とは、どういう意味?

私は沖縄在住なので「歩け歩け」という言葉はよく聞くのですが、みなさんの地域ではどうですか?まあ、うちなーぐち(沖縄の方言)で「運動をすること」というニュアンスです。

ただ、どうやら「歩け歩け」は沖縄ルーツではないようですね。気になって調べてみると、アメリカとロシア(旧ソ連)が冷戦でバチバチにやりあっていた頃のアメリカ側にルーツがあるそうです。この話は、ここで書くと長くなるので、気になる方は調べてみてください。

歩け歩けとは、「運動をすること」のような意味だと感じてもらえたら。

②身体は動くのだから。散歩に行こう!

私のnoteの所々に書いているのですが、こう思っていました。

  • 身体は動く、フィジカルに問題はない。

  • ずっと家にいるよりも、歩こう。車は使わない。(使いたくない)

  • 日光を浴びて、ビタミンDを作ろう!

とまあ、こんな感じで、散歩を日課にすると決めたわけです。

休職開始した2/13前後の私の歩数計です。

画像は、私が休職せざるを得なくなった2023年2月13日前後の、スマホに入れている歩数計アプリの記録です。当時を、少し振り返りましょう。

  • 2月11日(日):休日出勤、この日に色々と限界に達する。

  • 2月12日(月):祝日、友人と食事、車は使わない、広い駐車場の隅で一人で座り込むなど自分でも不可解と思う行動を取る、夜眠れず。

  • 2月13日(火):起床、仕事に行けなくなる、休む、無心で歩き始める

  • 2月14日(水):仕事にいけない2日目、休む、この日も無心で歩く

  • 2月15日(木):この日も仕事に行けず、やはり無心で歩く

  • 2月16日(金):休む、業務引継ぎリストなどの作成で歩数少なめ

  • 2月17日(土):この日は、遠距離散歩せずに近所の散策のみ

ということで、休職をしたその日の午後から、歩いていたのです。私は「長距離散歩」と呼んでいます。もうとにかく、無心で歩く。ただ、それだけ。

仕事に行けないというメンタルは確かですが、それでも外に出る元気はあったという点は、人それぞれ捉え方が違うかもしれないですね。適応障害って、全部ができないわけじゃないから。僕の場合は、そうでしたね。

「抑うつ症状が酷いけど、身体は動く。歩くことへのモチベーションはある。だったら、天気もいい、好きな沖縄の青空だ、外に出るぞ。」

今思えば、家にいて物思いにふけったり、誰かや何かに責任を求めたりといったようなことを考えなくて済むように、自分で自分を促していたのかもしれないです。

③歩くと、体調が良い。

ほんとこんな感じで、カメラ片手にテクテク散歩してました。笑

もうシンプルなのですが、歩けば、私は楽しいです。たとえ近所でも、「そういえば、ここから登ったらどこにつながるんだ?」「意外と起伏があって、長く感じるな。」「お、面白い建築があるじゃないか!」などなど。

沖縄県民って歩かないんです。私も、そう。コンビニ行くにも車。

だけど、歩くようになって、車で通っていた道も、その奥にある小道も路地裏も、小さな発見や冒険の連続。だんだんと距離を伸ばしていって、浦添から那覇まで往復したり、浦添から北谷の手前の宜野湾まで歩いたり。無心で歩きました。

それだけ長距離を歩けば、適度に疲れるから、夜は自然と眠れました。あと、歩いてると道の状態に気を使ったり、最近沖縄でも増えつつある自転車に気を付けたりで、歩きながらも外のことに気を向けながら歩くから、不安とか心配事に気を取られないし。

④趣味の写真も楽しみながら。

「好きなことが楽しいと感じなくなった。」これは、適応障害のサインとして、良く語られる言葉です。私は歩くことが先になったけど、歩きながらスマホのカメラでは足らなくなって、趣味でずっと好きなカメラも楽しむようになりました。

すばや ※沖縄そば屋さん
キャンプ・キンザー(米軍補給基地)のフェンス
西洲団地の夜の駐車場

私はRICOHのGR3を使っています。究極のスナップシューター。散歩のお供にもってこいな、素晴らしいカメラです。

ここに上げた3枚は、休職したてのころのもの。フォルダを見ても、あんまり鮮やかな被写体は撮っていなかったですね。つい最近は、日中の商店街とか友人と出かけた先のBARなど、明るい被写体が多い。写真から、その当時の私のメンタルの状態も分かります。

ちなみに、3枚目の夜の駐車場の写真を撮り終えた後に、バス停のベンチ(終バス終わった後で無人)に腰かけて、上司に「しばらく休みをください。毎日、連絡をするのも辛いです。心療内科は、どこもいっぱいです。2週間くらい有休があったはずです。今月は全て有休で休みます。申し訳ございません。」と社内チャットでスマホから連絡を入れました。

仕事のこと、私の業務を割り振られる同僚に対して申し訳ない気持ちがすごかったですが、この日の散歩で、どこか「自分を守ろう」と思い、踏ん切りがついたのだと思います。

散歩を通じて好きなことを思い出し再開した、これは今でも「よかったなぁ」と思います。カメラと写真すら興味を持てなかったら、そう思うと少し怖いです。ありがとう、私の好きな趣味たち!

⑤母親にもアドバイスをしていた。

離れて暮らしているから想像だけど、両親は楽しく散歩しているみたいです。

一時期、必死にダイエットをしていて、朝ジムの後に空腹状態で朝散歩もしていたのです。今思えば「ようやるわ。」ですが、朝日を浴びながら30分の散歩は、気持ちがいいし、どこかエネルギーが湧き上がってくるんですよ。

実は、私の母は高齢者うつになりました。父との関係も一時期は悪くなりました。私は沖縄なので、離れて住む母親の話は後になって兄弟から聞いて驚いたものです。

その当時は、私は普通に働いていて適応障害でもなかったのですが、自分が取り組んでいる朝ジムは難しいけど、散歩なら夫婦一緒に楽しめるし、ずっと家にいるよりは気分も晴れるだろうからと、「日が出ている時に、15分でもいいから散歩しなよ。ビタミンDって知ってる?太陽の光を浴びたら、人間は作れるんだよ。骨も強くなるし、気分転換にもなるからやってみて。」とアドバイスをしたのでした。

あれから、1年くらいですが、今でも母は心療内科に通っていますが、毎日朝晩2回、父と一緒に30分歩いています。直後は電話すら出てくれなかったですが、今では電話すると元気に話してくれたり、散歩している時に見た景色の写真をはがきで送ってきてくれます。

まさか私も心の風邪を引くとは思いませんでしたが、自分がアドバイスをしたことを実践して、身体と心のバランスを取ることになりました。

⑥まとめ

太陽の光を浴びながら、歩け歩け。

毎回長々とすみません。

適応障害になった方は、出かけるのも億劫になることもあると思います。人に見られたくないとか、そもそもすべてのやる気が出ないとか。分かります。そんな時は、ベッドや布団の上で存分にゴロゴロとしていいです。なにも気にせず、休みましょう。

でも、少し元気かな?と思えるようになったら、

  • 外に出てみませんか?日光を浴びてみませんか?

  • 散歩がおすすめですよ。

  • できたら、車は使わないで。

  • 散歩にプラスしてバスでの移動も、車窓からの景色を楽しめておすすめです。

私みたく、1万歩超えるような長距離散歩は少し特殊かもしれないけど、近所を15分歩いたり、コンビニやスーパーに行く少しの距離でも、歩くと気持ちも変わると思います。歩きながら、周囲に気を付けつつ、私は本の内容を思い出して、自己理解をしたりしていました。なぜか、色々と家では考えが浮かばないようなことが、次々に出てきたことは覚えています。

歩け歩け、おすすめです。

それでは、今回はここまでで。







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