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“Speech” — is a prank of Parliament —

知らぬ間に増えていった荷物も
まだなんとか背負っていけるから
君の分まで持つよ
だからそばにいてよ
それだけで心は軽くなる
Mr.Children『GIFT』

“Speech” — is a prank of Parliament —
“Tears” — a trick of the nerve —
But the Heart with the heaviest freight on —
Doesn’t — always — move —

発言は議会のいたずら
涙は神経の
しかし重荷を負った心はそのたびに
いつも
動いているとは限らない—

1行目と2行目は同じ形の文章で、
prankとtrickにはともに、いたずら、冗談といった意味があります。

ディキンソンは文章のリズム、音の流れを考えてこの2つの単語を使い分けたのだろうなという気がします。
かりに1行目をtrickに、
2行目をprankに取り替えて読んでみると、
やはりリズムとしてはいまひとつ。
改めてディキンソンの選択に従って読んでみると、
それはまさにspeech(演説)のように、
口にしやすい、耳馴染みの良い響きです。

さて、それはともかく

発言は議会のいたずら
涙は神経のいたずら

これはどういう意味でしょうか。

発言と議会、
涙と神経の関係を考えてみると、
後者が前者を生み出す関係ともいえそうです。

議会は参加者に発言を促す、
神経は人に涙を流させる、

といったように。

この順番だからこそ、
発言や涙がその内実を伴わず、いたずらに(無意味に)出てきてしまう場合がある。

何か言わなきゃと思って心にもないことを言ってしまった。
感動も悲しみもなくただ疲れて泣けてきた。

それこそ、なにかの悪戯(わるふざけ)のように。


調べてみると、
prankのほうは人を笑わせるものというニュアンスが強く、
trickはだます、欺くというニュアンスがあるようです。

最近しんどいですねー、
そうやって冗談めかしてるうちは大丈夫だ、なんて、
その時相手は僕に気をつかってそう言ったのかもしれない。

誰かの目から涙が流れたとき、
僕らはすぐにそれを何かと結びつけようとしてしまうから。
涙がtrickになって、
本当の意味を見失わせてしまうことがあるかも知れない。

僕自身、過去にそのことに気付けなかった後悔があるせいか、
ディキンソンは内容的にも、
prankとtrickを使い分けたのかもしれないな、
と思いました。

1行目の流れるようなリズムとは反対に、
後半の—(ダッシュ)の多用は音楽用語でいうリタルダンド、
だんだん遅く、
重くなっていくようで、
思い(重い)は簡単に動かせないという、
詩の内容と呼応します。

ことばでも、涙でも動かせないもの。
それに動いてほしいと思ったら、
まず自分の方からそばに行きたい。
その心に背負っている重荷を、
降ろしてあげられるような、

そんな人になりたいです——


『THE COMPLETE POEMS OF EMILY DICHINSON』
THOMAS H . JOHNSON, EDITOR

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