シェア
和風創作フレンチ
2024年9月27日 20:43
さや、さや、と歌われる言葉は意味というよりも、音そのものが、的確な世界の描写になっている。それは物事をことばの意味で説明するよりも、いっそうの臨場感をもって、聴き手に伝わってくる。この万葉の歌はまさに、その格好の例と言えるのではないだろうか。一方、内容はというと、周りの物音がうるさいにもかかわらず、心は揺れず、一人の人を思っているという、現代の人間が読んでも、どこかで心当たりがあるはずの、心の
2024年7月8日 13:08
せっかくなので今日は七夕らしい歌を。作者は前回同様、柿本人麻呂。前回紹介した歌は、人麻呂が自分でつくり出した物語の中の人物が詠んだかのような、幻想的なイメージを帯びていた。今回もまた、歌は幻想的なイメージを帯びているが、その背景にあるのはオリジナルの創作ではなく、かの有名な七夕の伝説である。「天の川」の単語がはじめにあるから、おしまいの「時は来にけり」の意味が分かる。歌はそう
2024年7月2日 16:15
今年も梅雨がやってきた。梅雨といえば、『言の葉の庭』(新海誠監督のアニメーション映画)。そして庭といえば、この歌である。なるかみのすこしとよみてさしくもりーーーーなんとたおやかな、美しい調べだろう。大人の、女性の歌だという気がする。しかし、この歌は柿本人麻呂の歌集から取られている。つまりこれは、かつて存在した誰か(女性)が現実に詠んだ歌ではなく、人麻呂の創作なのだ。創作のインスピレーショ
2024年6月18日 22:48
この歌にでてくる大君(おおきみ)とは、人麻呂が仕えた天武帝の皇子、長(ながの)皇子のこと。というと、天皇の皇子の威光をたたえるような、この歌のひとつの側面があらわになってくるようだが、しかし、それはあくまで一つの側面でしかなく、もっとシンプルにこの歌一番の魅力は、と考えたら、やはり、月に網をさし、衣笠にしてしまう人麻呂の、自由自在な想像力だろう。この表現はイマジネーションの壮大さと、現実とのギ
2024年4月16日 15:13
葬送のフリーレン。最近みたアニメのことを、僕は思い出していた。浜木綿は幾重にも重なる葉のうえに、白い花を咲かせる。その姿に同じ髪の色をしたエルフのイメージを、ほとんど無意識のうちに重ね合わせていた。三熊野の みくまのの浦の浜木綿 うらのはまゆう百重なす ももえなす心は思へど こころはもえど直に逢わぬかも ただにあわぬかも三熊野の浦の浜木綿のように心では幾重にも君を思うけれど実