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万葉旅団

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#柿本人麻呂

笹の葉はみ山もさやにさやげども我は妹思う別れ来ぬれば 柿本人麻呂

笹の葉はみ山もさやにさやげども我は妹思う別れ来ぬれば 柿本人麻呂

さや、さや、と歌われる言葉は意味というよりも、音そのものが、的確な世界の描写になっている。それは物事をことばの意味で説明するよりも、いっそうの臨場感をもって、聴き手に伝わってくる。この万葉の歌はまさに、その格好の例と言えるのではないだろうか。

一方、内容はというと、周りの物音がうるさいにもかかわらず、心は揺れず、一人の人を思っているという、現代の人間が読んでも、どこかで心当たりがあるはずの、心の

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天の川水陰草の秋風になびくを見れば時は来にけり 柿本人麻呂

天の川水陰草の秋風になびくを見れば時は来にけり 柿本人麻呂

せっかくなので今日は七夕らしい歌を。

作者は前回同様、柿本人麻呂。

前回紹介した歌は、人麻呂が自分でつくり出した物語の中の人物が詠んだかのような、幻想的なイメージを帯びていた。

今回もまた、歌は幻想的なイメージを帯びているが、その背景にあるのはオリジナルの創作ではなく、かの有名な七夕の伝説である。

「天の川」の単語がはじめにあるから、
おしまいの「時は来にけり」の意味が分かる。

歌はそう

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雷神の少し響みてさし曇り雨も降らぬか君を留めむ 柿本人麻呂

雷神の少し響みてさし曇り雨も降らぬか君を留めむ 柿本人麻呂

今年も梅雨がやってきた。梅雨といえば、『言の葉の庭』(新海誠監督のアニメーション映画)。そして庭といえば、この歌である。

なるかみのすこしとよみてさしくもりーーーー

なんとたおやかな、美しい調べだろう。大人の、女性の歌だという気がする。
しかし、この歌は柿本人麻呂の歌集から取られている。つまりこれは、かつて存在した誰か(女性)が現実に詠んだ歌ではなく、人麻呂の創作なのだ。創作のインスピレーショ

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ひさかたの天ゆく月を網にさしわが大君はきぬがさにせり 柿本人麻呂

ひさかたの天ゆく月を網にさしわが大君はきぬがさにせり 柿本人麻呂

この歌にでてくる大君(おおきみ)とは、人麻呂が仕えた天武帝の皇子、長(ながの)皇子のこと。
というと、天皇の皇子の威光をたたえるような、この歌のひとつの側面があらわになってくるようだが、しかし、それはあくまで一つの側面でしかなく、もっとシンプルにこの歌一番の魅力は、と考えたら、やはり、月に網をさし、衣笠にしてしまう人麻呂の、自由自在な想像力だろう。
この表現はイマジネーションの壮大さと、現実とのギ

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三熊野の浦の浜木綿百重なす心は思えど直に逢わぬかも 柿本人麻呂

三熊野の浦の浜木綿百重なす心は思えど直に逢わぬかも 柿本人麻呂

葬送のフリーレン。最近みたアニメのことを、僕は思い出していた。
浜木綿は幾重にも重なる葉のうえに、白い花を咲かせる。その姿に同じ髪の色をしたエルフのイメージを、ほとんど無意識のうちに重ね合わせていた。

三熊野の みくまのの
浦の浜木綿 うらのはまゆう
百重なす ももえなす
心は思へど こころはもえど
直に逢わぬかも ただにあわぬかも

三熊野の浦の浜木綿のように
心では幾重にも君を思うけれど

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