笹の葉はみ山もさやにさやげども我は妹思う別れ来ぬれば 柿本人麻呂
さや、さや、と歌われる言葉は意味というよりも、音そのものが、的確な世界の描写になっている。それは物事をことばの意味で説明するよりも、いっそうの臨場感をもって、聴き手に伝わってくる。この万葉の歌はまさに、その格好の例と言えるのではないだろうか。
一方、内容はというと、周りの物音がうるさいにもかかわらず、心は揺れず、一人の人を思っているという、現代の人間が読んでも、どこかで心当たりがあるはずの、心の在り様を歌っている。私たちも、物思いにふけっていて、街の喧騒がうるさくも遠く、感じられたことがあったはずだ。素晴らしい歌だなあと思う。
前回紹介した家持の歌、
これは歌をきくだけでは人と別れてきた心細さを歌っているかまでは分からないけれど、ある種の心細さを、現実の自然の音のかすかさとリンクさせる、そんな歌だった。
すると今回の人麻呂の歌は、思いの強さを、山全体を鳴らすような笹の葉音とリンクさせた、そんな歌だともいえそうだ。
どちらも、とても素敵である。