『アイ・フィール・プリティー!』を観て①自己受容とセルフ・コンパッション
ドラマ・映画好きのキャリアコンサルタント xyzです。
今回ご紹介する映画は『アイ・フィール・プリティー』です。
日本語の副題は『人生最高のハプニング』。
毎度のことながら日本版になるとなぜいきなりピンクやキラキラが多用されるのか…。
続いてオリジナル版ポスター。
同じポーズを使っていても印象は色使いで随分と違いますね。
映画の詳細はこちらからどうぞ!
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なんで人目が気になるの?
主人公は、ぽっちゃり系アラサー女子レネー。
自分の容姿に自信が持てず、心に熱いものを持っていても実行に移せないワーキングウーマン。高級化粧品会社の通販担当。会社の美人CEOに心から憧れています。
レネーはユーモアがあって明るい性格。基本的にはパワフルでポジティブ✨笑顔がチャーミング!
仕事についても、たくさんアイディアを持っていて、やる気もあるし、かなりデキる方。本当は本社に勤務したいと思ってる。(なぜなら本社だと憧れのCEOの近くで働けるから。)
気の合う女友達と楽しい時間を過ごせるけど、やっぱり彼氏もほしい。
でも、人目が気になって何事にもいま一歩積極的になれない……。
本当は◯◯をしてみたい。
でも、こんな私が◯◯をしたらどう思われるだろう。
そうやって自分のやりたいことを我慢したり、本心を封印したり、やる前から諦めてしまったり。
どうして、人目が気になるのでしょうね。
考えられる可能性を挙げてみます。
太っていることで周囲から邪険にされる、軽く扱われる、バカにされる、憐れまれる、笑われる……他人から大切にされない。
人間中身が大事、とは言っても、まず人の目に入るのは見た目。
少しでも痩せよう!とジムに通うレネー。
レネーは真面目な努力家なのです。
人は多かれ少なかれ他人軸に合わせて生きているものですから、他人の目、他人からの評価が気になるのは、ある程度は仕方がない部分もあると思います。全く気にしないというのは無理でしょうから。
でも、気にしすぎは自分を蝕みます……。
太ったまま、引きこもったりいじけたり開き直るのではなく、自分を変えようと努力するレネーは、わたしから見れば十分に意識高い系女子です!
それ、変える必要、あるのかな?
さて、レネーですが、ジムでワークアウト中にハプニングがあり、頭を強打してしまいます!
その衝撃でレネーは、なぜか「自分がモデル級の絶世の美女に見えてしまう」状態になってしまいます。
ちなみに、レネーは見た目は何一つ変化していません。つまり、勘違い(というか見違い?)
しかし、美人になった(と思い込んでいる)レネーは、それまでとはうってかわって積極的になり、やりたかったことに挑戦したり、生き生きと行動し始めます。
実際には、レネーの容姿は全然変化していないんですけれどね!
レネーの意識が変わっただけです。
自分が「モデル級の美女」に変身したと心から信じ込んだ(なせか彼女の目にだけはそう映っていた)時から、レネーの心が急速に変化して、行動まで変化したのです。
でも、その変化は本物の変化ではなく……レネーが本当に変化したのは、実はずっと変わっていなかった自分を受け入れた時かな、とわたしは思いました。
「ずっと私だった…」!
これまでの数々のミラクルは、見た目が変わったから起きたのではなく、心掛けや行動力が起こしたのだと気がついた時。
つまり、見た目はミラクルと一切関係ないのです。
見た目が変わらなければ行動も変われないの?
変わらなければならない、と思ってるの?
そもそも、見た目が変わる必要、あるの?
本当に変えたいものは、何?
……見た目ではなく心、心の持ちようなのかもしれません。
本当に変わりたいの?
何のために変わりたいの?
……心の持ちようとは、自分軸で生きることを選ぶことですね。
他人の評価や他人の決めた価値基準に振り回されないことでしょうか。
どこまでいけば満足するの?
映画から話は少し逸れますが……以前、整形を繰り返す女性のインタビューを読んだことがあります。
彼女は整形することをやめられずにいました。いくら変えても他の部分が気になったり、まだ綺麗になっていないから、と何度もやり直したりするそうです。極度に見た目にとらわれすぎている様子はある種「醜形恐怖症」に近いかもしれません。
整形の是非はさておき、整形で事態が好転して、幸せになれるのであれば自己責任の上で施術するのは自由だと思います。
幸せになれるというのは、見た目を変えることが心を変えることの助けや力になる場合です。
でも、幸せを感じることができず、むしろ自己嫌悪が増したり他人の目線ばかり気になってますます自信喪失してしまうのならば、整形をする意味はどこにあるのでしょうね……。
「こうあるべき」「こうありたい」がたとえ実現したとしても、満足できない。
見た目だけ変えても心が変わらなければ、せっかく変えた見た目も受け入れることができない。
見た目(状況)を変えるよりも、心(物事の捉え方、意味付け方)を変えていかなければ、半永久的に見た目(状況)を変え続けることになりかねません。
あるがままの自分を受けいれる。
これが難しいと、どう変わっても納得できないままになってしまいそうです。永遠のループ……。
あるがままの自分を受け入れてみる
自分の置かれている現実の状況を受け入れる。
これを「自己受容」と言います。
自己受容ができると「自己肯定感」を持つことができます。
(自己肯定感については以前の記事で書いたことがありますので、よろしかったら読んでみてください)
自己受容については「ブリジット・ジョーンズの日記」を紹介していました。この映画、だいすきです!
もっと自分を大切に慈しんでみない?
さて、自己受容と聞くと、次のような言葉を思い出します。
自分で自分を粗末に扱わない。
どんな自分も大切に慈しむ。
自分自身を大切にすれば他人からも大切にされる。
コンパッション(compassion)とは思いやりのこと。
セルフ・コンパッションは直訳すれば「自分への思いやり」。
ありのままの自分を受け入れて、自分を慈しむことができて、はじめて自分の周りを大切にすることができます。
あるがままの自分を受け入れて、自分を慈しむ……これは「ボディー・ポジティブ」の考えにも繋がってきますね。
この「ボディー・ポジティブ」については、次回の記事のテーマで書こうと思っています^^
変えたいのは身体?それとも心?
映画の中で、ジムのインストラクターが参加者達にかける言葉があります。
本当に変えなければならないものは何でしょうね?
その答えがこの映画の中にはあります。
ところで、この映画はレビューなどを見ると「明るくポジティブになれる!」「自己肯定感が上がる!」という枕詞で紹介されることの多い映画で知られているようです。
わたしも初見の時はそう思いました。
たしかにたくさん笑っていっぱい元気をもらいました!そのことは否定しません。
しかし、この映画を久しぶりに観ていて、わたしの中にモヤモヤしたものが生まれてきて……。
そのモヤモヤの正体についても、次回の記事に書こうと思います。
では、今回はこの辺で。
最後まで読んでくださってありがとうございました♪