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伝統はグローバリゼーションの中で見つけられる。『インドネシア イスラームの覚醒』倉沢愛子
一般的に、近代化が進むと信仰にあまり時間やお金やエネルギーをかけることは少なくなっていくと解釈されてきました。でも、インドネシア社会は、反対に近代化や経済開発が進んできたその時期に、宗教色が強まってきたそうです。
従来の理論では、到底理解できない現在の状況。ジャカルタに住んで15年の倉沢先生は、インドネシア近代史が専門。ですが、インドネシアの変化を目のあたりにして、イスラームへの関心を持つようになったそうです。1980年代後半以降、ジャカルタでイスラーム宗教色が強まってきた理由を倉沢先生は2点あげます。
ひとつめは社会的要因です。地域社会の隣組や、初等教育をボランティアで支えているモスク。このモスクを中心としたイスラム教のシステムの重要度が、グローバリゼーションの中でより重要性を増してきたそうでうす。そして、近代化に伴って従来のモラルが崩壊したことも、イスラム教的道徳を再評価させる背景にあるといいます。
また、経済発展したことで新しい中間層が生まれて、教育が大衆化されたことで、イスラム知識の入手も用意になりました。そして、若い知識人(大学生)を中心にジウン立ちのアイデンティティとしてのイスラム発見に繋がったとのこと。
逆に、ジャワ的伝統は軽視・無視されていく傾向が強いのが興味深いです。エリート教育分野にも、イスラム的システムが拡大しているとか。さらに、以前は宗教勢力を抑圧していたインドネシア政府も、1990年代以降、対話する方向に転じたそうです。
日本という国は、良くも悪くもアメリカ経由で海外の情報が入ってくるので、イスラムについては、つい偏った見方をしてしまいがち。イスラムというと、すぐ中東と考えてしまいがちだけれど、本当はインドネシアは世界最大のイスラム教徒を抱える国。
日本の国土5倍、人口2倍、民族や言語はどれだけあるか不明なインドネシア。ジャカルタを中心とした事例が、どれだけインドネシア全体に通用するかは疑問もあります。でも、倉沢先生が丁寧に紹介してくれる、1つ1つの事例は興味深いです。
ネタ的にも面白いものがいくつか。
例えば、roninという言葉がインドネシアの予備校の看板に使われているそうです。予備校のポスターには「日本では高校を卒業したが、大学受験に失敗し、再挑戦しようとしている若者のことを『ローニン』と呼んでいる。『ローニン』はもともと、昔日本で主人を失った『サムライ』をさす言葉だった」なんて書いてあったそうで、しかも、その予備校は代ゼミを参考にビジネスと教育を展開しているのだとか。
あと、イスラムといえば厳格なイメージがありますが、スカーフやファッションの専門雑誌はちゃんとあるし、ブランドもあるそうです。そして、華やかなインドネシア製のイスラムの服は輸出品としても成り立つほどだとか。ブランドを始めたのは1980年代後半のエリート女子大生。ジルバブを着用するのも、エリート同時期のエリート女子大生たちが広めたらしいです。
笑えないのは、インドネシアにある「ジバク(自爆)」という言葉。教えたのは日本軍。「自爆する」という意味の「ブル・ジバク」という言葉もあるそうで、こちらは、英語の「KAMIKAZE」的な感じでしょうか。