上海を旅した日本人のエピソード。『上海狂想曲』高崎隆治
かつて、日本人にとって一番近いヨーロッパだった上海。そこには、イギリスやフランスの租界があって、ヨーロッパのような街並があって、欧米人が住んでいて、彼らが植民地から連れてきたインド人を働かせていました。中国なのに中国じゃない場所。日本人にとって、あこがれの魔都。だけど、実は日本で食詰めた人が行く所でもありました。
日本で居場所を失った日本人は、日本とあまり変わらないか、もっと寂れた上海の日本人租界に住んでいました。なんせ、新しい商売を始める資金もツテもなく、外国語もできなかったので。モダンなイギリス租界やフランス租界には住めなかった彼らは、日本租界で日本語だけ使って生活していたそうです。ちなみに、日本の一流企業が上海に進出すると、イギリス租界のいい場所に支店を構えました。
日中戦争が始まった後、戦意高揚のため、多くの新聞記者や作家が、景気のいい話を書くために上海にやってきました。高崎さんのこの本は、そんな上海取材者の書いたものをまとめたものです。当然ながら戦争のためなので、新聞記者や作家たちは、日本軍の護衛付きで上海を見て、日本人向けの記事を書きました。
人気記者や作家たちは、兵士として上海に来たわけではないので、万が一で戦争に巻き込まれる可能性もありました。でも、上海に着いて少し時間が立つとすぐ慣れてしまったようです。彼らは仕事柄、好奇心旺盛。なので、一度に上海にやってきて、無事日本へ帰国すると、彼らは日常を物足りなく感じてしまい、また上海へ来たい衝動に駆られたそうです。
なんせ、彼らは中国を攻撃している側で、しかも日本軍に守られている側だから。ある作家さんなんかは、安全な場所で高みの見物をしているのに物足りず、「一度は空襲を経験してみたい」なんて言っていたそうです。その後、日本に帰国して米軍の空襲を経験したあとの感想を聞いてみたいで。まるでアトラクションに参加しているかのように、戦争が他人事で驚きます。
戦場に近い上海で、記者や作家さんたちが物見遊山の気分でいられたのには、軍隊に守られている以上の理由がありました。なぜかというと、戦場では毎日戦闘があるわけではないから。兵士になった人の手記を読むと、「戦場は基本、暇」だとあります。毎日敵の襲撃があったり、自分たちが攻撃する状況というのは、普通ない。でも、退屈か、死の恐怖の二択は辛すぎます。
戦場に連れて来てもらった作家さんたちは、一応安全が確保されて、すぐに帰れることがわかっています。でも、兵士は違う。いつ帰れるかもわからない状態で、いつ戦闘が始まるかもわからないし、どこに移動するかもわからない。毎日、暇だけれど緊張感にさらされています。そんな兵士たちには、神経がやられてしまった人もいたそうです。
エピローグには、兵士の戦場神経症の話が載っています。上海に滞在していた軍医さんが、1938年4月に書いた報告書にある話です。戦場から戻った兵士は、日常生活にすぐには戻れず、中国人への脅迫や強奪、強姦などの犯罪が多数起こっていたとのこと。それは、戦争への緊張がもたらすストレスが原因。
余談ですが、アメリカ軍では戦場から戻る兵士をすぐには本土に帰国させず、ハワイ島で一定期間リハビリさせて、アメリカに帰国させていたとか。そういうノウハウがあっても、やっぱり精神を病んだ人の話は映画にもよく出てきました。
戦争が長期化すると、日本人兵士の乱暴行為は上海在住の日本人にまで、及ぶようになりました。これを危惧した軍医さんが、兵士の戦場神経症を軽減させるために、彼らの飲むアルコールを少しづつ減らさせて、売春宿に通うことを辞めさせるよう提案しています。
軍医は、代わりに高尚な慰安所を設置して、スポーツを奨励するよう勧めたとのこと。そして最終的に、精神欠陥者やアルコール中毒者を軍隊から除隊させるよう警告しています。これに似たような話は、『本当の戦争』という本にも似たような話が載っていました。
だからこそ、最近はコンピューターゲームのようなものでシュミレーションして、兵士が人を打てるように訓練したり、人ではなくドローンを使ったりする模様。でも、それで人がたくさん殺されるとなると、やっぱり嫌です。小泉先生の「戦争っていうのは、一度始めてしまったらハッピーエンドはない。よりましなバッドエンドを選ぶしかなくなる」っていうのは、本当にそのとおりだと思えます。
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