うつ病経験者が語る 自分らしく輝ける病まない働き方
『失敗は成功のもと』という言葉があるように、人は失敗から学び成長するものだ。
しかし、だからと言って何でもかんでも失敗していては、取り返しのつかないことになり兼ねないし、出来ることなら失敗しない方がいいこともある。
『仕事選び』はその代表的なものではないだろうか?
ところが、書店に行って仕事選びの参考書籍を探してみると、それらの本の著者はその道の“成功者”ばかりだ。
勿論、成功者は皆すべからく失敗を糧にしてきているし、だからこそ、その経験が詰まった一冊に大きな価値があるのだが、その一方で、僕のようにうつ病を患って、社会人というレールから転げ落ちるほどの失敗を経験した人は少ないのではないかという疑問を抱いた。
そこで、人よりも大きな失敗を経験したであろう僕が、過去の自分を振り返って、仕事選びで失敗してしまった原因と失敗しない為の考え方をまとめてみることにした。
ここに書き記したことは、この資本主義社会でどのように生きていけば良いのか丸っきり解っていなかった過去の僕に教えてやりたいほど本質を捉えた内容だと思っているし、だからこそ、仕事選びの迷子になっている就活生や、転職を考える人々の役に立てると思っている。
間違った道に進まないために、僕の経験を糧にしてもらえたら幸いだ。
社会で生きていくには何よりも自分の強みを知ることが重要
・『強み』こそが社会で戦うための武器である
社会で生きていくには自分の武器を熟知し、それを活かせる環境に居なければならない。
何故なら、資本主義社会とは数多のライバルとの競争の世界であり、そこに武器無くして挑むのは、丸裸で戦場に乗り込むようなものだからだ。
丸裸の人間が勇敢に突撃したところで、武装した相手に太刀打ち出来る筈もなく、ただただ無力感と絶望感を味わう様は容易に想像できるだろう。
では、武器となる強みはどのようにして手に入れればよいのか?
その答えは、『もう既に持っている』ということになる。
どういうことか説明していこう。
ここで言う強みとは、『得意なこと』や『長所』、或いは『才能』とか『素質』と呼ばれるもので、その人が生まれつき持っているものだ。
何故か周りの人よりも上手く出来ること、特別なことはしていないのに周りから一目置かれるようなことと言えば心当たりがあるだろうか。
それこそが強みであり、磨き続けることで強力な武器となる。
したがって、この武器を活かせる職業を選択することが仕事選びにおいては非常に重要になるのだ。
・強みとスキルは別物であることに注意
ここで1つ注意しなければならないのが、“強み≠スキル”であることだ。
これらの見分け方を説明するならば、強みが『デフォルト』の武器であるのに対して、スキルは『オプション』の装備と表現できる。
具体例を挙げると、ピアノが弾けるとか外国語が話せるといったものがスキルだ。
仕事を選ぶ際、スキルが活かせることを基準にする人がいるが、この考え方は要注意だ。
確かに、スキルがあれば収入や採用条件で有利になる。
しかし、スキルがあるから仕事が“デキる”ようになる訳ではなく、スキルを活かす強みを持っているから仕事が“デキる”ようになるのだ。
このことを翻訳という仕事を例に説明してみよう。
翻訳の仕事をするには、少なくとも2か国以上の言語が使えるというスキルが必要になる。
では、そのスキルがあれば誰でも翻訳家としてやっていけるだろうか?
答えは“NO”だ。
社会から必要とされる“デキる”翻訳家は、作者の意図をくみ取る「読解力」や原作の雰囲気を損なわないように訳す「表現力」といった武器を備えている。
もし、読解力も表現力も無いのに、言語スキルだけで翻訳家になったらどうなるか想像してみよう。
きっと、直訳された言い回しのオンパレードで不自然な文章になってしまうだろう。
そうなれば間違いなく編集者から「原作の雰囲気と違う」とか「読みにくい」と指摘されるだろう。
しかし、読解力と表現力が無ければ指摘に対して適切な対処が出来ない。
その結果、いくら時間をかけても求められている翻訳が出来ず、編集者からの信頼を失って仕事が減り、自信も喪失してしまうだろう。
少々極端な例え話だが、実際に働いていれば大なり小なりこういうことはある。
顧客や雇用主の要求に応じられなければ報酬を得られない資本主義社会において、自分の強みは『武器』でもあり『防具』でもあるのだ。
強みを見つける方法
ここまで、自分の強みを活かせる仕事を選ぶ重要性について説いてきたが、自分の強みが解らないという方もいることだろう。
そこで、強みの見つけ方を紹介していこうと思う。
・強みは好きなことの中に隠れている
既に紹介したように、強みとは何故か周りの人よりも上手く出来ることや、特別なことはしていないのに周りから一目置かれるようなことである。
もしピンとこなければ『自分の好きなこと』が“どうして”好きなのか自問してみると良い。
なぜなら、好きなことの中には強みの手掛かりとなる体験が隠れている場合があるからだ。
例えば、野球が好きだったとしたら、“どうして”野球が好きなのかさらに掘り下げていくのだ。
仮に、キャッチャーとしてプレーするのが特に好きだったとしよう。
そうしたら、更に“どうして”そのことが好きなのかを自問してみるのだ。
”配球や守備位置を考えて投手をリード”すると、面白いようにアウトが取れるから好き、ということなら戦略を考えることや人を導くということに強みがあるのかもしれない。
あるいは、投手の性格や打者の”癖を見抜くのが得意”で、それを活かせるから、ということなら観察力や洞察力という強みがあるのだろう。
このように、好きなことを掘り下げていけば、自分が無意識のうちについ発揮している強みが見つかることがある。
もし、無趣味で好きなことが解らないというのであれば、箇条書きで結構なので、その日自分が行ったこと(どんなに些細なことでも)を書き留めておくことをおススメしたい。
それが1か月も溜まれば、自分がいつも無意識でやっている行動が見えてくるようになるので、その行動を掘り下げていけば自分の好きなことや強みに気付くことが出来るだろう。
万が一、それでも強みが見つからなければ、それはリソース不足に陥っている可能性がある。
多忙で時間が無かったり、気力が湧かなかったりすれば、好きなことが出来なくなるのも無理はない。
そうした場合は、行動を“断捨離”することから始めてみてほしい。
例えば、日々の買い物をネットスーパーで済ませるとか、気乗りしない誘いは断るとか、それだけでもかなりの時間が作れる。
そうやって出来た時間を、自分がやっていて『癒される』ことや『ワクワク』することに使うのだ。
こんな感じで、自分が消耗してしまう行動を削り、その分、心身が満たされる時間に充てることで自分の好きなことに気付くということもあるのだ。
また、行動の断捨離が身に付くと、一つ一つの行動に対して意思決定する習慣が付くので生活にメリハリが生まれる。
行動を意識的に選択するから、気持ちのオンオフが自然と出来るようになるからだ。
僕は一時期無気力で、毎日時間を無駄にしているように感じていたことがあったが、そこから抜け出せたのは行動の断捨離のおかげだと思っている。
自分の時間がほしい人、ダラダラと過ごしてしまうのが嫌だなと感じている人がいたら、是非、行動の断捨離を試してみてほしい。
・“好き=強み”ではない
好きなことの中から強みを探す際に、一点だけ注意すべきことをお伝えしておきたい。
それは、必ずしも“好き=強み”とはならないということだ。
『好きこそものの上手なれ』という言葉があるように、好きと得意は一致していると思いがちだが、“結果”が伴っていないものは強みとは呼べないのである。
ここで言う“結果”とは、誰かから褒められたり感謝されたりした経験や、順位・成績が良かったといった“客観的な評価”である。
“客観的な評価”というのが非常に重要で、主観で得意・不得意を評価すると自分の強みを正しく評価することが出来ないことが往々にしてあるのだ。
空き地でリサイタルをするジャイアンはその典型だろう。
また、ジャイアンとは対照的に強みを過小評価してしまうこともよくある。
その原因としてありがちなのが、“自分を他人と比較”してしまうことだ。
断言しておくが、強みを他人と比較するのは意味が無い。
自分と同じ強みを持った人間はいくらでもいるし、上を見たらキリがないからだ。
そもそも、強みが見つかったということは、その時点で既に感謝や好成績といった客観的な評価を受けている筈である。
それなのに、他人と比較して自分を過小評価してしまうのは実に勿体ないことだ。
確かに、就職や転職をした直後などは、周りの人と比べて自分が無力で無価値なように思えるのも解る。
でも、冷静に考えてみれば、同じ部署に自分と似た強みを持った人が集まっているのは当然だし、自分より先に経験を積んでいるのだからレベルが高く見えるのも当然だということに気が付くだろう。
僕が転職した経験から言えることは、最初は不安でも、強みが活かせる環境であればそう遠くないうちに周囲のレベルに追いつけるということだ。
そして、働きながら強みを磨き続けることで追い越すことだって出来る。
このことを知っているから、自分の強みをいちいち他人と比較することは全く無意味だと言い切れるのだ。
大企業の創業者や歴史上の成功者の生い立ちを見ると、最初は知人から評価されたとか、同僚より好結果が残せたといった些細なことから強みを見出している。
そして、その強みを活かせる環境、評価される場所に身を置いて、磨きをかけていった結果、強力な武器となって偉大な成功を修めたのだ。
莫大なカネと人間を動かしている彼らを見ると、途轍もないことをやっているように感じるが、彼らからしてみれば自分の強みを磨き続けているうちに、いつのまにか壮大なことが出来る立場になっていたという感覚なのだろう。
強みを活かせる環境を見極める重要性とその方法
・強みが活かせない仕事は『自己否定』しているのと同じ
『置かれた場所で咲きなさい』という言葉があるが、僕はこの言葉は鵜呑みにしてはいけないと思っている。
なぜなら、人が花開くには、その人の強みが活かせる場所に居ることが必要条件だからだ。
もし、強みが活かせない場所にいるとしたら、それは『自己否定』をしていることと同じだ。
そこにいる限り苦痛の連続で心身を病んでしまうことになるだろう。
僕の主張が大袈裟だと思ったなら、頭の中にドラえもんの『のび太君』を思い浮かべて、彼が格闘家になったらどうなるかを想像してみてほしい。
ボロボロになって泣き言を言いながら、ドラえもんに助けを乞うてはいないだろうか?
彼が格闘家としての自分の『存在価値』を見いだせずに、「逃げ出したい」「居場所が無い」と嘆いている様子は容易に想像できるだろう。
ちなみに、僕自身も間違った場所に就職して苦労した経験がある。
新卒で入社した会社の仕事が、自分の強みを全く活かせないものだったのだ。
こうなってしまったのは、大学で取得した資格(スキル)を活かせることを優先して就活した結果である。
仕事自体は特段難しくはなかったものの、あまりにも自分の性格とミスマッチしていたことや、不得意に感じることが多くて、数をこなしても自信にならず常に不安とプレッシャーを感じていた。
1か月ほど働いた時点で日に日に生気が無くなるのを実感し、自分はこの仕事を長く続けられないと感じるようになっていた。
そんな違和感を感じながらも、「1年足らずで辞めるのは恥ずかしい」という思いから働き続けていると、就労から僅か2ヵ月で10㎏も体重が落ちたうえに、毎日鼻血が止まらないという謎の体調不良が表れた。
その後も騙し騙し働いてみたが、体調を崩しながら早朝から深夜まで働く生活に、飯を食うために働くのか、働くために飯を食うのか解らなくなり、入社から半年程で退職したのだ。
最後の方は無力感に苛まれ、趣味や娯楽を楽しむ気力も無く、食事も喉を通らなくなっていたから、もし、あのまま働き続けていたら僕は確実に壊れていただろう。
今振り返ると、くだらないプライドなど捨ててさっさと転職すれば良かったのにと思うのだが、人間には学習性無力感(長い間ストレスを回避困難な状況に居ると、その状況から逃れる努力すらしなくなる現象)というものがあって、本当に行動を起こせなくなるので恐ろしいものである。
この経験があるから、仕事を選ぶ際は自分の強みが活かせることを優先基準にするべきだと強く思うのだ。
豊かな人生を送りたいのなら、最高の自分を発揮できる仕事に就こう。
・努力の方向性 『必要な努力』を見極める
苦手なことを努力するよりは、自分の強みを活かせる努力の方が報われる可能性は高い。
そういう努力のことを僕は『必要な努力』だと思っているのだが、これを見極めるには自分の強みに軸を置き、何を課題とするのかよく吟味することが必要だ。
イメージし易いように、テニスを例に説明してみることにしよう。
長身を活かしたサーブが得意(強み)だが、その他の能力は平均以下(課題)、とりわけネットプレーが苦手という個性を持っている選手(仮にA選手と呼ぶ)がいたとする。
そんなA選手が試合で勝てる選手になるにはどうすればよいだろうか?
テニスでは、サーブを打つゲーム(サービスゲーム)とサーブを打ち返すゲーム(リターンゲーム)を交互に行い、2ゲーム差をつけて6ゲーム先取した方が勝者となる(タイブレークの説明は割愛する)。
つまり、サービスゲームを全てキープしたとしても、少なくとも1回はリターンゲームに勝つ必要があるのだ。
このルールを踏まえてA選手の戦い方を考えてみると、得意のサーブを強化しても勝てる可能性はそれほど変わらないことが解る。
それにもし、相手がA選手のサーブを返球して打ち合いになろうものなら、途端に展開が苦しくなるのは想像できるだろう。
では、戦術とストローク(打ち合い)を強化することにしたらどうだろうか?
戦術とストロークが平均レベルまで改善すれば、得意のサーブを軸とした攻撃のバリエーションが増えて、より確実にサービスゲームをキープできるだろう。
それに、打ち合いで簡単に負けなくなるだけでもリターンゲームの勝率も上がる。
だとすれば、戦術とストロークを強化するという方向性は間違ってなさそうだ。
あとは練習と実践を重ねて勝ちパターンを学習していけば、一回り成長したA選手が勝てるビジョンが見えてくるのではないだろうか。
さて、A選手の取り組みをまとめると次のようになる。
ここで巷の自己啓発本のように、インプットとアウトプットの重要性を説くつもりはない。
僕が言いたいのは、その前にある『目標設定』と『課題設定』を正しく決定することが重要だということだ。
目標設定と課題設定を行わないで努力するのは、地図を持たずに旅をするようなものである。
行き先(目標)を決めて歩きやすいルート(課題)を選べば到達出来るのに、そうしないから迷子になったり泥沼にハマったりしてしまうのだ。
A選手の例のように、数ある課題の中から強みを活かして目標達成が見込める課題を見極めることで『必要な努力』が見つかる。
目標達成までのイメージがハッキリしているから、明確な目的をもって課題に取り組むことができ、努力の質も効率も良くなるはずだ。
・目標設定と課題設定が失敗を防ぐ鍵
必要な努力を見極める為に、『目標設定』と『課題設定』を正しく行うことの重要性を説明したが、それと同じ理由で“仕事”の目標と課題も明確にしておくことが重要だ。
これをしないと、自分が求める働き方と他者が求めている働きに乖離が生じ、不要なトラブルや困難に見舞われる恐れがあるのだ。
若いうちは「何事も勉強」と言って何でもかんでもやらせる人がいるが、仕事である以上しっかり吟味した方が良いに決まっている。
漠然としたイメージだけ聞いて引き受けてしまい、いざ手を付けたら手に負えないとなっても、責任を被るのは自分なのだ。
だったら、始めから出来ないことは断るのが筋ではないか?
僕は会社員時代に、会社の意向で『勉強』という名目で他部署の仕事を担当したことがあった。
悪いことにその仕事というのが僕の苦手とする類のもので、強みを活かせる本業とはかけ離れたものだったのだ。
右も左も解らない中、基準書に書かれている設計上の細かなルールと数式の意味を理解しながらひたすら設計計算をするのだが、こうしたことが苦手な僕にとっては“体中に蟻が這っているような不快感”を伴う仕事だった。
何故そんな仕事を引き受けてしまったのかというと、目標と課題を明確にしないまま了承の返事をしてしまったためだ。
僕はてっきり「業務のノウハウを覚える」のが目標で、課題は「誰かの下について教わりながら経験を積む」というイメージをして引き受けたのだが、実のところ、会社としては「人手不足で持て余した業務を完遂させる」のが目的で「業務の担当者を見つける」ことが課題だったのだ。
その課題をクリアするために、当時若手だった僕に『勉強』という口実を使ってやらせたのである。
そういった事情を知らずに引き受け、いざやり始めると到底出来そうもない目標を目の当たりにして困惑したのは言うまでも無い。
それが、未知な分野の苦手な作業なら尚更である。
学生やホワイト企業に努めている人たちには信じられない話かも知れないが、人手の足りない企業や過渡期にある業界ではこんなやり方は珍しくない。
特に立場の弱い若手のうちはこういう無茶を要求されやすいので、しっかりと目標と課題を吟味して納得して取り組むことが大事だ。
・良い人を演じる必要な無い 無理なものは無理と断るのも大事
良い顔をして何でも仕事を引き受ければ、始めは感謝されるかもしれない。
でも、本当に最初だけだ。
仕事は結果が伴わなければ評価されない。
まして、その仕事が得意か苦手かは相手には関係が無いのだから、自分がどんなに頑張っても、満足してもらえなければ不本意な評判を得てしまうことさえある。
先述した通り、僕は『勉強』の名目で苦手な仕事を引き受けてしまった訳だが、その後どうなったのかも書いておこう。
仕事を引き受けてしまった以上、何とか完遂させようと懸命に取り組んだのだが、望むような結果は出せなかった。
やはり苦手だったこともあって、早さも正確性も不十分で仕事の質も良くなかったし、ちっとも面白くなかった。
それに加えて、本業も疎かに出来ないから、連日深夜残業をしなくてはならなくなり、常に時間に追われている焦りから、普段ならやらないような凡ミスをして叱責されたこともあった。
当然、こんな状況では良い評価をされる訳もなく、かえって不本意な評価を受けてしまったのだ。
頑張れば頑張るほどダメなところが明るみになる状況に、自分がアリジゴクの巣にハマった蟻のように思えた。
結局、後になって専門の部署のサポートを受けられたから事なきを得たが、あのまま一人で抱えていたら本業も納期に間に合わなかっただろうし、そうなっていたら信頼も評価も失墜していただろう。
今振り返っても、何一つ良いことが無かったように思う経験だが、学びがあったとすれば、ちゃんとしたフォロー体制が整っていないのに、安易な気持ちで苦手分野に足を突っ込めば簡単に“詰む”ということだ。
こんな経験があったから、『無理なものは無理』と断ることは決して悪いことではないと思うのである。
きっぱりと断ってしまえば、苦手な仕事が舞い込んでくることは無くなり、強みを活かせることに集中できる。
そしてそれは、自分の価値を高め、自己実現するための“セルフブランディング”として必要なことなのだ。
こんなことを言うと「選り好みするな」とお叱りを受けそうだが、その主張は街中の商店にコンビニになれと言っているようなものではないかか?
人も店も、それぞれに得意・不得意がある以上、供給出来るものも違って当然だし、だからこそ役割というものがあるのだ。
自分の苦手なことは努力してもうまくいかないけれど、得意な人に任せれば難なく解決する。
そうやって共存しているのは、社会も組織も人も同じである。
それなら、自分の強みを活かせる努力を選択した方が、世の為、人の為、自分の為になるだろう。
『ジェネラリスト』になれば社内では重宝されるかも知れないが、社会で求められるのは『スペシャリスト』なのだ。
生きにくさの原因は『価値観』に沿った働き方をしていないから
・固定観念を捨て、本当の自分を取り戻そう
僕は働くうえで『強み』と同じかそれ以上に重要なものがあると思っている。
それが『価値観』だ。
ここで言う『価値観』とは、他人や社会に影響されて築いたものではなくて、心の根っこの部分にある、自分が一番大事にしていて譲れないものを指している。
裏を返せば、これが満たされないと生きていくのが苦しいと思うことである。
ところが、毎日暗い顔をして通勤するサラリーマンを見ていると、自分の価値観を正確に把握している人というのは案外少ないのではないかと思ってしまう。
誰もが子供の頃は自分の価値観に忠実に生きていた筈なのに、学校教育や集団生活、或いは親の影響を受けて、いつの間にか“固定観念”の中で過ごすのが当たり前になり、本来の価値観を見失ってはいないだろうか?
他人から植え付けられた“固定観念”の中で生きていれば、“人生がつまらない”、世の中が“生きづらい”と感じてしまうのは当然だろう。
かく言う僕も“固定観念”に縛られていた一人である。
でも、そのことに気付けたのは、うつ病を患ってそれまでの生き方を顧みたからで、それまでは固定観念に縛られて生きているなんて思いもよらないことだった。
だから僕は自分の価値観を知ることの難しさも、固定観念に縛られる苦しみもよく理解しているし、それ故にこの記事を読んでいる人には一刻も早く自分の“本当の価値観”に気付いて欲しいと思うのである。
『調和』が大事な人は、営業成績をバチバチに競う会社には馴染み難いだろうし、『安心』を価値観とする人は、危険やリスクを伴う仕事に耐え難い苦痛を感じるだろう。
人それぞれに違った価値観があるのだから、価値観に縛られたり、押し付けたりするのは間違っている。
“お互い”の価値観を尊重して働ければ、今よりずっと生き易くなる筈なのだ。
・価値観に沿った働き方が心身を守る
先に述べたように、僕はうつ病を患ってしまったのだが、これは価値観に沿わない働き方をしてしまったのが原因だ。
どんなに強みが活かせる環境でも、価値観が満たされなければ“生きずらさ”から逃れられない。
僕は『自由』ということに価値観を持っていて、本当は時間も場所も行動も縛られない自由な生き方がしたかったのだが、常識や世間体といった“固定観念”に縛られていたために、お金のために会社で裁量権の無い仕事を朝から晩まですることを選んでしまったのだ。
勿論、お金も仕事も大事なことではあるが、自分の価値観が満たされないから昇進しても昇給しても心が満たされないのである。
むしろ、責任と仕事量が増えて日々の生活から自由が無くなっていったことで、“自分の人生が他人に消費されている”ように感じて、そうまでして生きている理由が解らなくなってしまったのだ。
そうしたストレスが祟った結果、ある日突然身体が動かなくてベッドから起き上がれなくなってしまった。
それがうつ病を自覚した切っ掛けだが、実はその前から職場のストレスチェックで“高ストレス”と何年も続けて診断されていたし、メンタルがやられている兆候はあった。
しかし、それさえも『責任を持って働かなければならない』という“固定観念”によって認めようとしなかったのだ。
長年の高ストレスで発症したうつ病は重く、発症から3年以上も療養に費やした。
これを読んで「自分も高ストレスを感じている」、「価値観に沿っているのか不安だ」と思った人がいたら、その仕事を続けた未来に『なりたい自分』が想像できるか考えてみてほしい。
明確にイメージ出来るのなら、その道は間違ってはいないだろうから、努力の方向性を間違えず、強みを磨いていけば良いだろう。
そうでないのなら、心身が壊れる前に真剣に価値観と働き方を考えた方が良い。
今は、スマホ1台で物販も投資もクリエイターもできる。
その気になればどんな働き方も出来るのだ。
強みは1つじゃないし、それを活かせる仕事も1つじゃない。
価値観に沿った働き方が出来る環境はきっとある筈である。
おわりに
僕たちは、学校で散々勉強や試験をやってきたのに最終的にはサラリーマンになるルートが敷かれている。
そのうえ、労働の義務は教わるが、働き方について考えるカリキュラムは無い。
そういう環境で育てば、自分の強みよりもスキルを優先した仕事選びをしてしまうのも、就職して朝から晩まで働くことが当たり前と思ってしまうのも無理はないだろう。
昔のように、働き方も生き方も限られていた時代ならそれで良かったのかも知れないが、今は比較にならないほど働き方が増え、色々な生き方や価値観が実現できるようになっている。
それは個人の強みについても同じで、強みが活かせる仕事は昔より確実に増えているはずである。
それなのに、仕事のミスマッチが絶えないのは、仕事の選び方を知らないからに他ならないと思うのだ。
実際、僕も仕事の選び方を知らなかった。
周りの意見に流されてミスマッチした仕事に就き、苦い経験をした。
しかし、その経験があったから、自分の強みや価値観を大切にし、自らの道を切り開くことの重要性に気付くことが出来たのだ。
周りの人からは「安定した業界」や「正社員」を勧められるかも知れない。
しかし、自分らしさを大切にし、本当にやりたい仕事を見つけるためには、自分自身で判断し行動することが必要なのだ。
そうやって見つけた仕事は、きっと“天職”になるだろう。
僕は、時間を費やすということは“寿命”を捧げることだと思っている。
だから、貴重な時間を割いてこの記事を読んでくれた人には、自分らしく輝ける仕事を見つけ、充実した人生を送ってほしいと思うのだ。
この記事が、少しでも希望と勇気を与えることができたなら幸いである。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。