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覚悟と情熱と生きることについて学ぶ〜『根源へ』を読んで〜
こんばんは。デイリージラフです。
今日も先日読んだ本をご紹介したいと思います。
今回ご紹介するのは、執行草舟さんの『根源へ』という本です。人生について、過去の文学を通じながら語る、哲学書のような本です。
特に印象的だったのが、情熱に関する文章です。
情熱には成功や安全、そして安定を保証していないからこそ価値があるのです。これは私の根源的な考え方ですが、人生においては保証が与えられているものはすべて偽物です。社会保障などが人間の情熱の敵として現代社会を覆いつつある現実を見れば、それは、誰の目にも明らかでしょう。
「人生において保証が与えられているものはすべて偽物。」
よくよく考えてみれば、すべてのシステムや安全というものは、人間社会が作り出したものであって、自然界では安全や安定なんてものは、存在していませんでした。
それにもかかわらず、人間は社会の中で生きて行くうちに、確かに安全や安心を求め生きて生き、生きるために働くという姿勢から、働くためにいきるという逆転現象が起きてしまっているのかもしれません。
スタジオジブリの宮崎駿監督も、青年が老後の年金問題を心配して、いまを生きていないことはどうかと思うという趣旨のコメントをされていました。
いまを生きずに、安全や安心という形のないものを追い求める姿勢について、憂慮されているようにも思えました。
もう一つ、覚悟についての文章もご紹介させてください。
現代人はよく「覚悟がすべてだ」などと気楽にいっていますが、覚悟とは、本来は武士道の刻心の言葉です。人生において、もともと自身が苦悩する情熱的な生き方をしていなければ出ないはずの言葉です。この言葉は、己の命がけの情熱を持たぬ人間が気楽に使う言葉ではないのです。パスカルが人生について言った、あの「最期の幕は血みどろなのだ」という言葉の意味をかみしめた者にしか使うことができない言葉なのです。
便利な時代を私たちは生きています。10年前であれば、何かを知るためには、図書館で調べ物をしたり、人に聞きに言ったり、新聞をよく読んだり、自分で動かなければ、情報を手に入れることはできませんでした。
もっと昔の時代に遡れば、情報量なんてものは限られた者で、入手するためには相当の苦労があったでしょう。
ところが、いまはスマホがネットにつながっていれば、知りたいこと(正しい情報かどうかは別問題ですが)をいつでも、簡単に知ることができます。
しかし、情報を自由に手に入れるからと言って、過去の偉人のような言葉を発する人が増えたでしょうか?
情報量が莫大に増えたことに比例するように、そのような存在が増えたとは思いません。
結局、この本で書かれているように、覚悟と情熱を持った生き方をする人は、いつの時代も限られていて、最後の最後は、自分の生き方をいつの時代も問われているのかもしれません。