生きる最終目的⇒幸せである事
皆さんこんにちは。新倉(シンクラ)です。
いつもNOTEを読んで下さる皆さんありがとうございます。
「生きる意味」幸せだと思える為の考え方について考えていきたいと思います。
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人生は苦しく、不安ばかり。生きる意味すら見失う事もある。
自分は何のために生きているのか、ときに見失うこともあるでしょう。今のような閉塞感のある時代であっても、普遍的な答えがあります。
それは、幸せであること。幸せの形は人それぞれで、それを実現するために、仕事をしたり、勉学に励んだりすると言う事です。
生きる意味が幸せであることなら、やるべきことはおのずと見えてきます。心を軽く、気持ちを楽にすること。
それだけでも、幸せであることはできるのです。
生きる意味は、幸せであること。
誰かと比べて幸せだとか、他人から見て幸せそうだとか、そんなことは関係ありません。
自分が幸せだと感じられることが大切なのです。
自由を失うと、自分自身をも見失います。
本当に幸せであるためには、とらわれた心を自由にすること。その価値観を身につけることが、大切なのです。
人と比べることの無意味さ
人と比べてやっかむことを、ルサンチマンといいます。
誰かより優位に立つことが目的になると、必要のないことにお金をつぎ込んだりして、真の幸せから遠ざかるのです。
自分を卑下する価値観にすがりつくことも、幸せから遠ざかります。
人と比べることは、自分を幸せにはしないのです。
終わらせることの大切さ
新しい自分に変わりたい。心機一転、新しいことを始めたい。
そんな思いとは裏腹に、ぐずぐずと変われないでいる現実……。
どれもきっちりと終わらせることが大切です。始めることばかりに意識をとられがちですが、ケリをつけることも同じくらいに重要なのです。
報われないこともあると知る
努力はいずれ報われる。そう信じていると、不得意なことに時間や労力を費やすことになり、無駄な努力となってしまいます。
世界は公正にはできておらず、いつも正しい因果関係が成り立つわけではないのです。
それを知っておくことで、被害者意識や逆恨み、偏見にとらわれることもなくなります。
思い込みではなく正しい認識をすること
自分の考えは正しい。誰もがそう信じたくなるものです。しかし、たいていは思い込みや先入観が含まれており、ゆがんだものの見方をしていることに気付けません。
自分が受けた教育や経験など、ごく狭い範囲の材料をもとに決めつけていないか。うわさやデマに惑わされていないか。
ものごとを正しく認識できているか、自らチェックするのです。
つらさを正しく理解する
生きることがつらいのは、なぜなのでしょうか。特定の出来事や人物、あるいは自分自身に、その原因を求めないことです。
つらく感じるロジックを正しく理解すれば、「そういうものだ」と受け入れられるようになります。
批判は自らを省みるチャンス
耳が痛くなるような意見ほど、自分の盲点だったりするものです。一時的に嫌な気持ちになるかもしれませんが、自らの意見や主張を省みるチャンスでもあります。
多様な意見を取り入れ、多面的な考察を経てこそ、クオリティの高い意思決定ができるのです。
ある程度の負荷は欠かせないもの
ストレスや失敗という負荷は、全くなければよいというものでもありません。
使いようによっては、その後のパフォーマンスを上げる材料になるからです。
ある程度の負荷は、人生に織り込み済みにしておくこと。そうして、強さやしなやかさ、柔軟性を身につけていくのです。
行動は信条にもとづいたものであること
社会や周囲の人間からの圧力で、自分の行動を変えていませんか。その行動が自分の信条に反するものであるほど、葛藤に苦しむことになります。
自分の行動は、自分の意思と一致させること。そうすれば、整合性をとるためにうそをついたり、自分を正当化したりしなくて済むのです。
正解を求めようとしない事も重要です。
完璧であることはわかりやすいものです。
しかし、わたしたちを取り巻く世界には、いつも必ず正解が存在するわけではありません。
むしろ、白黒はっきりしないことのほうが多いのが現実です。
完全な正解を求めないことは、あなた自身の心を軽くするためにも、賢明な選択なのです。
最適解はひとりで出せるものではない
いつも最適解が出せるに越したことはありません。しかし、自分ひとりで正解を導き出せると思い込むのは、うぬぼれというものです。
成り行きに任せ、なるようになると開き直ること。そうすると、案外満足のいく解が得られたりするものです。
「AかBか」ではなく、それ以外があってもいい
世の中は優劣や勝ち負け、損得のような二項対立が多く存在します。
「AかBか」という枠組みは便利で、無意識に評価や判断に用いているのです。
しかし、その考え方では思考が制限されます。
何が正解かなど決まっていないのですから、「AかBか」という先入観にとらわれず、それ以外の選択があってもいいのです。
偶然が生まれるゆるさも必要
失敗やエラー、不正解をネガティブなものとして排除しないことです。それらも含めて、ものごとを許容すること。
そこから、思いがけず良い結果や意外なメリットが得られるからです。
科学技術や生命の多様性も、膨大な時間をかけて失敗やエラーを繰り返してきたもの。偶然が生まれるゆるさがあってこそ、得られるものもあるのです。
生きる最終目的は、幸せであることです
生きる意味は、幸せであること。
これは普遍的でシンプルな答えです。
その形は人それぞれで、いろいろな生き方があります。
これから先も、生きるのがつらいときもあるでしょう。
迷ったときは、今幸せか???亡くなる時に幸せだと思えるかで判断すると良いのではないのかと私は思っています。
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