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やりがい搾取
職場で定期的に「職場アンケート」が取られます。アンケートを取ることで、仕事の問題点だったり、従業員の隠れた不満などを洗い出し、改善をしていくということに使われると思っています。そうですよね?
仕事を楽しんでやれているか?やりがいを感じているか?と問われたらどうですか?本当に楽しんでいる、やりがいを感じているなら何も問題がないかも知れませんが、果たしてそうでしょうか?
先日「やりがい搾取」という言葉を知りました。
わたしの理解は「仕事をする側のやりがいや好きを盾に、使役者側が理不尽な要求をしている、またその要求に従わざるを得ない状況になっている」ということです。
「やりたくてこの仕事やってるんでしょう(だからこれもやれ、あれもやれ。文句言うな)」っていう言葉をかけられる時って、大概「雇用者・使役者」側が都合の良いように従業員に対して使っているのではないでしょうか。
やりがいを盾にやる気をそして本来、支払われるべき給料を搾取している。
本来は「仕事はいえ、契約にないことまでやらされて、強いられて、そして対価を支払われない」というのはどうなんでしょうか?
やる気があっても、やりがいを感じていても、こんな要求をし続けていたらどうでしょうか。最初は「まぁ、仕方ないか」と応じていても、それが「あたりまえ」にされてしまうとどうでしょうか?
もともとあった「やりがい」も、感じなくなるんじゃないでしょうか。
やりがいを感じないというアンケート結果が出ることが多いそうですが、この辺はもう少し、社会全体で考えなくてはいけないのかなと思います。
やりがいを削り取られながら、それでも仕事に邁進するのはすごいと思いますが、それが当たり前になるのは、いやだ。
本当に好きだった仕事が、やりがいを感じなくて、好きでなくなる。好きでないことを毎日毎日「嫌々やらされる、やっている」なら、辛いですよね。
「辛いのが仕事だ」という信仰もあるようですが、心身共に壊れていく「辛い仕事」をやり続ける理由がどこにあるんでしょう。その対価が「お金」なのかも知れませんが、それはただ、やりがいを削ってお金に変えているだけじゃないんですかね。
好きなこと、一切のしがらみなく、好きなことを仕事にできている人はとても素晴らしいと思います。働く人が皆、そうであって欲しいとは思いますが、世の中綺麗事だけではうまくいかないのは理解しています。
「やりがい」が削り取られると、回復に時間がかかるどころか、ほとんど回復せず、心の中でどんどん負担になります。やりがいがなくなると、ただ「お金」のためだけに仕事する、そういうことになりますが、全然、やる気もないし、生産性も上がりません。
でもそれでも、だからこそ「やりがい搾取」するような仕事は、極力減らしたいと思うのはわたしだけでしょうか。世の中、「あ、それやりがい搾取ですよ?」って言える職場の雰囲気になれば、少しは変わるんじゃないかなぁ、と思いますが、どうでしょうね。
それでは、また。
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