須賀怒(スカッド)

昭和45年生まれの駄目なオジサン 地位無し名誉無し財産無し借金あり 嫁と息子と友達と思い出だけが財産 サブカルチャー、プロレス、格闘技 の事しか考えず半世紀が過ぎました 昭和からの趣味はTV出演と格闘技 熱湯風呂ねるとん紅鯨団に始まり リングに上がったり映画に出たりの日々を懐古

須賀怒(スカッド)

昭和45年生まれの駄目なオジサン 地位無し名誉無し財産無し借金あり 嫁と息子と友達と思い出だけが財産 サブカルチャー、プロレス、格闘技 の事しか考えず半世紀が過ぎました 昭和からの趣味はTV出演と格闘技 熱湯風呂ねるとん紅鯨団に始まり リングに上がったり映画に出たりの日々を懐古

最近の記事

映画「プリテンダーズ」の中に昔の愚かな自分とSNS時代の現代を観た。

お手伝いさせて頂いた映画 「プリテンダーズ」 を観に渋谷へ行ってきました。 自分が参加した映画は思い入れが強すぎ 公平に批評なんて出来無いのです。 守秘義務の関係で言いたい事も言えませんが深く心に残ったのでお話します。 主演はドラマ「鈴木先生」で注目され 最近ではドラマ「親バカ白書」 朝ドラ出演も決まった注目の女優さん 主人公花梨役 小野花梨さん そして新人ながら立て続けにドラマ、 映画、CM、MV、で注目されている 風子役 見上愛さん 簡単なあらすじは少しだけ 主

    • 京急油壺マリンパーク閉園ネタで呟きプチバズった写真の裏と影。誕生日から1年note1周年の軌跡。

      京急油壺マリンパー53年の歴史に幕を閉じた。 Twitter公式にお礼コメントを書かせて貰った。 気づくと1000近くのイイネがついていた。 これがプチバズりと言う奴なのだろう。 我ながら臭い事を書いているがちょっと嬉しい。 また油壺マリンパークが多くの人に愛されていた 事が良くわかる出来事であった。 当時は東洋一の水族館として関東でも人気で 保育園の遠足は俺も息子もここであった。 閉館になると言う事でこの夏に久々に家族3人で 出かける事にした。 近年神奈川だけで相当の水

      • 小学生の頃にあった喧嘩ランキングと砂場でやった本気のプロレスの話。

        共働きで一人っ子だった俺はとにかく 学校が大好きであった。入学当初は勉強も出来る方であったが1つの事で先生や 学校が信じられなくなったのである。 死ぬほど友達と遊び回り、ひたすらTVや漫画の立ち読みをしていた俺は異常に雑学にも詳しくなっていた。 今は廃止になった入学前のIQテストも ずば抜けていたらしい。 先生が出す問題も1人で次々に解いたり 他の子がわからない質問ばかりしてた。先生からすると凄く面倒なガキである。 そうするとそのうち指名されなくなる。 担任の女性の先生は

        • スタンド・バイ・ミーを観てふと思い出した事。幼少期に受けたイジメやリンチが自分を作った。

          TVで久々にスタンド・バイ・ミー を観て幼少期を思い出していた。 物凄く大好きな映画でサントラは今 でもたまに車等で聴いている。 映画鑑賞とサントラ収集も大きな趣味 の1つなので別の時に書きたいと思う。 思春期を向かえる前にどんな人生 を送ったかってのがそいつの人格 形成に大きく関わって来ると思う。 学校では俺達は平等だと習ったが 生まれた家庭で人の人生は大きく 左右されるのに平等な訳が無い。 小学校に入り連絡網を貰った時に俺 だけはアパートの大家の電話番号が 書かれ

          超獣ブルーザー・ブロディと初遭遇!そしてその直後に悲劇は訪れた!!ジプシー・ジョーにナタで殴られた話。

          1983年4月23日 横須賀市総合体育館 グランドチャンピオンカーニバル 中学生になった俺は先月に続き 隣の市で行われた全日本プロレス を観に行く事になった。 今回の目当ては前回と同シリーズ で後半から参戦した超有名選手 超獣ブルーザー・ブロディである。 そして初めて観るタイトルマッチ でもあった。 相手は因縁のテリー・ファンク (テリーマンのモデルレスラー) インターナショナル選手権試合 60分1本勝負です。 しかしここ一年毎週プロレス観て 雑誌や書籍を読みあさってた俺

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          一番大好きなレスラー。不沈艦スタン・ハンセンを初めて目撃したのは、伝説の会場大和車体工業体育館であった。

          小6の年末に初めてプロレス会場に 連れていって貰った俺はほぼ脳内は プロレスで埋め尽くされていました。 年末に親父の会社が潰れ引っ越しを したのですが汲み取り便所で家の鍵 はタンスの鍵の様なあばら家でした。 そんなストレスもあり現実逃避が したかったのかも知れません。 そして神奈川県に遂に全日本プロレス がやってきました。 83グランドチャンピオンカーニバル 3月29日大和車体工業体育館 前回初めて行ったプロレス会場は有名 な横浜文化体育館でした。 プロレスにはTVカメラ

          一番大好きなレスラー。不沈艦スタン・ハンセンを初めて目撃したのは、伝説の会場大和車体工業体育館であった。

          223㎝の大巨人と201㎝の超人のシバキ合い!!小学生の僕が初めて観たプロレスはリアル怪獣映画であった!!

          今度こそ小学生の頃の初プロレス観戦の話に入っていく。プロレスが大嫌いだった自分がここまで来た経緯は過去日記で詳しく書いてあるのでチェックしてください。 1982年11月16日 第3回MSGタッグリーグ戦開幕戦 横浜文化体育館がその会場である。 昨年取り壊されてしまったその会場は JR関内駅から徒歩数分の所にあった。 親父に連れられて初めてのプロレス会場に足を踏み入れる。 売店でパンフレット(500円)新日本プロレスのカレンダー(1500円)ホーガンのポスター(500円)

          223㎝の大巨人と201㎝の超人のシバキ合い!!小学生の僕が初めて観たプロレスはリアル怪獣映画であった!!

          初めて観たプロレスラーはキン肉マンのリングに上がるジャンボ鶴田だった。

          プロレス嫌いだった俺が何故プロレスを好きになったのか?そして小学生の俺が初めてプロレス会場に行くまでをダラダラと書きようやくプロレス観戦記を書こうと思った所で思い出した事が、、、、 実はその前に俺は1人の偉大なプロレスラーに会っていたのだ。 その偉大なプロレスラーとは、、 ジャンボ鶴田選手である!! 会場はプロレス会場では無い。 1982年に品川プリンスホテルで行われたイベント。「少年ジャンプ大博覧会」なるイベントであった。 当時小6の俺は少年ジャンプが大好きであった。

          初めて観たプロレスラーはキン肉マンのリングに上がるジャンボ鶴田だった。

          「北の国から」黒板五郎さんが亡くなってしまった。大人になって草太兄ちゃんと会った話。

          田中邦衛さんが亡くなった。 黒板五郎さんが亡くなったのだ。 黒板五郎ロスである。 北の国から。国民的ドラマである。 観たこと無い人に簡単に説明すると。 北海道産まれの主人公黒板五郎。 優しい男だが無口で不器用。 都会での生活に馴染めずにいた。 夫婦生活も崩壊し息子と娘と帰郷。 北海道は富良野の山奥の山小屋。 そこは電気もガスも水道も無かった。 我が家もリアルタイムで観ていた。 自分の父母は北海道産まれである。 そして自分は息子の純と同い年だ。 他にも類似点がいくつかあった

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          ドラマ「俺の家の話」とリアル俺の家の話。

          ドラマ「俺の家の話」が好評だった。 人間国宝の能楽師の父と子のお話。 能を通し親子関係が壊滅した親子、 しかし親子でプロレスを観る時はだけ は良き父、良き親子であった。 息子は家を出てプロレスラーになる。 何十年かたった頃に父が倒れ、その介護をする為にプロレスを引退した主人公が家に戻ってくる。 簡単に言うとこんなストーリーだ。 我が家も親子関係は終わっていた。 正確に言うと家庭崩壊しかけていた。 激貧生活を作り出した父の事をリアル に毎日死んで欲しいと願っていた。 そんな

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          小学生だった僕が初めてプロレスに行った話。

          自分がプロレスが大嫌いだった事は 前回お話ししました。 タイガーマスクの出現により世間に プロレスブームが巻き起こりました。 金八先生を観ていた俺も皆の話を 聞いてるうちにいつの間にかTVで 毎週欠かさずプロレスを観る様に なっていました。 年末に新日本プロレスを観ていると 次期シリーズの予告で来週に近場の 横浜文化体育館に新日本プロレスが来る と告知されました。 オフクロが親父に俺を連れて一緒に行って くればと提案した事で俺の初プロレス 観戦が決定したのです。 その頃は

          小学生だった僕が初めてプロレスに行った話。

          大嫌いだったプロレスを好きになった訳。

          物心ついた頃は俺は プロレスが大嫌いだった それは親父が俺がドリフを観てると プロレスに変えてしまうからだ。 更に親父ごしから観るブラウン管には 金網の中で血だらけの太った男達が 殴りあうカオスが映し出されている。 大嫌いだった物を好きになると言う事 には物凄い衝撃が必要である。 1980年前後の金曜8時はTV朝日で 新日本プロレスが放送されていた。 そこにいた1人の外人に驚いた。 アンドレ・ザ・ジャイアント 223㎝240㎏の体で動き回る。 しかし俺が驚いたのは その怪

          大嫌いだったプロレスを好きになった訳。

          50歳の誕生日にガチャガチャを回してみたお話。3つ子の魂100まで ?

          50歳の誕生日にガチャガチャを回してみた。 出てきたのは。 スト2のザンギエフ! まぁザンギエフオンリーのガチャガチャをやったんだから当たり前である。 幼い頃から大好きなガチャガチャ。 三つ子の魂百までと言う言葉があるが50の今でも大好きだから本当に100までやっているかも知れない。 そんな事で今回のテーマは1970生まれの俺が3歳の位の頃どんな時代でどんなガチャを回して来たのか紐解きたい。 思い出そうとしたが20円だった事しか思い出せません! 調べてみるとバンダイが参入

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          映画「あしたのジョー」小学生の頃に憧れていた世界に入ってみた話。

          最初の映画のお話は昭和の子供達の心を鷲掴みにした名作「あしたのジョー」です。 2020年9月力石役の伊勢谷さんがやらかしてしまいました。 この少し前に山下さんもスキャンダルを起こしています。 当然ながらそこには一切スポットは当てません。 それでも最初にこの作品のお話をしたかったのはこの作品が自分の初映画出演であり初セリフを頂いた作品だからなんです。 これからも自分の参加した作品を御紹介していきたいと思いますがボランティアエキストラにも守秘義務と言う物があり現場でしか知りえ

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          半世紀1970~2020記念にnoteを始めてみる

          50歳を迎えてしまいました。 半世紀生きた節目に何かをやりたいと 思い始める事にしました 自分の記憶が鮮明なうちに過去を懐古 初投稿は自分の50年をダイジェストに 横浜の激貧家庭に産まれた自分は幼き 頃から夜逃げ同然の引っ越しを繰り返 しその経験から身に付いた貧乏根性が 自分の人生を作りました 借金取りの怖い人が度々訪問する中 お金がかからず楽しめるのがTVでした お笑い、アニメ、特撮、ゲーム、プロレス、格闘技、映画、ドラマ等 それらが自分を育てました そしていつし

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