50歳の誕生日にガチャガチャを回してみたお話。3つ子の魂100まで ?
50歳の誕生日にガチャガチャを回してみた。
出てきたのは。
スト2のザンギエフ!
まぁザンギエフオンリーのガチャガチャをやったんだから当たり前である。
幼い頃から大好きなガチャガチャ。
三つ子の魂百までと言う言葉があるが50の今でも大好きだから本当に100までやっているかも知れない。
そんな事で今回のテーマは1970生まれの俺が3歳の位の頃どんな時代でどんなガチャを回して来たのか紐解きたい。
思い出そうとしたが20円だった事しか思い出せません!
調べてみるとバンダイが参入してくる頃までは版権とか無法地帯で何でもありだった様です。
こんなんあったなぁ!w
他にもスライムとかバイ菌軍団とかまこと虫とか!w50歳の誕生日にガチャガチャを回してみたお話。3つ子の魂100まで ?|須賀怒(スカッド)
そんな中でも自分が小学校入学位の頃にスーパーカーブームが到来します。
子供達は車体に色々な加工を施しボールペン(カッチンペン)を使いレースをしたり落としあいをしたりしました。
しかしそれよりも俺の心を奪ったのは。
ウルトラマンの怪獣消ゴムである。
当時風呂無しの貧乏生活を送っていた俺は銭湯代を誤魔化し家の水道で体や頭を濡らし入浴偽装して洗面器にガチャガチャを入れて帰宅していました。
そのくらい欲しかったのだ。
そもそも怪獣にターゲットを当てた事が嬉しかった。
初期の頃はやはり20円でトントン相撲も出来ない位に細くて曲がって入っていた。
少し大きめなカプセルに入ってるのが。
ウルトラマンとバルタン星人!
胸にはシルバーのスプレーが!
当時での当たりって奴だ。
ガチャガチャの機械は横から中身が覗けるのだが、ガチャガチャを入れるオジサン達は機体を斜めにして脇の見える場所にさりげなく当たりを入れていたんだよね!w
気付くとバンダイのガチャガチャはガシャポンと名乗り100円時代が到来しまいした。
その頃には自分は糞みたいにプロレスが好きになっていてその後に訪れたガンダム消ゴム、キン肉マン消ゴムにも興味を示しませんでした。
しかし子供が産まれてから子供にガチャガチャを回してあげる日が来ました。
そしてその頃のガチャガチャは更に進化を遂げていたのです。
もうフィギアじゃん!w
俺の方が夢中になっちゃったよ!w
今でもガチャガチャを回して出てくる瞬間的のワクワクを体感すると銭湯代を誤魔化して20円を入れた頃の気持ちを思い出すのです。
もう一つガチャガチャでの想い出を。
自分は北海道に親戚がいて小学生の頃はよく泊まりにいってました。
従兄弟の家はお金持ちで子供部屋は2人で16畳。6畳に家族3人の我が家よりも広い部屋でした。
そんな従兄弟にドラえもんの消ゴムをあげた事が有りました。従兄弟の母親が教育熱心でガチャガチャみたいなくだらない物は買って貰えなかったのです。
だから従兄弟は凄く喜んでたのですが北海道を後にする直前に母親がそれら全てを
「うちの子達にはこういう物は必要ないから。」
と返されたのです。
自分だけでなく両親まで否定されている気がしました。実際に自分の父親は母方の親戚からよく思われておらず自分はそいつの息子として差別はされねど区別はされていました。
あの時の気持ちは今でも忘れられません。
ガチャガチャは風呂も電話も無い、電気やガスが止まる様な家に産まれたお金の無い俺でも20円で夢を見る事が出来た。
そんな存在だったのです。
皆さんもたまにはガチャガチャでも回してみてはいかがでしょうか。