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現代は「自己搾取社会」?『疲労社会』ビョンチョル・ハン

本日紹介するのは、韓国出身でドイツを拠点に活躍する哲学者・文化研究者ビョンチョル・ハンの著書『疲労社会』です。
フロイト以来の精神分析や哲学・社会論を批判的に取り上げつつ、私たちが「自由」を過度に謳歌しているがゆえに、むしろ自己を搾取してしまうパラドックスを鮮やかに描き出す一冊といえます。

本書は先行研究・理論への批判や概念の横断的な議論が繰り返され、また「一が全」的な論調も入るため、全体として難解かつ断定的に感じられる部分があります。そのため好き嫌いが出やすく、人によっては読みにくさを感じるかもしれません。
しかし、上記をふまえて腰を据えて読めば、ビョンチョル・ハンが提起する「現代におけるバーンアウト問題」、「自由に見せかけた自己搾取」などは、私たちの日常に根強く存在する課題を鮮明化し、深い思考を促してくれるはずです。

以下では、まず「どんな人におすすめなのか」を挙げ、本書の主張の核心部分を3点にわたってまとめた上で、そこから得られる示唆を整理します。
ビョンチョル・ハンの世界観に直面すると、我々が当然に思っている“自由”や“自律”が実はどのような落とし穴を孕んでいるか、改めて振り返るきっかけになるでしょう。

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どんな人におすすめ?

  • 「自己成長」や「スキルアップ」疲れを感じる方

  •  SNSやネットの世界で“常にオン”状態が続いている方

  • 「自由競争」「成果主義」に追い込まれている方

  • 精神分析、哲学・思想に興味のある方

  • 「新型うつ」や「バーンアウト」など現代のメンタルヘルス問題に関心がある方

本書目次

序 疲れたプロメテウス
精神的暴力
規律社会の彼岸
深い退屈
活動的な生
見ることの教育学
バートルビーの場合
疲労社会
燃え尽き症社会

本書のまとめ

1.「禁止」の時代から「自由」の時代へ

まず、ビョンチョル・ハンは、産業革命等に端を発する19世紀を、宗教や社会制度などによって人間が規範的な行動をするよう律され、道具として使われた「規律社会」、「禁止による抑圧の時代」と説きます。
そして、当時の神経症やその理論化を推進したフロイト的な考え(超自我など)は、こうした「〜してはいけない」という規範的・権威的な言葉によって個人を縛り、抑圧の結果として引き起こされていた、と述べます。

そして、現代では、そうした「禁止」「規律」の時代はすでに終焉を迎え、代わりに「自由」による「過剰な自己強化」の時代が到来したと主張します。これは、現代社会における「何でもできる」「自分をもっと発揮しろ」「自己実現」といった肯定的なメッセージへと置き換わりました。

一見、解放的でありポジティブに見えるこの「自由」は、実は従来の抑圧に劣らない束縛力を持つとハンは言います。なぜなら、外からの命令形ではなく、内面化された「もっと頑張れ」という声が際限なく自己を追い立てるからです。従来は「抑圧」によって生まれた神経症が、現代では「自由」によってバーンアウトやうつをもたらすという逆説的な構造が生まれている、というのがハンの第一のポイントです。

2.「否定」から「肯定性への過剰」へ――免疫システムの例

そして、こうした社会を支配する考えの変化をもとに、個人の内面で起こる問題も変化していきます。

旧来の「禁止」の世界においては、「他者や外部のものを拒絶する」否定性のシステムが社会や個人を守っていた――つまり、ある種の境界やタブーを設定し、そこを超えてくるものを排除することで秩序や自我を保ってきた、といいます。これを彼は「免疫システム」に捉え、ウイルスや細菌といった「否定的な物質」を抗体によって排除する例えで論じています。

一方で、自由を前提とする現代は、「肯定性が過剰になっている社会」として描写します。現代は、他者との境界を溶かし、「受け入れよ」「ポジティブであれ」というメッセージがあふれるあまり、否定的な要素を消し去る方向へ突き進んでいるといいます。
つまり、肯定的な物質であるがゆえに、抗体といった「免疫システム」が機能せず、あらゆるものを肯定的に取り込むことが良いとされるがゆえに、結果的に自己を守れなくなる。これをハンは、先ほどのウイルス⇔抗体に対するメタファーとして、がん細胞に例える点は秀逸です。

このような、社会学的・精神論的な意味での「境界喪失」あるいは「過剰な肯定性」の帰結として、個人は「他者に拒絶されるのは自分の努力不足だ」「できないのは私の問題だ」とすべてを引き受け続け、際限なく自己啓発や労働投入に走ってしまいます。

結果として、ストレスや疲労が増幅し、自分自身を疲弊させる構造がそこに生まれます。これこそがハンがいう「肯定性への過剰」のリスクであり、私たちの精神を破綻へ導きかねないと警鐘を鳴らしているのです。

3.バーンアウト社会とハイパーアクティビティ

これらの帰結として、ハンは現代社会を「バーンアウト(燃え尽き症)社会」と呼びます。私たちはスマートフォンやSNSで常時オンの状態が可能となり、仕事や趣味だけでなく、人間関係まで“常に走り続ける”、「ハイパーアクティビティ(過剰な活動)」状態に陥っているといいます。

ハンいわく、こうしたハイパーアクティビティは「自由の名のもとで進んでいる」からこそ厄介です。誰かに強制されているわけではないので、一見すると自分の意志でやっているように見える。しかし実際には「もっとできる」「もっと成功できる」「昨日の自分より優れてなければいけない」という声が自分のなかで肥大化し、それに応えようとするうちにエネルギーを消耗し尽くしてしまう。これを著者は「自己が自己を搾取する構造」と表現し、それを私たちは「自由」だと疑わずに受け入れてしまうのだ、と批判するのです。

これにより、「自分は努力したのに報われない」「もっと動くべきなのに動けない」という自己矛盾に苛まれ、バーンアウトやうつ、慢性疲労などに陥る人々が増えていきます。ハンが見据えるのは、単なる個人の問題にとどまらず、社会全体がこうした自己搾取を生産性向上のために黙認・奨励しているという構造そのもの。そこに本書の苛烈な批判精神が宿っています。

本書から得られる気づき

1.社会システムの変化にともなう精神病の変化

ビョンチョル・ハンの主張は、現代の精神医学が立脚しているフロイトの精神分析などのアプローチが、「禁止による抑圧」に基づく時代遅れなものであり、現代における「バーンアウト」やそれに伴う抑うつが、フロイトの理論では説明できない新たな精神病である、というものだと理解できます。

私的には、従来の「フロイト的」なうつも当然現代で引き続き多発しており、それ自体を否定することには賛同しかねるものの、現代において「うつ病」として括られつつも多様化するその要因や症状を、社会と個人のインタラクションによって位置付けることで、より機能的に分類し理解することができるのではないでしょうか。

バーンアウトについては、以前紹介した『なぜ私たちは燃え尽きてしまうのか』でも触れましたが、「理想と現実のギャップ」「仕事の神聖化」などによって1970年以降に生まれてきた症状・概念とされています。

かつては外部の権威や規範を内面化し、その圧力にさらされることで神経症を患う人が多かった。しかし、社会が「自己責任」「自己実現」を強調するようになるにつれ、「自分ならまだできるはずだ」「もっと自分を高めるべきだ」という無限に近い要求が自己のなかに生まれ、抑圧されるものが消えた代わりに“やり過ぎ”による疲弊が増幅している、という意味で、本書とも通じるものがあるでしょう。

また、「新型うつ」とも関連づけて説明できるかもしれません。
「新型うつ」とは、かつてのメランコリー型うつとは異なり、自分に合わない場面や仕事があると極端に気分が落ち込み、一方で趣味や好きなことには積極的というような型です。
これは、現代社会特有の「自己選択」を背景に、社会システム自体が「あなたの自由を全面的に応援しますよ」と言いながら、実際には成果や効率を求め続ける構造により、「やりたいことが見つからない」「生や仕事に意味を見出せない」構造に個人をおいやり、こうした状態を生み出しているのかもしれません。


2.ハイパーアクティビティ(=ドーパミン地獄)からの脱却と観想的な生

こうした「現代の心の病」に陥らないためには、ハンが「ハイパーアクティビティ」というような、常時スイッチオンであらゆる刺激を求める「ドーパミン地獄」とも言えるような状態から脱していくことが必要です。

それが、本書でも一部(批判も含めて)触れられている、仏教における「無為」や「禅定」、アリストテレスの「テオリア(観想)」、カントの「思索」、といった行為です。これらはいずれも、行動や効率(=ハイパーアクティビティ)とは別の軸で自己を見つめ、静けさのなかで世界を理解する姿勢を指します。

これらの行為を現代の生活に取り入れるためには、いくつかの具体的な方法が考えられます。たとえば、1日の中で意識的に「何もしない時間」を設けること。散歩瞑想など、結果や効率を求めずに過ごすひとときを持つことです。その際に、スマートフォンやデジタル機器を一時的に手放す「デジタルデトックス」を合わせることも有効でしょう。

また、カントが強調した「思索」の姿勢を実践するために、日記を書いたり、自分自身の感情や行動を内省する時間を持つこともおすすめです。
こうした行為は一見単純ですが、心の安定を取り戻し、ハイパーアクティビティに陥らないための強力な手助けとなります。

私たちはしばしば「自己実現」「自分の可能性を発揮すること」こそ最高の幸福、と信じ込み、休息やスローダウンを怠惰とみなしてしまいがちです。しかしハンの議論を鑑みると、そうした「自己実現地獄」から一歩身を引き、意識的に「無為の時間」を確保するほうが、豊かでバランスの良い生き方に繋がるといえるのではないでしょうか。

生産性や何か(特に外的な成果)を成し遂げ続けることだけが人間の価値ではなく、内面的な円熟をめざすこうした「観想的な生」こそ、現代人に必要とされる行為なのかもしれません。

おしまい。


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これまでのキャリア経験(大企業・戦略コンサル・スタートアップ)を通じた示唆や、性格理論・成人発達理論・自己実現・自己超越などの知見をもとに、キャリア・ライフコーチングを行っています。
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