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hyper-β土鍋で空中浮遊?! 対にした瞬間に「意味」が出現する -レヴィ=ストロースの『神話論理』を深層意味論で読む(25)

クロード・レヴィ=ストロース氏の『神話論理』を意味分節理論の観点から”創造的”に濫読する試み第25回目です。

前回の記事はこちら↓です。

これまでの記事はこちら↓でまとめて読むことができます。
もちろん、これまでの記事を読まなくても、今回だけでもお楽しみ(?!)いただけるようになっているのではないかと思います。


鳥たち/羽の色が多様であることの起源

『神話論理1 生のものと火を通したもの』419ページから、「鳥たちの合唱」を読んでみる。このパートの主人公は「」である。

鳥にはいろいろは種類がいる。
カラス、ハト、キジバト、スズメ、ヒヨドリ、カモ、カワウ、サギ。
鳥たちはそれぞれずいぶんと違った羽根の色、模様をしている。

”同じ”鳥なのに、どうしてこれほど”ちがう”羽根の色をしているのだろうか?

同じ、なのに、ちがう
ちがうのに、同じ

差異と同一がどちらがどちらか不可得になっている。こういうことを神話の思考が見逃すはずはない。

タイトルの画像は「鳥の羽根をモチーフに、中央に二重の四項関係を配置した曼荼羅っぽいものを描いてください、どうかお願いします」とAIに命じて描かせた…、否、描いていただいた図像である。

https://beta.dreamstudio.ai/ で生成

不可得
掴んだかと思って手の中をみれば、
そこに姿がないもの

『神話論理1 生のものと火を通したもの』421ページ、M170を見てみよう。

村の若者たちが深夜まで騒音を立てていた。→β1

その騒音に対して「空」が腹を立てた。空は、魔法の羽根を一枚落とした。→β2

若者たちは羽根を掴もうと試み、ひとりが成功したが、羽根を掴んだ若者は空中に舞い上がった。→β3

空へと連れ去られる彼を引き止めようと、彼の足を仲間たちが手で掴むが、羽根はどんどん舞い上がる。若者たちは順々に浮かび上がる仲間の足をつかみ、鎖のように連なって上がっていった。→β4



人間の鎖が完全に地面を離れると、羽根は逃げ、若者たちは掴まるところがなくなり、墜落して全員死んでしまった。→Γ



村にはひとりの若い女性が残っていた。この女性から”奇跡を行う子ども”が何人も生まれた。彼らは家族の敵討ちをすることにした。
子どもたちは再び空を挑発して怒らせた。
空はまた、羽根を落としてきた。
子どもたちは羽根をしっかりと捕まえた。そして空をめぐる大旅行を企て、四つの方位から吹く風と結婚し、風の制度を定めた。
四方位の分節Δ×4

『神話論理1 生のものと火を通したもの』p.421、M170

方法として、神話の概略にテキストで示したところに、図1に示すβ項、Δ項、そして”β項の振れ幅をもった動き”を示すΓを記入していく。

図1

まず「騒音を立てている若者たち」をβ1と仮に置く。2でも3でも4でも良いのだが、話に登場した順番で1とする。次に、「羽を落とす空(あるいは空が落とした羽)」をβ2と置こう。

このβ1とβ2は、前者が後者を怒らせるという点でわかりやすく対立している。またβ1は地上から空へと騒音を立ち上らせる者であり、β2は空から地上へと羽をハラハラと舞い落ちさせる者である。両者は空と地上の”あいだ”で動きー作用を引き起こすものであるが、下から上へ、と、上から下へ、とその運動の方向が真逆に対立している。

次に、「空中を舞う羽を掴み、空へと舞い上がる若者」をβ3と置こう。この若者はβ1と同じ者であるが、やっている動作(運動)がβ1とは異なるので、別のβ項でもあることになる。

次に、「仲間の足を掴み、一列の鎖のようになって空へと登っていく若者たち」をβ4と置こう。この若者たちもβ1と同一人物たちであるが、やっている動作(運動)がβ1と異なるので、別のβ項でもあることになる。

ここまでで四つのβ項が揃ったことになる。
ここで図1を少し描き直してみよう。四つのβ項目は、それぞれ互いに別々に異なりながらもしかし同じである。この異なりながら同じで、同じでありながら異なるという四β項の関係をより強調するために、図1を改め、下記のようにしてみる。

この神話では、β項は異なる三つの動き(運動)をする若者たちと空(と空の動きとしての羽の動き)であるが、この四者のうちの二項が順番にペアを構成しつつ、どちらがどちらか区別できないような一つになった動きを演じる。β1若者はβ3若者、β4若者と異なりながら同じであり、β1=β3はβ2羽と異なりながら同じ動きをするし、β1=β3とβ4は鎖状に連なることで、それぞれ異なりながらも、連動してひとつの同じ動きをする。β項たちは、見事に、どれがどれだか「不可得」になっている。

以上で互いに不可得な二者関係×4の四β項の関係が生じる。

神話はここからΔ項の四項関係を分節しなければならない。
なぜなら神話は、私たちが当たり前のものとして慣れ親しんでいるこの経験的世界の区別の体系・差異の体系の「起源」を語るものだからである。

ここで、β×4の互いに「不可得」な付かず離れずの関係を破壊・中断・断絶させ、β項を半分に切ったり、潰したりすることで、Δ×4を作り出す。先ほどの神話では、端的にβ羽がβ若者たちから分離する。そしてβ若者たちは死んでしまう。

人間の鎖が完全に地面を離れると、羽根は逃げ、若者たちは掴まるところがなくなり、墜落して全員死んでしまった。

四β項の関係を分けつつ繋いでいたのが「掴むー掴まることができること」という動きであったのに対し、四β項の関係をバラバラにしてβ項を破壊するのは「掴むー掴まることができない」ということである。

ここに「掴むー掴まることができること」と「掴むー掴まることができない」との対立があり、これを両極としつつ、その間で掴みにくいものをかろうじて掴むという「振れ幅」をもった動きをみることができる。
この動きのことを「Γ」で示す。
上の図2で言えば、Γは、βがΔへと分割・圧縮・変身する動きを示している。

ではこの神話におけるΔ四項はなんだろうか。それは「四つの方位から吹く風」である。

村にはひとりの若い女性が残っていた。この女性から”奇跡を行う子ども”が何人も生まれた。彼らは家族の敵討ちをすることにした。
子どもたちは再び空を挑発して怒らせた。
空はまた、羽根を落としてきた。
子どもたちは羽根をしっかりと捕まえた。そして空をめぐる大旅行を企て、四つの方位から吹く風と結婚し、風の制度を定めた。
>四方位の分節Δ×4

子どもたちが羽をがっちりと捕まえる。こうして「羽」はβ項ではなくなり、人間の手の中の道具、人間に従う、人間の世界の一部になった

そして人間は、東西南北、ぞれぞれの方角から吹く四つの風と結婚する。

何気なく読むと、どうして唐突に「四」などという数字がでてくるのだろう、しかもそれが唐突「結婚」とはどういうことか?と訝しみたくなるところであるが、これはΔ項は最小構成で必ず四つセットになざるを得ないからである。四つにはっきりと分かれる。しかし分かれながらも、完全にバラバラになってしまってはダメで、組み合わさっている必要がある。だからこそ「結婚」なのである。

四Δ、四β、二重の四項関係

さて、βとかΔを唐突に持ち出してしまい何が始まったかと思われたかもしれないが、これはレヴィ=ストロース氏の『神話論理』の世界で迷子にならないために、これを書いている私が手がかりとしている図式である。

レヴィ=ストロース氏の世界を、読み手が勝手な図式に置き換えてしまってよいのか、という批判もあるだろうが、どうか我慢してほしい。なぜなら、この「鳥たち…」のパートは『生のものと火を通したもの』のクライマックスであり、非常に重要な箇所であるとともに、読むことに大変な困難が伴うところでもある。

レヴィ=ストロース氏はたたみかけるように複数の神話を列挙しながら、一挙に神話の「論理」の尻尾を掴もうする。しかしそれは掴んだかと思って手の中をみればそこに姿がないもの、とでも言おうか。

本記事では、読みの手がかりとして、八項関係の構造図を利用する。

図1

これは空海の『吽字義』の記述をヒントに胎蔵曼荼羅の中台八葉院を真似て、図式化したものである。

現代の構造主義の文献を読むために空海の『吽字義』を援用するとは、いったいどういう風の吹き回しか、と意外に思われるかもしれない。

しかし、この両者を接触させることは、AIが並の人間を凌駕する勢いで言葉を紡ぎ出した今日に、われわれ人類がその論理的思考のもっとも創造的な部分を保ち続ける上で大きな力を与えてくれるはずである。

このあたりの話については、哲学者 清水高志氏による2023年の新著『空海論/仏教論』が非常に参考になりますので、ぜひともご参照願います。それこそ「常識」を徹底的に覆す、圧倒的な「知」の世界の最深部にダイブすることができます。

これに関して、下記の記事もぜひ参考にどうぞ。


さて、続けて神話M171を見てみよう。

β土鍋で空中浮遊→足が取れてΔ分節

3人の子どもたちがいつも夜中まで遊んでうるさくしていた。→β1
ある日、空から土鍋がふわふわと降りてきた。→β2
土鍋には花がいっぱい入っており、子どもたちはこれを取ろうとした。
しかし、子どもたちが腕を伸ばせば、土鍋は反対方向にふわりと逃げる。→β3
子どもたちは土鍋に乗って、花を取ろうとした。
子どもが乗った瞬間、土鍋は空へと舞い上がり始めた。→β4

驚いた母親が子どもを取り戻そうと一人の足を掴むが、足は折れ(取れ?)、土鍋はそのまま天に登っていった。→(Γ)

足が折れ(取れ?)たところから血が流れ、その血が当時はまだ白一色だった鳥たちの羽を赤や、様々な色に染めた。→Δ

『神話論理1 生のものと火を通したもの』pp.421-422 M171

騒音を立てる人間たちと、空からの罠。
先ほど羽を掴む話とよく似ている。

しかし、軽そうな羽が、重そうな土鍋になっている。

軽い/重い

重そうな土鍋が空中浮遊するとは、なんともUFO感のある話である。

羽が宙を舞うというのはよくあることであるが、経験的には宙に浮くことなどない重たい土鍋が空に浮かんで、掴もうとする手からするりとすり抜けるとは、「重さ/軽さ」という経験的に極めて自明な対立関係を短絡してどちらか不可得にしてしまう点で、いかにもβ項らしいβ項になっていると言える。

しかもこの土鍋、右から捉えようとすれば左に逃げ、左から捉えようとすれば右に逃げる。まさに正弦波として記述できそうな脈動。β項はΓで示される移動、変身、変形の動きによって、Δ項と、そして他のβ項と、非同非異の関係をなす。

このβ項が破壊され、Δ四項の分節へと至る。先ほどの羽の神話では、空に浮かび上がった人間たちは落下してしまうのであるが、今回は落下せず、その代わり、足をもぎ取られる憂き目にあう。これだけ聞くと恐ろしい話であるが、体が二つに分離するというのは、まさに分離、区別、分節、分かれていなかった事柄がが「分かれる」ということを端的に象徴している。

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そしてこの足の傷から落ちてきた血の色で、鳥たちの羽の色のちがい=差異=分節された体系が始まった、となる。鳥の羽の様々な色の区別というのがこの神話の場合のΔ項である。

Δ項とは、私たち人類が日常的に感覚できる経験的なあれこれ、互い異なるものとして区別され、その区別の境界がはっきりと固まっているかにみえるあれこれのモノたちのことである。


土鍋で空中浮遊→足が取れる

M172を見てみよう。

人間と鳥が同盟し、あらゆる生き物を襲う大きな水へびに戦いを挑んだ
→鳥/人間の同盟=β結合

人間の兵士たちが地上戦でないと活躍できないと渋る中、鵜が水に飛び込み、水の底で大水へびに致命傷を与えた。
→地上から水中へのβ移動

人間たちは歓喜し、水へびを引っ張り上げ、皮を剥いだ。鵜は恩賞に皮を要求したが、人間たちは渡すことを渋った
鵜は他の鳥たちとともに一斉に襲い掛かり、みなそれぞれへび皮の切れ端をくわえて飛び去っていった。
→同盟の崩壊=β分離


鳥たちは皮を分配した。それまで鳥たちはすべて地味な色だったのだが、水へびの皮の切れ端を手に入れた鳥たちは、みなそれぞれ、色を得た
鵜は最後に残った黒い皮でよいと言い、それ以来、黒くなった。
→Δ分離と対立関係の固定化

この神話も、人間と鳥という異なるものが一緒になったり、地上と水中という経験的に対立する二極を短絡する動きがあったかと思えば、人間と鳥が仲間割れし、鳥たちが飛び去ってしまうというβ四項が分かれつつ不可分に密着したり、また分離したりする脈動を描いている。

そしてこのβ四項の分離と結合の脈動が止まった時に、いや、止まっていないのだが、動いている様を見なくても良い状況ができた時に、経験的な世界の安定的固定的に分節されているかに見える事柄、即ち鳥の羽根の色の差異というものが起源したとされるのである。

この神話は、無分節に対する”分節していること”の起源を語っているようである。

無分節と分節の区別(分節)こそ、人間にとっての意味ある世界の始まりであり、図1の八項関係が一挙に示現することそのものである

人と鳥の同盟/地と天の同盟=短絡

人間と鳥が同盟するとは、地上のものと天空のものが一緒になるということである。自在に空を飛ぶことができない人間の身体+心(識)にとって、天/地の区別ほど自明かつ堅固なものはない。

天/地

天と知は、図1でいえばΔ項である。

ところが鳥と人間の同盟においては天のものでもなく地のものでもない、天 /地未分、天/地不可得な事柄が分節される。これを仮に図1ではβ項と呼んでいるわけであるが、そう呼ばなければならないというものでもない。

M173を見てみよう。

ある男の子がハチドリを狩ることに熱中していた。毎晩遅くまでハチドリ狩に出かける息子に母は厄災を予感し警告したが、息子は聞かなかった
>過度な鳥猟=これも天地の過剰結合→β結合

ある日、息子は水辺で様々な色をした小石を見つけた。
>水辺=β結合

それを拾い集めて穴を開け、首飾りにした。→石の首飾り→人工/自然不可得 >β結合

首飾りを首にかけるやいなや、彼はヘビに変身した。ヘビは木の上に身を隠し、のちに大きく成長し村人たちを襲い食うようになった。
>人間→蛇:変身→β結合
>樹上→β結合
>人喰い→β結合



ある英雄がヘビ退治に向かう。英雄は鳩の助けを借りるが負けそうになる。そこにたくさんの種類の鳥たちが、仲間ごとに群れをつくって助けにくる。それでもヘビには太刀打ちできなかった。今度はフクロウの群れが援軍につく。フクロウは鳴き声をあげてヘビに襲い掛かり、両目をくり抜く。他の鳥たちがトドメを指し、腹を開き、食べられたものたちを解放する
>鳥と人間の同盟からの分離(蛇の死と、腹の中からの解放)

鳥たちはそれぞれの種類ごとに別々の方角に分かれて飛び去る。
雨が降り、ヘビの死骸は空のになる。その時以来、いつも虹があり続けるようになった。
>Δ分離

最後に「虹」である。下記の記事に書いたように、虹はΔ項の代表選手ともいうべきものであった。

この神話も、無分節に対する”分節していること”の起源を語っているようである。最終的に分節されるのは下記の事柄である。

1)複数の色に分かれている虹
2)異なる方角に分かれていった鳥たち
3)怪物に食べられたのに、その腹の中から再び出てくる(分離してくる)人々。

化物の腹を裂くと、食べられた人たちが生きて出てくる。このモチーフは「赤ずきん」の話にも通じるものがある。

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この分節が分かれる前には、分離すべきなのに結合しようとし、結合すべきなのに分離しようとする、結合と分離の間で振幅を描く脈動が描かれる。

1)言葉を聞き入れないこと(文化の自然化):警告を無視するという”コミュニケーションの拒絶”も経験的人間的”付かず離れず”関係を崩壊させる。
2)自然の石の人工物(首飾り)への変換(自然の文化化)
3)人間からヘビへの変身と、変身の舞台となる人界と非-人界の中間領域「水辺」と「樹上」
4)元々人間でありながら人間を食べるヘビ。人間と鳥(空の者)の同盟。

神話によって、β四項の分離と結合の脈動を描く方で饒舌になるものと、Δ四項の分節の過程に饒舌になるもの、分節し固まったあとのΔ四項の姿を描写することに饒舌になるものとがある。

穴の空いた水漏れ土器

造物主が河岸を旅していると、小屋があった。→β結合
小屋の周りには無数の水壺があり、老婆と子供が住んでいた。→β分離

造物主は水を分けてくれるよう老婆に頼む。老婆は好きなだけ飲んで良いと応じる。しかし、造物主は老婆に冷たい水を汲みにいくよう命じる。
→β分離

造物主は老婆の水壺にいくら汲んでもいっぱいにならない呪文をかける。
→β結合

老婆が水汲みに手こずり、戻らないうちに、造物主は子供を捕まえ食べてしまった。→β結合



造物主は呪文を解き、眠ってしまう。水壺はいっぱいになる。→β分離

老婆は戻り、子供を食べられたことを知り、激怒する。
この老婆はミツバチであった。老婆は寝ている造物主の口や鼻や目を蜜蝋で塞ぐ

目を覚まして驚いた造物主は鳥たちに助けを求める。
蜜蝋は固まり、簡単には壊せない。
キツツキだけが蜜蝋に穴を開けることができたが、穴は造物主の体まで到達してしまい血が吹き出す。この血が鳥たちにかかる。

『神話論理1 生のものと火を通したもの』p.427 M175

河岸、水辺は、地上と水界の区別があいまいにある中間領域である。そうしたところでβ四項の分離と結合の脈動が動き出す。「さるかに合戦」もそうである。

また壺のような土器も、地上に水界を持ち出したり、あるいは水を火にかけて沸かしたりすることができる、中間的で媒介的、変容と転換の場である。土器においてもβ四項の分離と結合の脈動は動きやすい

この神話の場合、土器が魔法にかけられて、マジカルに穴が空いた、割れた状態にされる。その裡に水を保つことによって、水界と地上を結合しつつ適切に分離するのが土器のすごいところなのであるが、このいったん結合させながら”分離する”働きを止められてしまう。

分離がうまくいかなくなっているところで、過剰なβ項の結合が起こる。
人喰いである。老婆と子供を分離した後で、この子供を食べてしまう。

しかし、ここで土器にかけられた魔法が解ける。

土器は水を保つように戻り、過剰に結合したものを、また分離することができるようになる。ここでおもしろいのは老婆は「蜜蜂」であり、蜜蝋を駆使して穴を塞ぐことができるというくだりである。

蜜蝋のようなものは、ちょうど欠けた土器の水漏れを塞ぐことができるように、対立する両極の間を結合したまま開きっぱなしになってしまった穴を塞ぐ、つまり通路を絶って分離することができる。

此場合、蜜蝋は、β結合からβ分離への転換を象徴している。
穴の空いた土器と蜜蝋。ここからΔ四項がかっちりと分節された世界が生まれ始める。
蜜蝋の蓋はキツツキによって壊される。ここで再びβ分離からβ結合へと急転換するわけであるが、このとき造物主に空いた「穴」から、色とりどりの色が、つまり最終的に確定したΔ区別の体系が起源するわけである。

実にロジカルに、よくできた話である。

シンタグマ的連鎖をパラダイム集合に変換する

ここにきて、レヴィ=ストロース氏は神話の論理の核心に踏み込んだ分析を行う。

「この神話の解釈には[…]困難がある。シンタグマ的連鎖つまり物語の展開だけで見ていこうとすると、その展開が一貫性に欠け、思いつきで作られているように見える。」

クロード・レヴィ=ストロース『神話論理1 生のものと火を通したもの』p.428

シンタグマ的連鎖。つまり名詞のラベルを貼り付けられたあれこれの事柄が、Δ1→Δ2→Δ3→Δ4…と、つぎつぎと連鎖していく。

壺、水汲み、穴を開ける呪文、老婆、子供、子供を食らう化物、ミツバチ、穴を塞ぐ蜜蝋、キツツキ、出血、鳥が赤く染まる。

たしかに、これらの事項たちがただそれ自体として一列に並ぶ様を眺めていると、その配列に一貫性がないように見える。

Δ→Δ→Δ→Δ→Δ→Δ→Δ→Δ→Δ…

「この部分の目的はただたんに、トリックスターの役割が人を食う怪物であることを示すだけであろうか。シンタグマ的関係だけをみていると、そう結論づけるほかないように思えてくる。だがわたしがこの神話にこだわっているのは、構造的方法のもっとも重要な規則のひとつを説明するためである。」

クロード・レヴィ=ストロース『神話論理1 生のものと火を通したもの』pp.428-429

この「だが」がおもしろい。

構造的方法の重要な規則。
即ち、本記事で使っている図式(図1)でいえば、物語の最後に並ぶ四つの項(Δ)たちが互いに他と異なるものとして区別されつつペアとして結びつくためには対立する二つのΔの両方と置き換え可能なβ項がこれまた四つに分かれたり分かれなかったり、付かず離れずに脈動する動きが必要なのだということである。

図1

このβ脈動的なことをレヴィ=ストロース氏はどのような言葉で説いていくのか。

シンタグマ的連鎖重ね合わせることのできる断片に切り分け、それらの断片があるひとつのテーマの、それと同じ数の変形であると証明することである」

クロード・レヴィ=ストロース『神話論理1 生のものと火を通したもの』p.429

シンタグマ連鎖を”重ね合わせることができる”断片に切り分ける。

Δ1 / Δ2 / Δ3 / Δ4

切り分けて、

Δ1
||
Δx

重ね合わせる。

この断片を、”ひとつのテーマ”の”同じ数の変形”とみる。

この断片Δは、「テーマ」の中にある。
テーマというのは、Δ1→(β1)→Δ2→(β2)→…→Δn(βn)→Δ1→と項があるひとつの事柄から他の事柄へと変身変容していくプロセスであり、最小構成でΔ1→(β1)→Δ2の三項、あるいはβが顕在化しないままのΔ1-Δ2二項の関係で記述されることとしよう。

テーマ1) Δ1-Δ2
テーマ2) Δ3-Δ4

ここでテーマとテーマの間にも「変形」の関係がある。
つまり、テーマ1)=テーマ2)である。

Δ1-Δ2
||

Δ3-Δ4

レヴィ=ストロース氏の文章の断片をわたしという読み手が勝手な図式に無理に嵌め込んでいるように見えるだろうが、もう少しおつきあい願います。

レヴィ=ストロース氏は上の方法を「シンタグマ的連鎖をパラダイム的集合と取り替える」ことであり、シンタグマ的「連鎖をパラダイム的集合に組み入れる」ことであると敷衍する。

シンタグマ的連鎖: Δ1 / Δ2 / Δ3 / Δ4

パラダイム的集合β1=β2=β3=β4

に(1)取り替える、(2)組み入れる。

  • (1)Δをβに「取り替える」
    Δ1=β1=β2=β3=β4
    Δ2=β1=β2=β3=β4
    Δ3=β1=β2=β3=β4
    Δ4=β1=β2=β3=β4

  • (2)Δをβに「組み入れる」
    Δ1=β1=Δ2=β2=Δ3=β3=Δ4=β4=Δ1

いかがだろうか?

シンタグマ的連鎖、パラディグマ(パラダイム)的集合、という用語を、Δ、βの八項関係に置き換えてみることも、あながち間違っているとも言えないのではないか?

レヴィ=ストロース氏は次のように続ける。

パラダイム的集合が(シンタグマ的)連鎖の断片で作られていようと、連鎖がパラダイム的集合の中に位置付けられようと、原理は同じである。別々に見ると確実な意味をもたない二つのシンタグマ的連鎖あるいは同じひとつの連鎖にある二つの断片が、両者が対立するということのみで、ある一つの意味を獲得する。対にした瞬間に意味が出現するのであるから、それ以前には意味は存在せず、個別に考察していたときには、個々の神話や神話の断片のなかに不活性な余剰のようにして、そこにあったのだが隠れている。」

クロード・レヴィ=ストロース『神話論理1 生のものと火を通したもの』p.429

上の引用にある「両者が対立するということのみで、ある一つの意味を獲得する」という箇所に注目していただきたい。

そして「対にした瞬間に意味が出現する」にも。

対立させ、対にした瞬間に意味が出現する。

対立させ対にすること。

区別しつつペアにすること、分けつつつなぐこと、分離しつつ結合すること。

これこそレヴィ=ストロース氏が「構造」という言葉で示現させようとしたダイナミックな運動を規則的に脈動させる、もっとも基本的なアルゴリズムである。対立が「ある」というよりも、その手前で対立「する」、対立「するようになる」。対立しているともしていないともいえないところから、対立しつつありところへと動くこと。この「するようになる」という言葉の転換的媒介的性格を見落とさないようにしたい。

個々の断片、こちらの図式で言えばΔやβの位置を占める項ひとつひとつを、八項関係から取り出して、ひとつだけ眺めていても、いったいどういう「意味」があるのか、よくわからないし、決めようもない。

しかしある断片を、シンタグマ的連鎖に繋ぎ(つまりΔの四項関係のいずれかの位置に配置し)このシンタグマ的連鎖(Δの四項関係)をパラダイム的集合(βの四項関係)の周りにぐるりと巻きつけることで、

Δ1=/=β1=/=Δ2=/=β2=/=Δ3=/=β3=/=Δ4=/=β4=/=Δ1

という、二項対立関係の対立関係が対立した八つの項の関係が、八つの項が次から次へと非同非異の関係で異なりながらも同じ、同じでありながらも異なる関係で結び合い、変身・変形しあい、結合し、分離する、項と項がついたり離れたりする脈動がありありと見えてくるのである

神話論理はすごい

レヴィ=ストロース氏はさらに畳み掛けてくる。
このくだりは『神話論理1 生のものと火を通したもの』で神話論理がなんたるかがもっとも明快に明かされている一節だろう。

「意味は、いくつかの神話とか同一の神話の部分を同時に合体させるダイナミックな関係の中にあるのであり、この関係のおかげでこれらの神話および部分は、理論的存在へと昇進し、全体が同一の変形群に属する対立可能な対になる。」

クロード・レヴィ=ストロース『神話論理1 生のものと火を通したもの』p.429

この引用の主語に注目しよう。主語は「意味は」である。

意味は。

意味は、「部分を同時に合体させるダイナミックな関係の中にある」。
この「同時に」というのが非常に重要である。順番にではないのである。順番だと、それはただの(?)シンタグマ的連鎖、時間軸上での一列の配列になってしまうからである。だから同時に合体、と言わざるを得ない。

そして本記事で以前からひねりまわしているか下記の図は、これこそ「同時に合体」を表現しているものである。ちなみに、合体というが、合体ということは”同時に”合体する八項たちが分離することでもあり、分離と合体(結合)もまた同時なのである。そうして「全体が同一の変形群に属する対立可能な対」が出来上がる。

”同一の変形群に属する対立可能な対”、これを二項対立関係の対立関係の対立関係と言い換えてみると、下記の図が見えてくるのではないだろうか。

"対にした瞬間に意味が出現する"

この大変な一節のあと、レヴィ=ストロース氏は鳥の色の神話をさらに続けて分析する。M178をみてみよう。

バク、月

二人の兄弟が姉(妹)とともに誰もいなくなった小屋に住んでいた。
兄弟の片方がその娘を好きになり、正体を隠して夜毎一緒になった。
→β結合

もうひとりの兄弟が、彼女の妊娠に気づき、夜の訪問者の顔に木の汁でしるしをつけさせた。しるしで誰が相手か判明すると、犯人は姉(妹)とともに空に逃げた。
→β分離

空に着くと二人は大喧嘩し、男が女を押した。
→β分離

女は流星のように落下し、大地に衝突し、大きな音を立てた。彼女は地面に落ちるとバクに変身した。
→β→Δ変換

空に残った男は月になった
→β→Δ変換

もうひとりの兄弟は戦士たちを集めて月を矢で射落とそうとした。
アルマジロの矢が命中し、いろとりどりの血が流れ、地上にまで落ちて人々にも、鳥たちにもかかった。男たちは月の血を上から下にぬぐい、女たちは月の血を下から上にぬぐった。鳥たちは様々な色の血につかり、それぞれの羽の色を獲得した。
→Δ分離

インセストタブーをおかすくだりは典型的なβ結合の象徴である。
そして謎の妻問い夫に印をつけて正体を見破る。三輪山神話と同じβ結合→β分離のロジックである。

白黒が分かれながらもひとつにくっついたバクや、周期的に満月から新月へまた満月へと対立する両極の形態のあいだを往復する月は、β結合からのβ分離への転換、つまり脈動の振幅が最大化する方向を象徴し、いよいよそこからΔがでてこようかという規則的なβのΓ運動をも象徴する。

そして、鳥たちの色の差異が起源する。

次に、M179である。

鳥の巣あさり、宙ぶらりん→落下→分節

『神話論理』の冒頭に提示された「鳥の巣あさり」のモチーフからはじまり、鳥の羽根の色の違いが起源する話である。

仲の良い二人の老人が森で鷲の巣を漁りに行った。
即席のハシゴでひとりが木を登り、巣にたどり着いた。
下に残った老人が雛の様子を尋ねたのに対し、樹上の老人は侮辱する言葉を返した。
侮辱された老人は怒ってハシゴを壊していってしまった。
木の上に取り残された方は何日も飲み食いもできずスズメバチと蚊に刺される。
そこへ鷲が戻ってくる。
恐ろしくなった老人は木のてっぺんまでのぼり黙っていたが、鷲は彼に気づく。鷲は警戒し、別の木に移ってから老人にことの経緯を尋ねた。鷲は老人の話が滑稽で笑った。鷲は老人に少しづつ近づいて、もっと面白い話はないかと尋ね、老人はふたたび語った。

鷲は、ハシゴを壊して帰って行った老人を懲らしめてやろうと申し出る。鷲の羽の力で樹上の老人も鷲の姿に変身し、二羽で村まで飛んでいき、ハシゴを壊した老人をくわえて釣り上げた。

村の人々が矢を射かけるが、ハシゴ外し老人に当たるばかり。
村人たちは矢から垂れ下がる紐を掴んで、仲間を取り返そうとしたが、紐を掴んだまま空高く引き上げられ、ぶら下げられる形になった。

→β結合〜分離の脈動

その時、紐が切れて、人々は墜落し、広場に血溜まりができ、いろいろな内蔵が転がった。鷲は梯子外し老人を獲物として持ち去り、すべての鳥たちを招いて宴会をひらいた。それぞれの種類の鳥は、異なる種類の臓物を分け与えられ、それを羽に塗りつけてはそれぞれ異なる色になった。梯子を外した老人の血と胆汁と脳みそには全ての色があった。

この神話はβ四項の分離と結合の脈動を細かく反復しながら語っていく。

木をのぼること、梯子をつけたりはずしたりすること、言葉を侮辱に使うこと、蜂や蚊の”針”に刺されること、鷲と人間が冗談の言葉で仲良くなること、鳥が人間をくわえて空中にぶら下げること。

つぎからつぎへと、経験的対立する両極を短絡したり、分離したり、また短絡したり分離したり、β四項をひとつに収縮したり四つに分離したりする脈動が描かれる。

M180もみてみよう。

亀/鷲合戦

雌の鷲が樹上で雛を育てていた。
ある日、鷲は水面に浮かんでいた亀を捕まえようとしたが、亀は逆に鷲を水中に引き摺り込んだ。鷲は溺れて死んでしまった

残された雛の泣き声を聞いて、はじめに黒い鷲が、次に別の鷲がやってきて、世話をした。二羽の保護者は雛たちが重いものを持ち上げられるように訓練した。亀に復讐するためである。

雛たちが成長し、亀に挑む。
亀が水面で鷲を挑発する。
亀は身体中を鷲の羽で飾っていた。
成長した子供の鷲たちは舞い降りて亀を掴む。
亀は鷲たちを水中にひきずり込もうとするが、他の亀達が鷲の味方をし、鷲羽で飾ったカメを水中に押し上げた。
ワシはカメを掴んで巣に飛んで行った。



鷲は他の鳥達を招待して亀を食べる。
キツツキが亀の甲羅を破ると、中から赤や青や黄色の血や体液や脂肪が流れる。鳥たちは自分の羽を様々な色で塗った。

『神話論理1 生のものと火を通したもの』pp.441-44
 M180より再構成

樹上のものと、水面のものとの対決。
さるかに合戦である。

ただし、この神話の場合は「わるいやつ」が樹上ではなく水面の方に配置されている。樹上と水面、善と悪、この二つの対立を重ねる向きはどちらでも良いのである。重要なのは対立していることである。この対立する二項のペアのペアからなるΔ四項関係をつかずはなれずに結びつける適当なβ四項を見出せるなら、二つの対立が対立する場合の向きはどちらでも成り立つ。

というわけで、いよいよ『神話論理1 生のものと火を通したもの』も次回読むところがが最後の節である。そこには「彩色土器の起源」という、差異の体系としての色と、水界と地上界を結合しつつ分離する「土器」の両方をあわせて語る神話が登場する。

さらに、Δ-Δ-Δ-Δ-Δ-Δ-Δ-Δ-Δの線形配列のような図と、レヴィ=ストロース氏の手による八項関係の図も登場する。ますます眼が離せないところである。どうぞお楽しみに。

『神話論理1 生のものと火を通したもの』p.452
『神話論理1 生のものと火を通したもの』p.465


つづく
>つづきはこちら


おまけ

タイトル画像と同じく「鳥の羽根をモチーフに、中央に二重の四項関係を配置した曼荼羅っぽいもの…」という指示からAIが生成した図には以下もある。

https://beta.dreamstudio.ai/ で生成

これもなかなかよく描けている。

驚いたのは下の図である。

https://beta.dreamstudio.ai/ で生成

曼荼羅の外、左右の下に「」が描かれている!

しかも妙に殺伐とした枯れ木というかなんというか。
生きているのか生きていないのか不可得な木!

ご存知の通り、「木」は今回ながめた神話群にも登場するもので、極めて一般的なβ項、天地の対立を媒介する両義的中間的媒介項である。

木々が生まれては枯れるこの現世は、曼荼羅の三摩耶である。

AIには木を描いてくれとはひとことも頼んでいない。

おそらく、「鳥」から「木」を”連想”したのであろうが(連想というか、木と鳥が共起する確率が生成AIの中間層において高く評価されたのだろう)、この木と鳥の”パラダイム(パラディグマ)的集合”という人間的なレンマの知性を、すでにもうAIが「学習」しているとは驚嘆すべきことである。

もしかすると、AIは神話も語れるのではないか?!

というわけで、Google社バードとChatGPTにそれぞれ同じお題で神話を語っていただいた。

バード
ChatGPT

あなたは呪術師です」は余計だったかもしれない。どちらの生成テキストもシンタグマ連鎖的描写が多く、β四項の脈動のようなことはあまり浮かび上がってきていないように読めるがものよりもこと、静態よりも動態、完成よりも途上、対立者との遭遇、変身・変容といったモチーフには触れている。AIが何から学習したのかわからないが、生まれたばかりでこれだと考えれば、末恐ろしくもある。

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