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「人の声」が苦手、という話。

毒親育ちを自覚し、下剋上イベントをクリアして、それまで一日3時間ほど確保するようにしていた「母の話を聞く」時間を全く取らなくなってから3年弱、めちゃめちゃ生きるのが楽になっている。
で、そこで気付いたことがある。

私は「人間の声」、特に「母の声」を聞くのがハッキリ言って「嫌い」だった――ということだ。

TVもラジオも動画も苦手で、電話も嫌い。予期しないタイミングで、例えば隣の家の庭から「人の話し声」が聞こえてくるとそれだけでびっくりするし、不快に感じてしまう。
「母親に遠くから名前を呼ばれる」に至っては、もうそれだけで「ビクッ!」となるし、昼寝でもしていようものなら誇張抜きに飛び起きてしまうのだが、ここの理由は簡単に想像がつく。単に幼少期に母に呼ばれる=怒られる、となっていたために「危険な事態!!」と脳に記憶されてしまっているが故である。人間の声全体にストレスを感じるのは、これが全人類に対してやんわりと適用されてしまっているのかもしれない。

なお男性の声の方が女性の声よりはマシで、NHKの男性アナウンサーによるニュース、ぐらいなら特に不快を感じずに済んでいる。ずっとつけていたいわけではないが、ニュースを見ようかなと思っている間は気にならない程度だ。だが民法のニュースだとテンションが高かったり女性だったりするせいだと思うがどうにも聞いていられないし、特にワイドショーとかお笑いバラエティなんかは感情的な声が多いので「マジ勘弁して!」というレベルになってしまう。夫がナチュラルにTVを付けていたり、息子がゲーム配信動画を見ていたりすると、それだけでゲンナリする。

一般的に面白い何かというのは、わざと喜怒哀楽を大げさに表現しがちである。その内の特に負の感情、慌てていたり怒っていたりする声を、私は全く無視できない。大半は演技だと分かっていても、一語一語、確実に拾って内容を把握してしまうのだ。人の音声を聞き流せないが故に、勝手に集中力が使われてしまい、声が聞こえている間中、どんどん疲弊してしまうのである。

高校時代は古典の授業の間居眠りをしていた記憶もあるので、「年配の男性の、抑揚の少ない淡々とした声」ならば恐らく聞き流せるのだろう。
あれ、もしかして高校時代に学校で居眠りしまくってたのって、女性教員がほぼいなかったからだったりする……?

ともあれ、誰だって自宅でTVやyoutubeを見る権利ぐらいあるはずである。その手の音声を一切出すな、と夫や息子に強要するのも気の毒だ。なので一応音量を下げるお願いをして凌ぐことになるのだが、我ながらマジで面倒臭い女である。
私が個人部屋を持って引きこもっていればいいのだろうが、流石にそこまでの居住空間はないので、ヘッドホンをつけたりして意識的に「聞かない」努力を重ねている。だが耳が物理的に圧迫されるのも、相殺するための何らかの音源を聞き続けているのも、長時間になると疲れるのでイマイチである。
夫や息子が家にいる時間に気が休まらない気がするのは、そういう状況のせいもある気がしてきた。

なお、夫や息子本人たちの声は、有り難いことに割と大丈夫である。恐らく彼らが私に危害を加えないと、概ね信頼できているのだろう。とはいえ息子に対して苛立っている夫の声とかはしんどい。怖い。ビビる。
とはいえ下手に口を出すと、ただでさえ息子に激甘すぎて舐められまくっている夫が、いよいよ息子を𠮟れなくなる恐れが高く、それはそれでパワーバランス上良くない気がするので、よほど意思疎通に困っていそうでない限りは口出ししないようにしている。

ちなみにアニメはあまり「無理」現象が起こらないのだが、何故かがよく分からない。ワイドショーなどと比較すると、番組としてカッチリ編集されていたりするからだろうか?ゆっくり動画も特に気にならないが、これは合成音声だからだろうな。

長年音楽もやってきたし、音楽を聴くことは好きなのに、女性ボーカルの歌を長時間は聞いていられない、というのは昔から自覚のある所だ。男性ボーカルならある程度大丈夫で、とはいえスクリーモやデスボイスは「怒鳴り声」に近いという判定がされてしまうらしくてアウト。なので、「ヘヴィロックが好きだけどスクリーモは駄目、パンクも微妙、メタルは好きだけどデスメタルは無理」という面倒くさい属性をしていた。
ボーカロイドは良かったなぁ。あれなら女性ボーカルの曲も何時間でも聴いていられたし、自分でボカロを長時間弄っていても平気だった。まぁ音楽には向いてるけど向いてない、ということだろう。やれやれ面倒くさい。

この辺の特徴はHSPの聴覚過敏だったりするのだろうか?という思考から、私は自分をHSPだと勝手に分類しているのだが、果たしてどうなんだろう。
単なる後天的な学習のような気もするので、それとこれとは別かもしれない。

なお、「人間の声」以外の音に関しては、少なくとも夫や息子に比較すると私は格段に鈍感である。聞こえてはいるのだが、いくらでも無視できる。目覚ましを何重にかけても全部ほったらかして寝続けることが出来るし、雷や花火の音はむしろワクワクするし、「どこかで何かが落ちた」のような音も、救急車も、工事のガガガゴゴゴ系も、隣の家の犬が吠える声も全然気にせずに過ごせる。学生時代に住んでいたマンションは西武新宿線の線路沿いで、電車が通るたびに窓ガラスがガタガタ揺れるレベルの騒音や振動があったが、全く平気で寝こけていた。
敏感なのか鈍感なのか、自分でもよく分からない。

怒鳴り声は勿論ダメなのだが、そこまで行かなくても「力説する声」、特に女性の力説する声は本当にしんどい――ということをハッキリ自覚したのは、つい先日息子の学校イベントで参加した「メディア講習会」でのことだった。
東京からはるばる来たらしい講師の方のお話を45分聴くだけだったのだが、その講師の女性が「インターネットは使い方を間違えると、こ~んな怖いことになるんです!!」的に力説している音声がもう本当に怖いというか不安というか嫌いというか、講師の人には一切の非がないのに不快過ぎてしんどくて、息子が隣に座っていなかったら本当に途中離脱しようかと思った。講師の方ごめんなさい、内容はきちんと覚えているので許して。

ところで息子にはどういう訳か、「品質表示ラベル」を指で弄る癖がある。赤ん坊のころからなので、指しゃぶり的な何かだと思うのだが、特に不都合がないので叱ったりせずに放っておいたら、この癖が小4になってもイマイチ治らない。頻度は下がってきているように見えるのだが。

で、講習会の「聞いているだけで暇」な状況でそれが発動したらしく、私の着ているパーカーの品質表示ラベルを弄ろうとする息子と、「こらこら止めなさい、みんなに見られるよ?」「えー、大丈夫だよ~」という、実に低レベルかつどうでも良い攻防が密やかに延々と発生していた。
そして講師の力説にどんどん気分が悪くなってきて、吐き気と呼べるレベルまでいってしまった私は、意識の9割を息子とのラベル攻防戦に振り向けることで、何とかメディア講習会を最後まで耐え抜くことが出来たのである。

正直助かった。いや駄目なような気がする。

私はネット老人会に所属している世代なので、ネットリテラシーに関して不安はないが、息子は真面目に聞くべきだ。カーチャンのラベルを弄っている場合ではない。というか今の子たちって、母親にベタベタしてるのを同級生に見られてもマザコンと言われてからかわれたりしないのだろうか。私の世代だとそういうのって割と社会生命に直結していた気がするのだが。息子に聞いてみてもさっぱり話が通じないので、どうも令和の小学生カルチャーの空気感が分からない。

どうあれ、私のトラウマ上の厄介事を息子とイチャついている内にやり過ごせたというのは、実に恥ずかしいような面目ないような、有難いような申し訳ないようなホッとするような、そういうこと言ってる場合じゃないような、物凄く複雑な気分である。
多分子供というのはデフォルトでそういう風に親を癒してくれるエネルギーがあって、だからといってそれに甘えすぎると、私の母のように毒を与えることになったりするのだろう。有り難くはあるが自戒せねばならない。

それにしてもこの「人の声」耐性、私は元からこんなに弱かった訳ではないはずだ。TVやラジオは苦手だなとは思っていたが、若かりし頃にはそこそこ人並みに社会生活を送れていたし、特に深く考える必要性も感じなかった。

だが、人間のストレス耐性というのは、もしかすると筋肉のようなもので、使わないとどんどん退化してしまうのかもしれない。過度のストレスは良くないだろうが、普通に社会生活を営める程度の耐性は必要である。
今の生活はその意味で、極限までストレスフリーになっているはず……だが、「その生活の中で最もストレスのかかる事柄」として、今の私は夫や子供の見ているメディアを認識してしまっている可能性がある。うん、何かそんな気がしてきた。

とすれば、いずれ働きに出ることを考えている以上、リハビリ的な意味である程度のストレス耐性を鍛えておく必要がある。
うん、そうだな。そう考えよう。そうすれば夏休みのストレスも前向きに受け止められる気がしてきたぞ。

「筋肉は裏切らない」は、そろそろ一年になるダイエット生活において、私が真っ先に取り入れた格言である。
私の体はどうも筋肉がつきにくく、しかも落ちやすいが、どうあれ努力で体重と体脂肪は落ちた。現在の私は20代の頃と同じスリーサイズである。いやちょっと盛った、ウエストは戻ったが胸もまた当時より減っている。内容物が脂肪だから仕方がないのだ。年齢とは無情なものである。

腹筋・背筋やインナーマッスルの筋トレがアンチエイジングの役に立ったかどうかは定かでないが、とにかく腰痛は改善したし、姿勢の悪さはマシになった気がしている。
ストレス耐性も鍛えられると考えれば、インナーマッスルに相当する何かをあらかじめ鍛えておくことで、仕事を始めたりした時にかかるストレスを軽減できるかもしれない。というか、ストレスフリーな生活をしすぎていると永遠にダメになってしまう気がする。

無理のない程度の負荷をかける。そのために多少はTVを見たり、youtubeやその辺の音声を聞き流す訓練をする期間とみなして、この夏を乗りきろう。そうしよう。

あ、でも仕事探すときには、くれぐれもテレアポ系の仕事には応募しないようにしようっと……。

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