調子が悪い時にこそ、手助けを求めねばならないのだけど、という話。
ここの所、割と夫を誉める系の投稿が多くなっていた。
私自身の自己受容が進んだことで、夫に対して長年抱えてきたわだかまりのようなものが薄れ、割と夫に対して肯定的な見方が出来るようになってきていた…のだが。
夫のスペックそのものが向上したとかではないので、私が動けない状況が発生すると、また急激に不満が溜まるというか、何と言うか。
まぁまぁ、具体的には先々週あたりの私のインフルエンザ期間の愚痴である。お見苦しいと思うが書かせて欲しい。
私にとって夫という人は、自分に余裕があれば大して負担に感じずに一緒に暮らすことができるが、少しでも調子が悪いと「頼むから私が元気になるまでどっか行っててくれ」と願ってしまう存在だ。
原因はハッキリしていて、単純に「夫の3食の食事を用意する」が、別に何もない日は良いのだが、しんどくて辛い日はマジで勘弁して欲しい、という話である。
夫は食事に関してはうるさい方では全くなく、スーパーの総菜でもマクドナルドでもカップ麺でも文句を言わない人で、むしろジャンク寄りなものが好きだ。ナマモノがダメだとかキノコが食えないとかいった、気を付けねばならないポイントはあるものの、概ね「何か食べ物」が用意してあれば何でも食べる。
一方で、料理は一切しないし興味を示さない。一人暮らしの頃はカレーを作るなどしていたらしいのだが、実際に私が見たことは一度もないままだ。子供が生まれる前に一緒に料理をしようと誘ってみたこともあるのだが、何だかんだと逃げられてしまい、以後ずっと諦めの境地である。
食卓に残り物が出ていても文句を言うことはない代わりに、その残り物を私がレンチンしていなければ「これまだチンしてない?」、お箸を私が出し損ねていれば「お箸は?」と言いつつ、TVを眺めながら私が食卓を整え終わるのを待っている。
ある意味では手間がかからないのだが、手間がゼロになることが決してない人でもある。
まぁ解決策は分かっている。私がやりたくない日は、「うん、それチンしてー」とか「お箸取りに来てー」と指示を出せばやってはくれるし、「自分で食事を調達して来い」と金を渡せば、夫は「食べ物を買って来て食べる」事自体は出来る。
ただ、この「指示を出す」のが私には中々負担が大きく、ステータスが良い日は出来るが、ちょっとでも機嫌が悪かったり調子が悪かったりすると出来ない。食料の自力調達に関しても、インフルエンザのように「自力で何とかして欲しい日」が何日も連続すると食費が気になる、という財布事情もある。せっかくレトルトのカレー・中華丼・牛丼を買って来てあるし、ご飯だって冷凍庫にあるのだから、それを温めて食べて欲しい。一食1500円もかけて毎回コンビニ弁当を買いに行くのではなくて。
なのだが、調子が本気で悪い時には、その「レトルトカレーを温めて食べてもらう」を自力でやって貰うための説明をする気力が湧かない。夫はレンジのオート機能を使った温めは出来るが、「500Wで1分40秒温める」は出来ないし、レトルト食品がどこにしまってあるかも把握していないのである。「台所の、あの戸棚のあの段にレトルトカレーがあるから、それをレンジで温めて」「自動あたため機能じゃなくて500wで指定の時間温めるためには、まず500wのボタンを押してから、「分」と「秒」のボタンを……」という説明を出来るだけの思考能力が私の方にないと、完全にお手上げになってしまう。
そういう訳でインフルエンザで頭がポンコツ化した私には為す術がなく、プラモを弄っている夫を横目にヨロヨロと台所まで行き、冷凍ご飯をチンして、レトルトカレーをチンして、それらを皿に盛って「ご飯できたよー」と夫に言い、自分は食欲がないのでベッドに戻り、食べ終えた夫が「ごちそうさまー」とどこかで言っている声を聞いて、再び起きて台所に行き、皿を洗う、という状態になっていた。
夫が出社している日なら、昼食の時間にそんな動作をせずとも夜までゴロゴロしていられるのに、夫が休日で家にいて、ゴキゲンにプラモなどをやっているが故にそれをサボれないのは、普段ならともかく、調子が悪いと殺意が溜まる。
「この程度の事、自分でやってくれよ」という憤りは漏れなく「こいつさえいなければ」に変換され、インフルエンザから回復してもこの怨嗟だけが残って、「私の人生において、夫は足枷にしかならない」という結論に結びついてしまうのである。
と、今回に限らずだが、こういう現象が毎回起こる。私が体調を崩すたびに、必ず。
「アクエリ、残り2本だよー」じゃねぇよ。
夫と息子がそれぞれ職場や学校に持っていくため、アクエリは常備品で箱買いしているのだが、絶賛発熱中で、トイレに行くための階段の上り下りにもゼーハーしている私が、アクエリアスの2Lペットボトル箱を買いに行けるると思うのか。私の飲み物を買って来いとまではいわないが、自分の飲み物ぐらい、休みの日ぐらい、自分で調達することを考えろ。
自分が風呂上りだからって、リビングの窓を元気よく全開にするのはどういう了見をしているのか。換気がしたいのは伝わる、だが1時間前にシャワーを済ませた私は元々寒いし、しかも熱があるために寒気もしていて、もこもこのフリースまで着込んでコタツにしがみつきながら、布団乾燥機で布団を温めている真っ最中な訳だが、その光景を見て何とも思わないのか。それともどうでも良いと思っているのか。
いや、分かっている。夫には、微塵も悪意はないのだ。
単純に、私がインフルエンザで熱があることを知っていても「だから行動するのが辛くて、普段と同じことができない」とか、「だからいつもより寒い」とは思っていない。思い至れない、というだけの話である。
夫の目では「熱でフラフラしている私」は認識できないので、「無言で布団から出てきて廊下を歩いている私」に、いつも通りの連絡事項としてアクエリの残数を報告しただけであり、同様に「全身震えながら、もっふもふのフリースを着込んでコタツにしがみついている私」が分からないので、「無言でコタツにいる私」を気に留めずにいつも通り窓を開けただけだ。本当に、ただそれだけ。
だから、「具合悪くてアクエリ買いに行けないから、休みなんだし自分で買って来て」と私が言えば多分そうする。「窓開けないで、寒いから」と言えば、恐らく窓を閉める。文句を言われて怒り出すほど夫はモラハラ気質ではないし、近年の夫は私の要求を呑む努力はしてくれている。
問題は、ただでさえ他人に文句を言うのが死ぬほど苦手な私が、ステータスの悪い状態で、夫にそう発言することがめちゃくちゃ難しい、という所だ。
毒親に対する絶対服従を叩きこまれて育った私は、「私が寒いのぐらい容易に想像がつくはずなのに、夫が窓を開けた」という事象が起こった時に、ついうっかり「私の『寒い』よりも優先したいから、夫はわざわざ窓を開けたに違いない」という思考に走ってしまう。夫が単純に私が寒がっていることに気付いていないだけで、言えば止めてくれるはず、と思い至るまでに、かなりの熟考を要する。
同様に、「インフルエンザで発熱中の私に、アクエリの残りが少ないとわざわざ言ったからには、具合が悪いのを押してでも今すぐ買って来いと要求しているのだろう」とも、うっかり考えてしまう。
数年前までの私なら、間違いなくその日のうちにヨロヨロしながらアクエリを買いに走ってしまっていた。残り2本あるなら何日かは持つだろう、という判断で、すぐには買いに行かずに後回しに出来た時点で、私としては地味に成長しているのだ。これでも。
そしてその思考から「『私熱あるんだけど?自分で買って来てよ』と発言して、夫に買いに行かせる」という選択肢に辿り着くまでがまた遠い。実際に私がこの思考に辿り着けたのは、言われてから数日経って熱も下がり、そういえばアクエリって言われたっけな、と思い出してようやくだ。
HSP気質に毒親育ちも相まって「察する」がデフォルトの私と、アスペ気質で「何一つ察さない」がデフォルトの夫の、致命的な相性の悪さである。
私が意識してコミュニケーションを取れる状態ならば、それでも何とか生活は回せる。が、私が思考力を失ったら最後、夫は「頼むからどっか行ってて欲しい人」にしかならない。
私の問題であるが、私だけの問題でもなく、しかし私の出来ることとしては、私の側の思考を鍛えるしか道はない……のは分かっている。が、具合が悪いと本当に、如何ともしがたい。
と、数日かけてこんな愚痴をぼちぼち書いている内に、ふと思い当たった。
アクエリ問題や窓全開問題は一旦置いておくとして、「レトルトカレーぐらい勝手に食え」に関しては、夫がレンジの使い方をマスターすれば話は解決するはずである。
で、ネックになっているのは「調子の悪い私には説明が出来ない」点なのだから、私が元気な日にあらかじめ夫に訓練を施しておいて、夫がレトルト食品を自力で食える状態にしておけばいいのではないか?
有事に備えて避難訓練を行っておくという発想だ。これは名案な気がする。
そういう訳で先日、「30秒チンしてね」と渡した大判焼き(母が職場で貰ってきたもの)を、自動温めでレンチンを開始し、息子と一緒になって「じゅーいち、じゅーに、じゅーさん」と30秒カウントしていた夫に向かって言ってみた。
「今日はそれでもいいけど、何分何十秒チンするっていうの、出来るようになってね。今度説明するから」
「え?……何かあるの?」
「また私がインフルエンザでぶっ倒れてるような時に、『レトルトカレーと冷凍ご飯を温めて食べる』が一人で出来るようになってくれれば、私が寝てられるから。レトルトものって、自動じゃなくて500Wで何分何十秒チンしろって指定があるのが多いからさ」
「……。」
残念ながら返事はなかった。不服なのかそうでないのか不明だが、まぁ次の夫の休日にでもレクチャーすれば良いだろう。
と思っていたら、翌日の夕飯の後、歯磨きをしながらレンジを眺めていた夫が自発的に聞いて来た。
「何分ってやるのって、このボタン?」
おぉぉ質問だ!質問が来たぞ!!
昨日の「私が倒れていても一人でチンできるようになれ」について、必要性を分かってくれたか!当社比えらい!!
内心ちょっと感動である。私は10数年の結婚生活において初めて、夫にレンジの使い方の説明をする機会を得た。
皿を洗いながら指示すると、夫は歯ブラシを咥えたまま、ピ、ピ、とレンジのボタンを押したりして確認を行い、やがて「分かった」と発言した。
一回だけ、しかも実際に温めていない操作確認だけでは若干不安が残るが、夫の休日にでもレトルトカレーの日を作って、戸棚から取り出すところを含めて実際に何度かやって貰えば、夫は「レトルト食品を自力で食べる」をマスターできるはずである。
それが出来るなら、上手くすると「自分用のレトルトカレーを温め、息子用のポケモンカレーも温めて、私が寝ている間に二人の食事を済ませる」も可能になる。
「レトルトカレーあるから、ポケモンカレーも。ご飯それで済ませちゃって」というセリフを私が言うだけで、だ。素晴らしい!
私の母は、主婦としての自分の存在意義を維持する意図か、あるいは無意識か、私の父が「何もしない人」であることを愚痴りながらも、父に何もさせないように振舞っていた。
そしてそれを見ながら育った私には「夫に家事をさせてはいけない」という意識が無自覚レベルで染みついてしまっている。やって欲しいと思うことはあっても、「やって欲しいと主張する」のは悪いことな気がするし、ましてやりたいとは全く思っていなさそうな夫に強要するのは、主婦としての職務放棄であるように感じてしまうのだ。
だが、会社員なら仕事を休むレベルの体調不良時において、業務の引継ぎが出来ないからと無理に仕事をするのはナンセンスなはずである。必要ならば資料を作ってでも、私が稼働できなくても大丈夫な環境を、家の中に作っておかねばならない。
あと2年少々で中学生になる息子、その頃50歳になる夫。
食べ物に関しては息子の方が協力的だったりするので、案外息子の方が早く教育が終わるかもしれないけれど、どうあれ二人が「家にある物を食べる」をマスターしてくれれば、私が再就職をするにも、体調不良で倒れるにも、グッと便利になるのは間違いない。
私がスムーズに自己主張できるようになる日はまだ遠そうだし、夫が気が利く人間になる日は永遠に来ない気がするが、「夫にレンジの使い方を習得させる」ならば具体的だし、実践的だ。私が次に風邪を引くまでに、そこをしっかりマスターしてもらおうと思う。
体調不良のたびに毎回、「コイツさえいなければ」と私が思わなくても済むように。