柄谷行人は『日本近代文学の起源』の中で、志賀直哉の「濁つた頭」から引用しながら、志賀について
と述べています。
また同著の中で、柄谷は、拙論でも取り上げた志賀直哉の「クローディアスの日記」に出て来る
すという
を引用し、さらにメルロ=ポンティ『眼と精神』(滝浦静雄・木田元訳)所収「幼児の対人関係」に出て来る
というある
を「クローディアスの日記」の夢と関連付ける為に引用しています。
それは
という内容で、メルロ=ポンティはこういった例などから
と結論づけています。
このメルロ=ポンティの帰結を引用しながら
柄谷行人は志賀直哉について
と述べています。
メルロ=ポンティは先の論の中で
と云い
と三歳頃に主観が現われ出て来る事を示し
そしてそうなると
と述べています。
しかしその上でメルロは
と述べ、三歳児において見られる現象は
としています。
柄谷行人が述べたように
とするなら、それはメルロ=ポンティに即すれば3歳頃に現れる主観以前のものであり、5、6歳頃に芽生える自我からは更に距離の或る感覚です。
メルロ=ポンティの考察を元に柄谷行人に即して考えれば、私が志賀の「濁つた頭」、「クローディアスの日記」を含む一連の作品から自我を感じられなかったのは、当然のことと云えるのかもしれません。
「幼児の対人関係」の後段でメルロ=ポンティは
と論じています。
このような
を志賀の一連の作品は捉えていると云えるのかもしれません。
引用文献: ①『日本近代文学の起源』[64]
著者: 柄谷行人
1988年6月10日第1刷発行
2006年3月1日第35刷発行
発行所: 株式会社 講談社
引用は本書の中のⅢ「告白という制度」(初出季刊芸術1979年冬号)より
②『眼と精神』
著者: M. メルロ=ポンティ
滝浦静雄・木田元共訳
1966年11月30日 第1刷発行
2022年4月15日 第36刷発行
発行所: 株式会社 みすず書房
引用は本書所収「幼児の対人関係」(1950〜51年にかけてパリ大学文学部で行われた幼児心理学の講義録)より
この記事は↓の論考に付した注です。本文中の(xxxviii)より、ここへ繋がるようになっています。