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<ジャポニスム 幻想の日本> 馬渕明子 ㈱ブリュッケ(新版2015)その2.(3)

はじめに

 前回、その2.(2)では、モネの作品《木の間越しの春》は、日本美術の構図を利用したものだけれども、単なる物珍しさからではなく、対象を見て描くとは何かという問いに応えるためだったということ、遠近法の概念に縛られていた世界から抜け出そうとしていたモネにとって異なるヴィジョン体系にいた日本美術の作品が助けになったという著者の考察を紹介しました。

 その結論に至る議論の中で、写真と人間の眼との違いや西洋における遠近法の世界と異なるヴィジョン体系の世界という東西の違いについて、私がスケッチ教室で教える中で日頃気にかけていた大事なテーマが含まれており大いに触発されました。

 著者は、小見出し「イメージの重なり」の中で、《木の間越しの春》以降の作品のその後の作品の変化についてさらに議論を進めます。

イメージの重なり

 著者によれば、モネは《木の間越しの春》の制作でもう一つの構成上のヒントを得たと言います。それは、「a travers」の手法と似ているけれども、さらに新しい概念を含む「イメージの重なり」という問題だと指摘します。

 「A travers」の表現の年代順の変化を示すと、まず1880年代に南仏風景の作品にそれが現れた。しかし前景に大きく立ちはだかる樹木が《木の間越しの春》以上の特異的な役割を果たしておらず、1890年代に入って<ポプラ並木>の連作が登場して「イメージの重なり」が表現された作品になったといいます。

 その作品の例を下に示します。

Rangee de peupliers en automne W1293
Claude Monet, Public domain, via Wikimedia Commons

 このポプラ並木の絵に対し、<イメージの重なり>について、著者は次のように説明します。

 画面前景を格子状に覆った細い幹の並木(反射映像を利用して垂直線は画面を上から下まで貫き通す)の向こうに並木の連なりの頭部がかいま見られる。すなわち、画面には a traversの 表現が二重に見られるのである。映像は、鑑賞者の視線の奥行き方向に向かって三つの層をなし、垂直に向かって、岸辺の線を軸としてさらにまるごと重複する。
 つまり画面に平行な(実際には平行ではなく蛇行して後退していく)並木の格子を一つのイメージと考えれば、ここでは六つのイメージが描かれていることになる。しかしこうした複雑さを直接感じさせず、一つの視覚体験として描き上げることこそ、モネのモネたるゆえんであった。

a travers —モネの《木の間越しの春》をめぐって イメージの重なり

 当初<イメージの重なり>という表現を聞いた時になかなかその意味を掴めませんでした。なぜなら、「イメージ」という言葉には、実映像よりもどこか頭で思い描いたものというニュアンスが感じられ、モネが重視した視覚体験と反するのではないかと思ったからです。

 著者のポプラ並木の説明を読んで分かりました。やはり、モネは実際に眼にした光景をすだれ効果の中に重ねていて、著者はそれを<イメージの重なり>と名付けているようだと。とすれば、<イメージの重なり>よりは素直に<視覚あるいは映像の重なり>と呼んだ方が良いのではないでしょうか。 
 ただし、その映像の重なりを見た鑑賞者が何らかのイメージを喚起する効果というのであれば、<イメージの重なり>でもよいのかもしれません。

 このような思いで読み進めていくと、話は晩年の睡蓮の連作に進みます。

 著者によれば<イメージの重なり>は、最晩年にいたって<睡蓮>の連作の主要な主題となると云います。そのことを下の絵を示して説明します。

water-lilies
Claude Moner, Public domain, via Wikimedia Commons

 そこでは、枝垂れ柳越しに水面に浮かぶ睡蓮を描いているが、その水の表面に描かれた柳のみならず、画面外の空の色や、そこに浮かぶ雲を反射映像として描き込むことによって、イメージは重なり合い錯綜する。柳と水面は a travers の関係にあるが、水面に浮かぶ睡蓮と水面に映る柳や空は、もう一つの a travers を構成する。すなわちここでもイメージは現実の空間、反射映像の空間を問わず、互いに重なり合って無限の広がりを見せ、視覚が経験する最も眩めく錯綜した世界を再現しているのである。それは画家によって見られた現実の風景を表しつつも、凡庸な視覚ではとらえがたい、「眼の人」モネの到達した世界なのである。

a travers —モネの《木の間越しの春》をめぐって イメージの重なり

 この説明で著者が云う<イメージの重なり>の意味がなんとなくわかってきました。
 やはり著者はモネが見た現実の映像の重なりを描き込んでいるとしています。しかしそれは、それ以上の状態「互いに重なりあって無限の広がりを見せ、視覚が経験する最も 眩めく錯綜した世界」を再現しているというのです。

 ただ具体的には表現しにくいのか、「凡庸な視覚(おそらくわたしたち)ではとらえることができない、「眼の人」モネしか到達できない世界」というまとめで終えています。

 以上のことからわかるのは、現実に見える映像以上の世界を著者はモネの絵から読み取ったうえで、「イメージ」という言葉を使ったのではないかということです。

最後に

日本人のDNAのなせるわざ?

 今回の「a travers —モネの《木の間越しの春》をめぐって」の章では「すだれ効果」、「空から降る枝」、「手前に大きなものを持ってくる」など日本独自の構図が与えた西洋美術柄の影響が話題の中心でした。

 あらためて自分の作品を思い返すと、無意識に「すだれ効果」を使っている例があることに気づきました。例えば下の「大阪大正区・大浪橋」です。

わたなべ・えいいち 大阪大正区・大浪橋

 前回の記事で「最初に構図ありき」ではないといったのですが、それに反し実は無意識に日本独自の構図を選び取っていたのです。

 この作品では、戦前の鉄骨製の橋の独特な曲線と数多くのリベットの頭が作るパターンに魅力を感じて描いたのですが、構図としては、鉄骨越しのまさに「すだれ効果」そのものです。

 さらに興味深いことに、この本で著者は葛飾北斎の「竹林の不二」の「すだれ効果」とは別に、広重の「前景に大きな物を配して、それと遠景の対比を際立たせる手法」の影響の例としてギュスターヴ・カイユボットの《ヨーロッパ橋》を出しています。(下図)

Gustave Caillebotte On the Pont De L’Europe,
Public domain via WikiArt

 鉄橋のリベットと鉄骨越しに遠方の景色を描写するこの絵は、手前の人物を除いて私の絵の構図と相応しています。時空を超えて同じ構図を共有していることに、何とも不思議な気持になりました。

 面白いことに、明治、大正、昭和にかけて制作された「新版画」においても、数多くのすだれ効果の作品があります(おそらく、日本画や洋画にもあると思いますが、線スケッチとの関連で新版画に絞りました)。代表的な作家の川瀬巴水と吉田博の作品例を示します。

「すだれ効果」:川瀬巴水の作品例
すだれ効果:吉田博の作品例

 こうしてみると、北斎、広重の江戸期から、明治・大正・昭和から現代にいたるまで、「すだれ効果」を含む日本独自の構図が連綿と受け継がれていることがわかります。

 あえて言えば、日本人のDNAがなせるわざかもしれません。

 以上で記事を終えることにします。

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